第7話 リゾナンス オブ ザ ビギニング





冬休みに入り、私は毎日部屋でベースを弾いていた。

暇を持て余している事も有るけど、出来れば家族とあまり触れ合いたく無い。

長い時間を共有するとボロが出る可能性もある。


しかし、弾いてみると私のベースもなかなかイケる事に気付く。

ネットの配信なんかを見ながら同じ様に弾くと、それなりに聞こえてしまうのが不思議。


クローゼットの奥に隠す様に置かれていたコンパクトなアンプ。

音を極限まで絞って弾いている。


樹はかなり練習していた事がわかる。

机の引き出しに入っていたUSBメモリーに楽譜のデータが沢山入っている事がわかり、パソコンで楽譜を見ながら色んな曲を弾いてみた。


妹の奏美は塾に毎日通っているので、奏美が家に居ない時だけ練習。

家に帰って勉強している時は邪魔にならない様にしている。

私って何て出来た兄…姉かな…、なんでしょう。


トオルからメッセージが入った。


「練習してるか。良かったらアランに来て」


アランか…。

家に居るのも何だし、行ってみようかな…。


私はトオルの働くバー・アランに行ってみる事にした。


クリスマスプレゼントに母からもらったダッフルコートを来て家を出る。

クリスマスから殆ど家を出ていないので着るのは初めて。


学校に行く時とは違い、駅まで行くのに急ぐ必要も無い。

いつもと違う道を通り、駅前に出た。

駅前のコンビニで肉まんを買って食べる。

これが癖みたいになってしまった。

人前で大口を開けて肉まんにかぶり付いても良いなんて男の子って最高だね。


缶コーヒーを飲みながら電車に乗る。

目的地まで二十分程度かな…。

休みの日に見る景色は少し違って見えたりもする。

まあ、クリスマスも終わりお正月ムード一色になって来たせいもあるのかもしれないけど。


私、水島桜子と上村樹が入れ替わってもうすぐ二か月。

その間に私の所属するアイドルグループは脱アイドルなんて言われて、大人気のグループになってしまった。

それも全部樹のプロデュースのおかげ。

私は期末テストを普通に受けたら万年赤点だった樹を二百人抜きで六位まで持ち上げた。

そのせいで樹は学校でもモテモテになってしまった。


まあ、お互い上手くやってるって事なんだけど、大きなミスを犯さないうちに元に戻りたいなぁって思っている今日この頃だったりする。


電車のドアが開く度に、冷たい空気が流れ込んで来る。

私たちも売れないアイドルグループだったので、いつも電車移動だった。

衣裳の入った大きなバッグを抱えて、普通に電車に乗ってた。

それでも誰も気付かなかったけど、今はすぐにバレるからって事務所が専用の車を準備したらしい。


樹のおかげで私の理想の形が出来つつあった。






アランのある駅に着いた。

私はコートのポケットにスマホごと手を入れると改札を抜ける。

終業式の後、行ったばかりなので場所もわかる。

あれ…。

わかる…筈。

あれ…。


アランの看板が見える筈の路地に立つ。

だけど、そこにアランが無い。


ポケットの中でスマホが振動している。

取り出して画面を見るとトオルからメッセージが入っていた。


「まさか迷ってねぇだろうな…。水島桜子」


トオル…。

もしかして何でもお見通し…。


トオルは私と樹が入れ替わる前から事情を知っているって樹が言ってた。

どういう事なのか、知りたかったが、それをトオルに訊くのはルール違反の様な気がして今も訊けていない。


「正解。何処で間違えたのかな…」


私はトオルにメッセージを返す。

直ぐに返事が来て、


「今、何が見える」


「モヘンジョダロってパキスタン料理の店が目の前にある」


「もっとメジャーな情報よこせ」


「メジャーって何よ。黒岩ってステーキハウスがある」


「あーもう一本先の路地だわ」


電話で話した方が早いんだけど、樹が道に迷うってのが周りに知られると不味いのかな。


私は大通りに出て、もう一本先の路地に入った。

確かに直ぐ、バー、アランの看板を見付けた。


少し小走りでアランのドアを開けた。


「寒ぅ…」


私は身を縮めながら店に入った。


カウンターから私の事をトオルが笑いながら見ていた。


「おい、こら、馬鹿」


トオルは私に言う。


「馬鹿って何だよ」


私はカウンターに座りながら言う。


「てめぇ、ベースはどうした」


トオルは手に持ってたおしぼりを私に投げ付けた。


「持って来いって言わなかったから…」


「言わなくてもわかるだろう」


「だって言わなかったから…」


と言い合う私とトオルの間にマスターが割り込む。


「まあまあ、そんな事で揉めるな…」


トオルは睨む様に見てるし、私はどうしたら良いかわからないし…。


「良い機会だからアレ使ってみるか」


マスターはそう言うとステージの奥の部屋へと入って行った。


何を持って来るんだろう…。


私はマスターが入った部屋とトオルを交互に見る。

マスターは大きなケースに入ったコントラバスを持って来た。


「ウッドベースか…」


トオルはカウンターから出て、ケースからコントラバスを出すのを手伝っていた。


「タツキ君。ちょっと来て」


とマスターに言われ、私はマスターの傍に行く。


「原理は同じだから…」


そう言って大きなコントラバスを渡された。


試しに弦を弾いてみた。

確かに音はするがエレキベース程大きな音はせず、もっと重低音だった。


「これ弾いてみろ」


トオルが楽譜を私の前に広げた。


私は楽譜を見て音を拾った。

その音を聴いてマスターは頷いていた。


「やるじゃねぇか…」


トオルも横で笑っている。

しばらくエレキベースで練習したのも良かったのだろう。

良い音を出せる様になって来た。


そこから夕方まで私はウッドベースの練習をした。

ジャズなどではこのウッドベースを使う事が多い。

流石は樹、飲み込みが早い。


夕方、練習を終えてマスターの出してくれたビーフシチューを食べていると、一人の客が入って来た。


「よぉ、来たか…」


とトオルが言う。

私は振り返りその客を見る。

キャップを深く被ったその客は私に顔を見せた。


樹…。


私はスプーンを置いて立ち上がった。


「た…サクラ…」


樹は私の横に座った。


「なにそれ、美味しそうだね」


と樹は私のビーフシチューを覗き込んで言う。


「マスター私にも同じモノを」


本を読んでいたマスターは微笑んで、本を伏せて立ち上がる。


「ウッドベース、マスターしたんだって」


まだ、マスターしたと言える程では無い。


トオルが私たちに顔を近付ける。


「お前と一緒にやったらどんな感じだろうって言うからさ、今日呼んだんだよ」


小声で言う。


え、樹とやるの…。

此処で…。


私は店の中を見渡した。

少ないが客もいた。


やっぱり緊張するな…。


私はビーフシチューをまた食べる。


マスターが樹にビーフシチューを運んで来た。


「あと、何にしようかな…」


と樹は棚に並ぶお酒のボトルを見ている。


「おい、飲むのかよ…」


私は小声で樹に訊いた。


「ん…。飲むよ。成人してるし」


樹は顔色も変えずにサラッと返してくる。


くそ…。

良いなぁ…。

私も飲みたい。


私は樹を睨んで、ビーフシチューを食べた。


「ラフロイグをロックで」


樹が注文すると、トオルはボトルとロックグラスをカウンターに置く。


ラフロイグってアイラじゃん。

そんなの飲める様になったの…。


私は樹がやる事が気になって仕方ない。

私の身体だし…。


トオルは手際良くロックグラスに氷を入れてラフロイグを注ぐ。

琥珀色の綺麗なお酒。


「はい。ラフロイグのロック」


トオルは樹の前にグラスを置いた。


「そんなお酒、飲めるの…」


私は小声で訊いた。


「ん…。最近めっちゃ飲んでるよ」


と私を見て微笑む。


私は複雑な気分。


また入口のドアが開き、客が入って来る。


「お、揃ってるな…」


その客はそう言って私の横に座った。


「トンさん、遅いよ」


トオルはその客をトンさんと呼んだ。


樹が私に近付き、


「東山さんって言うんだ。東山だからトンさんね」


と、説明してくれた。

そのくらい全てにおいて説明してくれないと普段の生活に支障を来たしてるんですけど…。


「俺もそのラフロイグをくれ」


と、トンさんがトオルに言う。

トオルはロックグラスを出してトンさんのラフロイグを作った。


「どうぞ…」


トンさんにグラスを出すと、トンさんはそのラフロイグを殆ど一気に飲み、顔を顰めた。


「美味いね…。もう一杯」


と、トオルの前にグラスを差し出した。


「あ、紹介しておくよ。こっちがトンさんで」


と、私の格好の樹に言う。


「そしてこの子がサクラさん」


「サクラです」


「東山です」


と二人で挨拶している。


トンさんはステージを見渡して、ウッドベースが出ているのを見付けた様だ。


「タツキ、ウッドベース弾ける様になったのか」


と、私の背中を叩いた。

私は、トンさんに微笑んで、


「弾けるって言うか、何とか音が出せるって感じかな…」


そう答えた。


「お前は飲み込みが早いもんな…」


そう言うとトオルが出した二杯目のラフロイグを一口飲んだ。


「酔う前に一曲やってみるか…」


と、トンさんが立ち上がる。

私はそのトンさんを目で追った。

すると私の後ろから、


「トンさんは凄いドラマーだよ」


と樹が説明してくれた。


「タツキ、トオル」


ステージからトンさんが私たちを呼ぶ。

トオルはカウンターから出て、私の肩を叩く。


「行くぞ…」


トオルはステージに上がり、ギターを持った。


「サクラさんも…」


私は樹を見て、微笑んだ。


私たちもステージに上がった。

疎らだが生演奏を目当てに来ている客も居るのだろう。

皆がステージの方を見ていた。


初めての樹とのセッション。


「この曲わかるか…」


と、トンさんが楽譜を取り出した。

私たち三人はコクリと頷く。


「じゃあこれにしよう…。年末だから…」


トンさんはそう言って笑った。

そして静かにドラムを叩き始める。

私はそれに続いてウッドベースを、トオルはギターの弦を弾いた。


次第にイントロになって行き、トオルはメロディラインを弾き始めた。


良い。


私は身体に染み込んで行く様な音を感じていた。

曲は九十年代のやんちゃなバンドのバラード。

この曲なら樹もトオルも知っているかもしれない。


樹が私に近付いて来る。


「一緒に歌おう」


そう言って、私の前にマイクスタンドを立てた。


嬉しそうに私の顔を見ながら笑っている。


そうなんだよ…。

音楽ってこうやって笑いながらやるモンなんだよ…。


私は身体を揺らしながらベースの弦を弾いた。


サクラの澄んだ声で歌が始まる。

その声にトンさんは少し驚いた様な顔をしている。


樹が私の歌うタイミングを振って来た。

その後のパートを私が歌う。

そしてサビに入ると上手くハモる。

天才的なセンスを持っている。

曲調に合わせた優しいドラムとメロディライン。

控えめなウッドベースの音が合っていた。

初めてセッションしたとは思えない音だった。


樹が被っていたキャップを取ると、曲に聴き入っていた客席がどよめく。

カナリアンハミングのサクラだという事がわかったのだろう。


男性ボーカルの曲をサクラの声は綺麗に歌い上げる。

私が今度はハモる。

打ち合わせも無く、上手く歌い上げた。


客席から拍手が起こった。

客もそうだけど、演奏していた私も感動していた。


シンバルを手で止めたトンさんが、


「いいねぇ…。何か久しぶりに鳥肌立ってるよ」


と言った。


私はトオルの表情を見た。

この間と同じ様に満足そうな表情だった。


マスターも立ち上がって拍手していた。


「どうする。もう一曲やってみる」


トンさんはニヤリと笑っている。


「サクラさんってカナハミの子だろ」


樹は振り返ってニヤリと笑っている。


「俺、カナハミのオーディナリーデイズが好きなんだ。歌ってよ」


と言うと、有無を言わさずドラムを叩き始めた。


トオルを見ると、私に頷いていた。

この曲は練習したので、私にも弾ける曲。


樹も私に頷く。


二曲目が始まる。


私は心が躍っている様だった。

トンさんのドラムが私の身体に響き、トオルのギターの音色が刺さる様に聴こえる。

そして私の声が店中に広がって…。

私はその曲に重厚感のあるリズムを刻んて行く。






もしも私が居なくなっても

あなたはいつもの日常を

生きていくのでしょうね

もしもあなたが居なくなったら

わたしも日常を生きていくのかしら

そんな事わたしにできるのかしら






樹の歌うオーディナリーデイズは少しアレンジされていて、それがこの店で歌うそれに合っていた。

やっぱり樹は天才だ。


ギターもトオルがアレンジしていて、綺麗な曲に仕上がった。


樹のビブラートを効かせたロングトーンがいつまでも響いている様で、曲が終わってもその余韻が残っていた。

私は最後の音を出した後、目を閉じた。


大きなステージで歌う水島桜子の姿が浮かぶ。


店の中が静寂に包まれる。

そして大きな拍手が鳴り響いた。


樹はその客に深く頭を下げている。

私たちも同じ様に頭を下げた。






今夜も雪になるという事で、マスターが早めに店を閉めた。

私たちはセッションの余韻を楽しみながら駅へと向かった。

トンさんと樹は良い感じに酔っている様だった。


「あの店って現役のアーティストが来たりもするんだ」


トオルは私に言う。


「テレビなんかでやるより、あの店でやりたいってアーティストも多いんだぜ」


そうかもしれない。

あの感動はなかなか味わえるモノじゃない気がする。

私もテレビでもステージでも、あんなに鳥肌が立った事は無い。


駅前の広場で歌っているバンドが居る。

トンさんと樹はそれに吸い寄せられる様に歩いていた。


「止めろ下手くそ」


「騒音だよ、騒音」


「帰れ、帰れ」


と野次が飛んでいた。

確かに酷い音だった。

まだ始めたばかりなのか、相性が悪いのか…。


その妙な人だかりの中を私たちは割って前に出る。


ん…。


私はそのドラムを叩く男の顔を見た。


宮脇…。


「あれって宮脇じゃないか…」


トオルが私に言う。

確かに宮脇だった。

ペットボトルが投げ付けられ、ギターとベース、キーボードは弾くのをやめた。

しかしドラムの宮脇だけは叩き続けている。


そして演奏をやめた三人は楽器を置いて、ペットボトルを投げ付けた連中に殴りかかった。

そのまま人だかりを抜け、広くなった場所で殴り合いの喧嘩を始めた。


おいおい…。


私たちは人だかりがその喧嘩の方へと移動して行くのをみた。


「熱いねぇ…若い奴ってのは…」


トンさんはそう言って、


「じゃあ、俺こっちだから…」


と、歩いて行った。


ピーピーと笛の音がした。

数人の警察官が喧嘩をしている連中の中に警棒を持って飛び込んで行った。


あーあー。


私はトオルと樹と顔を見合わせて苦笑した。


そして、私はドラムを叩き続ける宮脇の傍に行く。

もうギャラリーは一人も居ない。


宮脇は私の顔を見て、ドラムを叩くのをやめた。


「上村…」


私は宮脇に微笑んだ。


「良いのか…あいつら…」


宮脇は警察に連れて行かれる連中を見た。


「ああ、喧嘩っ早いのはわかってたんだけどな。今日は中止だな…」


トオルも私の横に来た。


「叩けるんだな、ドラム…」


と宮脇に訊く。宮脇は、


「ああ、親父がドラマーなんだよ。俺も二歳から叩いてるよ」


私たちは顔を見合わせた。

そして投げ出された楽器を取る。


「おい、お前ら…」


宮脇は眉を寄せて私たちを見ていた。


「アイツらどうせ、帰って来ねぇだろ。ちょっと付き合えよ」


トオルは宮脇に言う。

宮脇は不思議そうな表情を浮かべて、椅子に座った。


私はベースのストラップを調整した。

既にトオルはギターの音を出し始めていた。


樹はキーボードの前に立ち、マイクを自分の方に向ける。


「お前ら出来るのか…」


宮脇は私に訊いた。

そして、譜面台に置いてあった楽譜を見た。


「サクラ、どれ歌える…」


トオルが訊く。


「さっきやった曲があるよ。これにしようよ」


と樹が譜面を振っていた。


「わかった。宮脇、これにしよう」


と私は宮脇の譜面を差し替えた。


「あ、ああ…」


さっきはトンさんのドラムに合わせて始めたが、今回はいきなりトオルのギターに合わせて曲が始まった。

それに樹の弾くキーボードも入って来た。

私は、トオルのギターに合わせベースを鳴らす。


宮脇はその音に驚いた表情で、遅れを取らない様にドラムを叩き始める。


私たちの音が始まると、目の前に雪が舞い降りて来た。


雪だ…。


私はベースを弾きながら、雪の舞い落ちる空を見た。


さっきよりもパワフルな音でトオルはギターを鳴らす。

キーボードが合わさる事で、さっきよりも奥行きがある音が仕上がって行く。

そして何よりも宮脇のドラムは正確で、良い音を出していた。

多分、トンさんに匹敵するレベルなのかもしれない。


トオルのアレンジで少し長めのイントロが終わった。

キャップを深く被る樹が歌い始める。


さっきも言ったが九十年代のやんちゃなイメージのバンドの曲だが、しっとりと歌い上げるバラード。

このバンドの他の曲も独特のセンスの上に作られているが、激しい曲調のモノが多い気がする。

その中でもしっとりとしたこの曲は珍しいバラードだったりする。

私は以前から好きなバンドで、その中でもこの曲はカラオケでも歌う程だった。


樹の声が響き始めると、喧嘩の回りに移動していた連中がその音を聴いてこっちへ戻って来た。

アランの客よりも多い。


ベースを弾きながら樹の傍に移動して私も歌う。

そしてハモりながらサビに入る。


ギャラリーはどんどん増えて、私たちの周りを完全に囲んでしまった。

花壇に上って見ている人もいる。


私は笑顔のトオルと樹を見た。

そして宮脇も見た事の無い様な笑顔で叩いている。


うん。やっぱり音楽は笑顔でやるモノだ。


私は嬉しかった。

こんな楽しい音楽を出来る日が来るなんて…。

アイドルとして深夜番組なんかをやっている時にそんな気持ちになった事は無い。

やっぱり樹に感謝だ。


私の声は雪の降り始めた周囲に響く。

駅へと急いでいた人足を止め、私たちの音を聴いていた。


大サビになり、私と樹は上手くハモりながらさっきよりもビブラートを効かせる。

酔っている方がその辺りの音は上手く出ると樹は言っていた。


雪がだんだん強くなって行く。


僕らの町に今年も雪が降る…


樹は最後の音をアレンジして一音、二音上げてロングトーンで引っ張った。


全ての楽器の音は雪に消される様に無くなった。


周囲は静まり返る。

そして誰かの拍手の音を合図に大きな拍手が起こった。


トオルの前に置かれたギターのハードケースにお金が投げ込まれていく。


「投銭貰ってるの…」


私は余韻に浸る宮脇に訊いた。

宮脇は我に返り立ち上がった。


「多分、ケースのしまい忘れだな」


そう言って笑った。






その後、宮脇たちの楽器を片付け、駐車場に止めた車の中に放り込んだ。


投銭でもらったお金の中には一万円札もあったらしい。

宮脇はお金で興奮しているのではないのだろうが、ハイテンションだった。

投銭でファミレスでも行こうと誘われたが、水島桜子が居る事を説明するのが面倒なので、解散する事にした。


樹は駅前からタクシーで帰って行った。

私は雪で止まる前に電車で帰る。

トオルも歩いて帰れる場所にいるので歩いて帰った。


雪の中のストリートライブ。

初めての経験だった。

宮脇があんなにドラムが上手いとも思わず、私も興奮していた。


家に帰ってもまだその興奮が冷めなかった。






翌日、私が起きたのは昼前で、本当にダメ人間になりそうだ。


朝から塾に行っていた奏美が帰って来ると大声で私…ではないのだが、を呼んでいた。


そして私の部屋に飛び込んできた。


「お兄ちゃん」


私は奏美に、


「おいおい、ノックくらいしろって言っただろ」


と言うがそんな事は聞いていない様子で、私にスマホを見せて来る。


「これ見てこれ…」


スマホに映る動画は、間違いなく昨日私たちがやったストリートライブの様子だった。


「これ、凄い話題になってるみたいよ…」


奏美は私に顔を寄せて一緒に動画を覗き込む。


「これってお兄ちゃんたちでしょ…」


紛れも無い私たちの映像だ。


「うん…」


私はスマホの画面を見たまま答えた。


「この人って、サクラでしょ…」


奏美はキャップを被る樹を見てそう言った。


私は、無意識に頷いた。


「うん…」


桜子だとわかるだろうか…。


「ネットにも書いてたよ。サクラのゲリラライブって」


もしかすると…。


少し厄介な事になりそうな予感がして来た。







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