第3話 隙間
またもやプロジェクトが潰れた。
この時点で四十名の人間が半年に渡ってボツの海を泳いでいる。
さすがに大企業は強い。下手な中小企業だったら倒産していてもおかしくない損失額だった。
パソコン事業と一緒に大人しく人員も引き渡しておけばここまでの赤字は出なかっただろう。このすべてが事業部長の往生際の悪さが招いたことだと考えると嫌になる。
先輩の中にはまだ検収が上がっていなかった機材を返却させられた者もいた。その機材はすでに使い込んでいたので、相手の会社の人間に怒鳴られたそうだ。
「こんなにボオロボロにされたもの戻されてどうしろと言うんだ!」
だが大企業側の無茶はそのまま通さないと以降仕事は貰えなくなる恐れがある。結局は発注先は涙を飲んでそれを引き取った。
この会社はそういうことを平気でする会社だった。
一方でパソコン事業を強奪した部門もひどいものだった。
移籍したWさんがひょいと顔を出す。
いきなりのプロジェクト移行で直前に注文したコネクタ部材二百万円分をどうやって発注先に返そうかと悩んでいたときだった。
「それ、ウチで引き取るわ」
移行伝票を書いてくれた。
アリガタヤと涙が出る。
「嫌~ひどいね」
色々と話してくれる。
残業は月二百時間らしい。休みは無し。朝8時出勤の帰りはいつも終電という話だ。
もちろん労働基準法は完全に無視である。
研究用に購入したパソコンはその日の内に向こうの人間の手でゴミ捨て場に運ばれ、持って帰られる。
窃盗である。こういうことが堂々と行われているとW先輩は呆れていた。
「新しいパソコンが出来上がったのだけど、パソコンの蓋を外すと、基板の上にジャンパー線が盛り上がっているんだ」
ジャンパー線とは回路が間違っていた場合に、間違った配線をカッターで切り、新しい配線で新しく回路を繋ぐ場合に使う。基板改版には数週間かかるので、出荷直前にミスが見つかると間に合わない。そんなときに活躍するのがジャンパー線だ。
「その数何と百本」
無茶苦茶だ。普通ジャンパ線は二本か三本。それでも恥ずかしいのに百本は狂っている。設計方法が根本から間違っているということだろう。
またこうした修正の作業の費用も凄まじいものとなる。
「だから原価率は200%」
つまり一台売ると売り上げと同じだけの金額が赤字となる。
考えてみればあちらの部門の人間のほとんどがパソコン作りは素人なのだから不思議はない。官公庁に納入する大型コンピュータとは根本的に工数や設計手法が異なるので当然こうなるのだ。
向こうもこっちも地獄は変わらずか。嘆息した。
*
またもや作業場が変わった。今度はボロビルではなく本社内の普通のビルの一角だ。
嫌なF主任は消え、先輩たちと机を並べる。
午前は先輩たちは集められて会議だ。午後は戻って来るが、何も方針が決まっていないのでやることがない。
仕方がないので技術雑誌を持ち込み、勉強する。
S先輩は何やらパソコンに向かっている。と思ったらある日呼ばれた。
パソコン画面は暗く、うっすらと何かの盤が見えた。オセロを思わせる映像だ。通りすがりの人に画面が読み取れないように輝度が最低限まで落としてあるのだ。
「これ作った」S先輩は言った。
「遊んでみろ」
白黒を選んでコンピュータ相手とのゲームをする。
自軍の駒を動かし、相手の駒を囲んで動けなくすれば勝ちというルールだ。
「相手の駒の自由度を制限するように思考ルーチンが組んである」
S先輩が説明する。
コンピュータは恐ろしく強かった。何より、単純な思考ルーチンにも関わらず、駒の動かし方がまるで知性のあるものかのように見える。
いや、これこそが知性の本質なのかもしれない。つまり単純なルールが生み出す複雑な結果である。
H先輩はにやにやしながら、私を奥の席に呼びつけると方眼紙を出した。
その上にはサーキットの絵が描いてある。
加減速のルールが説明された。どこかの雑誌で紹介されていたサーキットゲームである。
「よし、やろう。まずはお前が先攻な」
ざっと戦術を組んだ。要は縦軸加速度と横軸加速度の制御だ。これら直交するので個別に扱えばよい。後は相手の駒の位置の予測とそれに対する妨害を考慮すればよい。
「どうしてそんなに強いんだ!」
二度ほど勝つとH先輩は紙を放り出した。
みんな遊んでいる。
上が大迷走をしているのに下が頑張る必要などどこにもない。どうせまたボツになる。
逆算するとこの期間に尊敬する先輩たちは皆辞表を出していたのだと思う。つまり会社を辞めるまでの暇を潰していたのだろう。
「俺は別にあの事業部長の下で働きたくてここに来たのじゃない。パソコンが創りたくて来たんだ。パソコン作らせてもらえないならここにいる意味がないだろう」とはH先輩の言。
真にもってその通り。私も同じだ。
パソコンが創りたかった。それはもうできないことになった。
母をニートの兄から解放したかった。それはもう必要なくなった。
もはやここにいる理由はない。
自分も辞めたい。しかしただのひよっこにそんな贅沢が許されるわけがない。そう思っていた。
三年は勤めよう。それと一つは物を完成させてから辞めたい。
そう結論を出した。
これが人生で最大の失敗の一つである。
この狂気の世の中はわがままを言う者こそ大事にされるのだとまだ知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます