お化けと逃避行
「あら、竹江さん?おはようございます」
腰を曲げてドアから出てきた大家さんは、真っ直ぐに俺を見ていた。
「さっき誰かと話してるように聞こえたんだけど...、ひとりかしら?」
大家さんは首を傾げる。
その目にアイは見えていないらしい。
「い、いやいや、ひとりですよ。さっき子供達が歩いていったんでその声ですかね。あは、あはは」
俺はホッと胸を撫で下ろしそう答える。
「あらそう。元気でいいわねえ。それでどうしたの?お家でお困りごと?」
「あ、いや違うんです。そのー、俺の部屋って以前はどんな人が住んでました?」
もし誰か自殺でもしていたら...。
そんなことは教えてくれないかもしれないが、大家さんの反応に可笑しな点はないか、俺は恐る恐る聞き、身構えた。
「ああ、私よ」
が、大家さんがあまりになんでもないことのように答えるので、拍子抜けする。
「え?」
「竹江さんの部屋は、前までずっと私が住んでたのよ」
「え?でもここは?」
大家さんの背後、彼女が出てきた部屋を指差す。
「もともと息子夫婦が住んでたのよ。でもこの間出て行って。竹江さんを下に追いやって大家が上の階に住むのも悪いでしょ?それにこの年になると階段を登るのも結構辛くてね。竹江さんも入ってくれるって言うし、私が一階にうつったの」
大家さんは柔和な笑みを浮かべる。
「えっとそれより前って...?」
「誰も住んでないわよ。ここを建てたときに私とお父さんで住んでた部屋だから。どうして?何か変なものでもあった?」
俺は横目でチラリとアイを見やる。
「いっくぜえええええええ」
暇なのか、遠くから思いっきり走って大家さんに抱きつこうとする。
「うひょー」
が、すり抜けてしまったようで、「おお!」と感嘆の声を漏らしている。ヒヤヒヤするから本当にやめて欲しい。
変なもの、ありました。
お化けです。それも変なお化け。
二重に変です。
「いえいえ、とんでもないです!とても素敵なお部屋で」
心の声を押し込めて、かぶりをふる。
「あらそう?よかった〜。事故物件だなんて言われたらどうしようかと思っちゃった。でもどうしてそんなことを?」
立派な事故物件です。ええ。
「ああ、ええっと...、だ、大学の休みの課題で自分の住んでる家の歴史を調べるというものがありまして。それで」
我ながら咄嗟にしてはいい嘘を思いつくものだ。意外と俺は嘘が上手いのかもしれない。
「あら!そうなの。勉強熱心ね。それならこのアパートが建つ前のことは息子に聞けばいいわよ。来週帰ってくるから声かけてあげる」
「本当ですか。それは助かります」
そしたらあいつ、アパートになってから死んだ霊じゃないのか?
その前にここに建っていた何かで死んだのか...。
「おおー!ラッキーじゃんラッキーじゃん!そうか私このアパートには関係ないんじゃん。じゃああの部屋で蓮と合ったのはたまたま?蓮ラッキーじゃん!よかったねーあんたあ」
いつの間にか背後にいたアイは、大家さんの話を聞いていたのか、見えてないのを良いことに、俺の背中をバシバシと叩く。なかなか痛いんだが。
「あら?」
突然、大家さんが目をこする。
「どうしました?」
「いや、いま一瞬あなたの後ろに誰かいたような...」
「「へっ!?」」
俺とアイの声が重なる。
「制服?を着た可愛らしい女の子がいた気がしたんだけど...。誰もいなかったわよね?」
まさか、大家さんにも見えるのか?
「あの、今は誰も見えてないですか?」
「ええ。気のせい、よね...?部屋に誰かと住んでたりする?」
「いやいや!まさか...!も、もちろんひとりです」
俺は手を振り必死に弁明する。
仮にお化けと住んでいるとバレたとしてそれが契約違反に当たるのかは疑問だが、変な誤解を招きかねない。つまり面倒だ。
「そ、そうよね」
いつ見えるかわかりかねん。
ここはひとまず退散じゃい。
「ええ。そうですそうです!そしたら息子さん帰られたら教えてください!あ、そうだ用事が...!すみません、では!」
大家さんはどこか釈然としない様子だったが、俺は勢いに任せて否定を重ね、アパート前から退散するべく脱兎の如く地面を蹴った。もちろん、実際はただの小走りだ。
後ろからトトトっと着いてくるアイは、
「なんだか逃避行みたいで楽しいね」と呑気なことを。
「逃避行って、昭和か」
夏の日差しと自分の汗、それから蝉の鳴き声にまにれ、俺たちは走った。
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