スタッフが美味しくいただくためのシェフ
石原宙
前編
「お疲れ様でしたぁー!」
ディレクターのドラ声がスタジオに響く。
拍手の中、放送開始3年目の裏ワザ番組『裏ワザ発見伝!』の収録が終了した。
出演タレントとメインスタッフが挨拶交わし、下っ端たちが各自自分の仕事に散っていく。
一方、番組制作会社の新人AD、加藤花奈の前には雑に扱われた食材の数々が並んでいた。
ペットボトルで吸われた卵の黄身。
パイ投げで使われた生クリームパイの残骸。
ロシアンルーレット用の大量わさび入りシュークリーム……。
裏ワザ番組のはずなのに、なぜか伝統的なバラエティ番組で使われるものが混じっているのは、担当ディレクターの趣味だ。
そのディレクターが加藤へ、収録で使われた食材の処理を指示する。
「これお前処理しとけー」
「はーい……」
面倒ごとは一から十まで加藤の仕事だった。
とは言え、文句だけは言っておきたい。
「あの、もうちょっと食べ物は丁寧に扱えませんか……?」
何もここまで散らかさなくてもいいでしょう。
撮れ高がどうとか絵面がどうとかで、食材を無駄使いするのを加藤は見ていられなかった。
これじゃ食べ物で遊んでいると視聴者に思われても仕方ない。
しかし逆に、馬場から「馬鹿野郎!」と怒鳴られる。
「食材はな、不道徳に扱った方が面白いんだよ!」
馬場は今年で53歳、入社から昨年までバラエティ畑で育った筋金入りだった。
バラエティ畑というものは、鼻をかんだ後のちり紙とかたばこの吸い殻とかおっさんの吐いた臭い唾とかそういうものが肥料となり肥沃な土壌をつくる、ろくでもないところだ。
そんな道徳の焼け野原で育ったのがこの男。
しかし昨年、バラエティ番組での過激な演出がネットで炎上し、それが理由でこの番組の担当に飛ばされてきた。
「でも、もう少しやりようが……。最近若い世代の支持も落ちてきてるそうですし」
馬場の演出は古かった。昔の良かった頃の感覚から抜け出せていないと加藤は思っていた。
それが視聴データやアンケートでも浮き彫りになっている。
食べ物を雑に扱うのもそうだし、裏ワザ番組なのになぜかパイ投げが始まったり、罰ゲームでわさび入りシュークリームを食べさせたりするのも、過去のバラエティ番組での成功体験を引きずっているようにしか見えなかった。
しかし馬場はそれを認めない。
「ものの良さがわかんねえガキは黙ってろ! 人間年とらねえと味が出てこねえんだよ!」
古臭い味しか出てないのでは、なんて加藤に言えるはずもない。
暴言を吐いて去って行く馬場。
「はぁ」
そんなもん適当に処分しとけよと、先輩ADにはそう言われた。
けれど、そういうわけにはいかなかった。
加藤は米どころで知られる田舎の出だった。
母親に口を酸っぱくして言われた――食べ物は粗末にしてはいけません。
食べる前には手を合わせ、頭を垂れて、生産者さんや命に感謝。
加藤家は代々田んぼを持っていて、毎年秋には彼女も収穫を手伝っていたこともあり、食べ物を尊ぶ考え方が身体に染みついていた。
「どうしよ……」
綺麗なまま残った料理なら、激務の中のわずかな楽しみとしてありがたくいただくことはできる。
だがタレントの食べかけや、今回のようになにがしかの実験で雑に扱われた食材だとそうもいかない。
――すると。
「お困りですか?」
真っ白なエプロンを翻し、何者かが現れた。
コックコートに身を包み、頭には丈高のコック帽、一見してフランス料理のシェフを思わせる謎の男。
見た目は20台後半か。王子様のような端整な顔立ちをしていた。
所作は優雅にして鷹揚。切れ長の目には一抹の揺らぎがなく、自らへの信頼と肯定感にあふれた人間のそれだった。
「あなたは?」
「『スタッフが美味しくいただくためのシェフ』です」
「もう一度」
「『スタッフが美味しくいただくためのシェフ』です」
「……どういうことです?」
「よくありますよね。バラエティ番組のテロップで『使用した食材はスタッフが美味しく頂きました』と出るあれ」
「ええ、今回も出すつもりですが」
「だから『スタッフが美味しくいただくためのシェフ』です」
「……」
加藤はすぐに得心がいかなかったが、目の前の食べることに向かない不遇な食材たちが再び視界に入ると理解した。
「なるほど!」
これは渡りに船だった。
食と言えば三大欲求の1つ。世の中には料理や食材を利用する番組は多い。
きっと自分が抱えているこの問題は、全国の下っ端ADたちも困っていることに違いない。
それを解決するためにこの男はいるのだ。
ぜんぜん知らないが、全国AD救済組合とかそういうところから派遣されてきたのだろう。
見たところ、なかなか腕のありそうな男。
加藤は期待のまなざしを向けた。
「まずはウェルカムドリンクを」
男はさっそく、卵の黄身が入ったペットボトルを手に取った。
それは、卵の黄身だけを取り出すには空のペットボトルで吸い出せばいいという、あちこちで何度も擦られた裏ワザを披露するために使われたもの。
「それをどうするんです?」
男は加藤の質問にウインクで返すと、持ち込んだスーツケースの中から何かの瓶を取りだした。
それを傾け、透き通った琥珀色の炭酸水を卵の入ったペットボトルへ注いだ。
「あの……それは?」
「日本シリーズ優勝のビールかけで使われたビールですよ」
「ビールかけのビール?」
テレビで何度か見たことがある。優勝の喜びをわかちあうために選手たちが大量のビールをかけあう、文化系女子の加藤にとっては謎に満ちた儀式だ。
「監督が頭からかけられたビールだけを丁寧に抽出した上物ですよ」
「気持ち悪いな!」
確か優勝監督は60歳くらいの脂ぎったおじさんだった。
シェフの男は、バーテンダーがカクテルを作るように卵と監督エキスを含んだビールをペットボトルの中で混ぜ合わせる。
みるみるうちに、それは好き通った琥珀色から、ミックスジュースを思わせるクリーミーな色に変化を遂げた。
「こちらエッグビールでございます」
「エッグビール?」
「あー喉渇いたな。誰か飲み物持ってないかー?」
するとそこへ、ディレクターの馬場がドラ声を響かせながらやって来た。
馬場は「おっ」と、加藤が手に持ったペットボトルに目をとめる。
「うまそうなドリンクだな! ありがとよ!」
「あ、それは……」
加藤からエッグビールなるものをひったくると、それをがぶがぶと呷る馬場。
そして一気に飲み干すと。
「プハー! うめぇなこれ!」
馬場は毛の濃い腕で口元を拭い、目を輝かせた。
「ビール……なのか? わかんねえけどまろやかで飲みやすいな! 二日酔い気味だったがそれでも飲める!」
馬場は破顔し、「はっは! 気が利くじゃねぇか!」と加藤の背中をバンバンと叩く。
「いった……」
そして去り際、
「加藤。特別に週末の収録は休んでもいいぞー?」
馬場は機嫌良さそうにそう言って去っていく。
あっけにとられる加藤。
馬場がビール党なのは知っていたが、そこまで気に入るとは。
ご機嫌なところに水を差すのも何なので、それ監督のエキス入りですよ、とは言わなかった。
「エッグビールはまろやかで飲みやすく、本来二日酔いのために作られたものなんです。毎晩のように飲み歩くテレビマンにはぴったりでしょう」
「へぇ、そうなんですね」
ちなみに、使ったのはノンアルビールだそうだ。
最近のビールかけでは未成年や下戸にも配慮してノンアルビールも使用されるらしい。
ともかく、それなら職場でのアルコール摂取にもならない。代わりに監督のエキスは摂取しているが。
「でもあれ本当に美味しいんですかね?」
「それはあのディレクターご本人が仰っていたじゃないですか」
「え?」
「年をとった男からはいい『味』が出るそうですから」
◆
そのシェフは加藤にとっての救世主だった。
いつも処分に困る食材を調理してくれる上、憎いパワハラディレクターに一矢報いてやることができた。
「まずは床に落ちた食材たちを拾いましょうか」
「え?」
シェフは汚れた床に片膝を突き、散らばった食材を丁寧に拾い集め始めた。
「たとえ食べられなかったとしても、そのままでは忍びない」
「……そうですね」
加藤の困惑の表情が柔らかい微笑みへ変わる。
この人、食材に寄り添ってる。少なくとも食べ物への愛がある。そう加藤は思った。
何者かと思ったが、どうやらただの怪人ではなさそうだ。
男と一緒にスタジオの床に散らばった食材を拾い集めながら、ふと加藤は気づく。
「あの、これって……?」
加藤が指さしたのは、拾った食材を集めている大きな容器。それは男が持ち込んだものだった。
「金ダライです」
「どうして金ダライ?」
「かつてバラエティ番組で使われた金ダライです。芸人の頭上から降ってくるあの金ダライ。危険だという視聴者からの批判を受けて使われなくなってしまったものを譲り受けました」
確かに最近あまり見なくなったなと加藤は思う。
近年、TV業界はコンプライアンスという言葉に縛られている。
かつては許されていた演出の数々がコンプライアンスという言葉ひとつで禁じ手になり、自由な番組制作が難しくなっていた。
ちょうどいま加藤がさらされている、食べ物を粗末にすべきではないという問題も同じだ。
もちろん、正当な指摘もある。
だが、いきすぎた対応に辟易させられる場面も多かった。
「おっと、これも出しておかないと」
男は、また別の何かを取り出した。
それは長さ1mほどの棒状の厚紙。テープの巻かれた持ち手の部分があり、その逆側は厚紙が折りたたまれており、扇子を思わせる形状だった。
「それって、ハリセン?」
「ええ。数え切れない芸人をしばき倒してきましたが、これも多くの批判に晒されましてね。譲り受けた次第です」
その姿を見た加藤は、何か得心したように、一人うんうんと頷いた。
「なるほど。だんだんシェフのスタイルがわかってきましたよ!」
つまりこの男は、視聴者からの批判に晒され失われた番組内の小道具を駆使し調理するというわけだ!
食材やADを救うだけでなく、コンプライアンスの波にさらわれ用済みとなった小道具までも救うのだ。
古き良き――良きというのはあくまで加藤の主観だが――バラエティ番組に憧れ、業界を志した加藤からすれば、ロマンを感じるスタイルだった。
加藤は頬を上気させて尋ねる。
「じゃ、じゃあ、その包丁は!?」
「普通に通販で買いました」
「なんでよ!」
全然違った。
しかし加藤は思い直す。これは自分も悪かった。
「いやなんか、高く見積もり過ぎちゃったみたいですいません」
何者とも知れない怪人をつい買いかぶりすぎてしまった。
「あの、ちなみにそのまな板は」
「実家から持ってきました」
「ですよね」
人に期待しすぎるのはよくない。加藤は自らを恥じた。
ここは良心の墓場。まともな人間の方が少ないのだ。
「ちなみにそのハリセンはどう使うんですか?」
「完成した料理をしばきます」
「なんで」
「願掛けみたいなものですよ。ハリセンは魔法の棒です。どんなに品性下劣でつまらない芸人も、これで叩かれると笑いになるんです。なら食べ物だって美味しくなりそうじゃないですか」
「なんか口悪いですね」
言いたいことはわかるが、ハリセンを願掛けに使う人は初めて見た。
猪木のビンタが開運に効果があるというのと似た感じだろうか。
そんなことを考えていた時だ。
「ねぇ、何か甘い物が食べたいわ」
聞こえてきたのは、出演タレントの一人の声だった。
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