Emerald Sword9
炉に入った炭へとふいごで風を送って温度を上げ、同時に錬金術で素材へ干渉して融点を下げる。
重要なのは混ぜ方だ。
錬金術の本懐は卑金属を貴金属へと作り変える事であるが、その技術の一端を担うのが物質の再構成である。
「イサラ」
「なんでしょう」
金属に錬金をかけながら近くにいたイサラへ手招きをすると、彼女はこちらに顔を近づけてきた。
そんな彼女の首筋に手をやり、滑らかな髪の中にいる妖精の身体を捕まえて、その羽を指でなぞった。
「妖精の鱗粉は身体から離れるとすぐに消えてしまうからな……」
乙女の首元に失礼をした言い訳のようにそうぼやきながら、指の先についた粉を坩堝へと落とす。
これは
髪、歯、その上から酒を一回し。
水蒸気が立ち上る中に塩を流し込んで反応を促進し、隠し味に砂糖を少々。
「これって今何をやってるんだ?」
「金属を小さな小さな粒に分解して、新しく並べ直してるんだよ」
「それって普通に溶かすのと何の違いがあンだ?」
「
「そんなの作ったって重くて持ち運べないんじゃないか?」
「そこは高めた強度で体積を減らして補うわけだ」
コダラに説明をしながらも手は止めない。
反応促進のための素材をふんだんに使ったからか、喋っている間に完成してしまいそうだったからだ。
「イーダの奴が砦攻めに行ってなかったら炭を使わずに済んだのになぁ」
「仕方ないだろ、魔法使いってのは貴重なもんだ」
まぁ、炭の節約という意味で時間をかけないレシピを選択したというのもある。
俺はかまぼこ型の鋳型を火ばさみで近くへ引き寄せ、坩堝を持ち上げようとしたのだが……それを横から伸びたコダラの大きな手が止めた。
「そりゃあ無理だ、俺がやろう」
「じゃあ頼む」
火ばさみを渡すと、彼は大きな坩堝を軽々と持ち上げ、鋳型に中身を流し込んでいく。
マッキャノ族の地では
「あぁ……こうなっちゃったか」
伝承通りならば、それは美しい紺碧の地金を見せるはずだった。
だが煙を上げながらその姿を現したその金属は、紺碧というよりはむしろ緑色になってしまっていたのだった……
「やっぱ根本的に
「いや、フシャ様よう、これ……」
「本当はもっと青い色が出るはずだったんだけどなぁ」
「俺も実家にいた頃は色んな金属を見てきたたけどよ、緑色の金属なんて聞いた事もねぇよ、これで剣なんか作れるのか……?」
そう言いながらなんだか心配そうに頭を抱えるコダラの背中を、俺はポンポンと叩いた。
「大丈夫だよ、これで作られた剣がちゃんとマッキャノ族に伝わってるんだってさ」
「全然大丈夫じゃないけどよ、その剣を打ったっていう鍛冶師と一度話してみてぇな」
まぁ、合金自体は割と簡単に作れたから、たぶん世界のどこかにはこれで剣やら何やらを打ちまくってる奴らがいるとは思うんだけどな。
耳長先生の言っていた、伝説がどうこうってのも……
あくまで、ここらへんでは珍しいってぐらいの話でしかないのだろう。
時代が進むにつれ、伝説が伝説でなくなっていくなんて事は、前世でもよくある事だった。
「とにかくさ、これで一本剣を打ってみてくれよ。拵えはまぁ、なんか伝説の剣っぽい感じで」
「伝説の剣ってのがどういう拵えなのかはわからねぇが、とりあえず豪華な感じにしとけばいいのか?」
「それでいい、任せるよ」
「俺ぁ剣専門じゃないからよ、あんまり期待しねぇでくれよな」
「期待してるよ」
「へっ、
ぶつぶつと文句を言いながらも、さっそく準備にかかったコダラに後の事を丸投げして、俺とイサラは鍛冶場から出た。
火に炙られて火照っていた顔が、冷たい空気に冷まされて気持ちがいい。
ひと仕事終えた後の解放感に浸りながら歩き出すと、城の正門から騎士たちの声が聞こえた。
野太くも明るいその声は……
砦攻め作戦の第一波、その大成功を伝えに走ってきた、先触れを迎えた者たちの上げた歓声なのだった。
—-------
それこそが太古から定められた
ある者は鍛冶の道を極め、ある者は酒造りを極め、ある者は歌い奏でる事に命を捧げた。
芸を極め、神の領域を目指さない
そう言われて育った俺は、長じて生家を飛び出した。
理由は簡単だ、生家は鍛冶屋で、兄がその家を継いでいたからだ。
「俺は俺の鍛冶の道を見つける! 短い人生だ、俺は自分で稼いで自分の鍛冶場を持つんだ!」
俺は歴史に名を残し、永遠に残るような大業物を打つ。
そう宣言して、その志やあっぱれと見送られ、故郷を後にした。
ただひたすらに上を目指し……その過程で志半ばにして死んだならば、それはそれで良かった。
だが、人の世は難しかった。
「
「なぜだ、腕は確かだ! 試してみてくれ!」
「腕は関係ない、
どこの鍛冶場に行ってもにべもなく断られ、路銀の調達にすら困る有様。
身体だけは丈夫な俺は、仕方なく荷運びや工事の仕事を貰い、爪に火を灯すようにして貯めた金を使って次の町、また次の町へと旅をした。
だが、どこへ行っても
八方塞がりの中、痩せた財布を絞って酒場で飲んでいた俺に、酔客が絡んだ。
「あんだお前、
「ビートゥから出てきたものだ」
「ああ、
「そりゃあ、鍛冶を極めるためだ」
俺がそう言うと、猿人族の酔客は一瞬押し黙ってから大声で笑った。
「鍛冶を! うひゃひゃひゃひゃ! そりゃあいい! お前みてぇな奴がここらへんにもいるぜ! 西の橋を渡ったあたりによぉ!」
「そうなのか?」
聞くと、隣の
「でもよぉ、ありゃあもう死んだんじゃねぇか?」
「俺ぁこないだ見たぜ、ここらへんまでゴミ漁りに来てんのをよぉ」
「ゴミを?」
「そうだよ、
酒場の喧騒の中に「終わりだよ」という男の言葉が大きく響いた気がした。
そして同じ地にいるという同族が気になった俺は、翌日の早朝に村の西の橋を渡っていた。
そこから昼頃まで探し回ってようやく見つけたその鍛冶場は、もうほとんど崩壊寸前。
中にいたのは、もう服とも呼べないようなぼろを纏った、髭だらけの
「あんだ、お前は?」
「鍛冶屋がいると聞いてきたんだが……」
髭の
「仕事か? 言っとくが、俺は槍の穂先しか作らねぇ」
「槍の穂先だけ?」
「そうだ、俺は天才だ。槍の穂先ならどこのどいつにも負けねぇ、
炭もない鍛冶場で、
「だけど、こんな所じゃあ客は多くないんじゃないか?」
「今はたまたまだ。俺は槍の神に身を捧げて、道を極めたんだ。いつか世界に俺が必要になる時が必ずやってくる。若ぇの、お前も道を極めていけば必ずわかる」
血走った目でそう言う彼に、俺は何も言う事ができなかった。
同時に、
鍛冶を極めるために、神に近づくために、故郷を出たはずだった。
だが、その後も旅を続ければ続けるほど、あの
ああはなりたくないと、そう思ってしまったのだ。
鍛冶を極めた先にあるのがあの
気がつけば、俺はある傭兵団に潜り込んでいた。
故郷をなくしたキントマンという猿人族が頭の、あぶれ者の掃き溜めのような傭兵団だ。
旅を続けていれば武芸の心得だって多少は身につくもの、俺は戦斧を使う戦士として戦列に加わった。
あぶれ者ばかりのせいか、どいつもこいつも割と人懐っこく、俺はすぐに皆と打ち解けて……
故郷を出て以来久しく感じる事のなかった、家族といる安心感というものを、キントマンの団に感じていたのだった。
そして傭兵団と共に旅をしていくうちに、俺はだんだん小さな鍛冶を任されるようになった。
持ち運びができる鍛冶道具を買い与えられ、日用品の簡単な修繕や、剣や槍の研ぎ、鏃作りを担うようになると……皆が俺を頼りにしてくれるようになる。
そうすると、俺も自分の技術の限りにそれに応えたくなり、どんな事でもなんとかしてやろうと頑張った。
「コダラよお、お前、髪飾りなんて作れねぇか?」
「髪飾りぃ? おめぇがつけるのか、似合わんぞ?」
「バカ野郎! 女だよ! 女!」
「ティルダよお、そういうのはな、ちゃんとそういう店で買え」
「チェッ、あんだよ、コダラができねぇってんならしょうがねぇな」
「できねぇなんて言ってねぇだろ!」
「さっすが
「ふざけんじゃねぇぞ!」
それは故郷を出た時以来、久しく感じていなかった……鍛冶への充足感に包まれた日々だった。
そんな黄金のような日々にも、突然終わりはやって来た。
依頼主に嵌められたのか、偶然だったのかは未だにわからない。
ただ、俺たちは戦いに出た先で
「もう、やめちまうか……」
キントマンのその一言に、反対する奴は一人もいなかった。
俺たちはぶっ殺した
そしてキントマンはそこに、俺の鍛冶場を建ててくれた。
皮肉なもんだ。
旅の始めにいらねぇと思った
それを突然亡くしたと思ったら、旅の始めに求めた
神様よう、一度に両方手に入れるのは贅沢だってのか?
神に殉じる道は、
そんなもんなら、もういらねぇ。
歴史に名を残す事も、永遠に残るような大業物を打つ事も、もう望まねぇ。
だから……どうかもう、これ以上俺から誰も奪わないでくれねぇか。
「でもよぉコダラ、お前は残った側なんだぜ。生き残ったんだよ。それだけで儲けもんじゃねぇか、難しく考える事なんか何もねぇじゃあねぇか」
だが、いつも俺を無理難題で困らせたティルダが、空の上からそう言ったような気もした。
たしかに、俺は生きている。
キントマンも、何人かの仲間も、生き残ったんだ。
傭兵として生きていくのなら、それ以上の贅沢はなかったのかもな。
「コダラさん、釘ぃできてるかい?」
「ああ親方かい、できてるよ」
「あんたの釘いいよ、粘り強くて木によく食いつく」
「そりゃあどうも」
しかし、俺はまた鍛冶屋として歩き出したのだ。
荒事から足を洗った傭兵団の仲間を食わせていくために、そして鍛冶場を持たせてくれたキントマンに恩を返すために。
行ったり来たりの人生だが、その間に色んな物に揉まれたという事もあってか、鍛冶師としての暮らしは順調だった。
客や仕事を選ばない俺に、
鍛冶場はそこそこ繁盛し、手伝ってくれている傭兵団の皆が忙しいと文句を言うぐらいだ。
昔のように大志なんかないが、これはこれでいい暮らしなのかもしれねぇ。
だが、そんな田舎の暮らしも、そこまで長くは続かなかった。
「永遠、か……」
旧友からの手紙を受け取ったというキントマンが、なんだかそわそわし始めたからだ。
キントマンがこうなると、次の旅が始まる。
傭兵団のみんなはそれを知っていたから……
キントマンの「ここで待っていろ」という置き手紙の指示も聞かず、全員がすぐに奴の後を追った。
俺も、鍛冶場の扉に「傭兵の仕事に出ます」という札をかけ、戦斧を担いでそれに続く。
手に入れた鍛冶場を捨てる事も、命を捧げようと思っていた鍛冶の道から逸れる事も、少しも惜しくは感じなかった。
俺はもう、鍛冶と家族のどちらを手の内に残すか、しっかりと決めていたからだ。
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