元祖迷惑

石橋清孝

第1話 男子高校生の炎上

 国立桜田大学の心理学研究室。窓の外では新緑が、きらきらと陽光を受けている。研究室の中には、学生たちが集まり、ミーティングをしている様子が見える。中心に座っているのは、佐野教授。彼女は学生たちから深い信頼を得ている、この分野の第一人者だ。


「みんな、今日は急なミーティングを開いて、ごめんなさいね」佐野教授が、最初の言葉を発する。手元には、厚手の封筒が置かれている。「飲食店連盟から、特別な研究の依頼が来ていて……」


 研究室の空気が、一気に硬くなる。


「不潔な行為を公然と行う人々の心理について、調査してほしいという内容なんです。最近、ネットで炎上している迷惑動画のことを、皆さんも知ってると思うけど……」


 助手の美咲が、口を挟む。「そういう動画、見るのも嫌なのに……」


 佐野教授は、美咲の顔を見つめながら続ける。「私も、初めは驚きました。ですが、この問題は表面的な迷惑行為を超えて、深いところで私たちの社会や人間の心に何か影響を与えているのではないかと思うの。だから、考えてみようと思って」


 学生の一人、健太が言葉を挟む。「迷惑動画の背後にある、心の動きや背景を探るのは、確かに面白そうですね。でも、それを研究することで、実際に社会に何か貢献できるんでしょうか?」


 佐野教授は深く、うなずいた。「それが、私にとっても一番の懸念点だけど……。でも、この問題が繰り返される背景を理解したら、予防策や教育方法など、具体的な手段を提案できるんじゃないかな?」


 研究室内は、しばらくの静寂が流れる。みんなが、この研究の意義や難しさ、このチャレンジを受け入れるべきかを、真剣に考えている。


「みんな、この研究をするかどうか、一緒に考えてくれる?」佐野教授の言葉に、ゼミのメンバーたちがうなずいた。



 お昼休みの研究室。ゼミ生たちは昼食をとりながら、様々な話題で盛り上がっている。そんな中、健太が、ある動画サイトの画面を大きな声で紹介する。


「みんな、これ見て!また新しい迷惑動画が上がって、炎上中みたい!」


 美咲は、口にしたばかりのサンドイッチを置きながら、「食事中に、そういう話はやめてよ!」と眉をひそめた。


 健太が話している内容を理解した佐野教授は、急いで指示を出す。「その少年のSNSアカウントを特定して、ダイレクトメッセージを送ってみて」


 健太は、手際よく少年のアカウントを探し出し、メッセージを送る。それから数分後、画面に「助けてください」という返信が表示された。


 佐野教授は瞬時に反応し、健太に指示を出す。「彼に心を落ち着ける方法を伝えて、私たちがサポートする旨を伝えてみて」


 健太は、指示された内容を素早く打ち込み、送信する。美咲は低く、「これで、研究が始まっちゃうな……」とつぶやくいた。



 研究室は、いつもとは異なる緊張感に包まれていた。佐野教授の指示のもと、ゼミ生たちは、それぞれの役割を果たし始める。炎上の事例を探る健太。心理学関連の論文を探る美咲。彼らは慌ただしくデータを集め、それを基に次のアクションを考える。


 夕方には、研究室のホワイトボードには膨大な情報が、まとめられていた。少年の心の動き。炎上に至る背景。そして過去の類似事例。それらをもとに、彼らは少年に、どう接するべきかを議論した。


 深夜、疲れ知らずの学生たちは研究室に散らばり、SNS上での少年とのコミュニケーションを続ける。佐野教授の心理カウンセリングの技術を取り入れ、少年の気持ちを理解しようと努める。彼の不安や迷いを感じ取りながら、言葉を選んで送信する。


 夜が明け、テレビのワイドショーで少年の事件が取り上げられる。しかし、研究室のメンバーが見る少年の姿は、昨夜のダイレクトメッセージのやりとりを通して知った少年とは、まるで違って見えた。研究室の空気は一変、彼らはテレビの報道よりも、直接コミュニケーションを通じて知った、少年の真実を重視するようになっていた。



 家の外が騒がしくなり、大和はベッドから降りた。昨夜は、一睡もしていない。目の下のクマが酷くなっていた。


 カーテンの隙間から外を覗くと、撮影機材を持った人々で溢れている。マイクやカメラ、リフレクターなど、大和にとっては見慣れない機材ばかりだ。どうやら、彼の家が報道の中心になってしまったようだ。


 二階の自室から出て階段を降りると、母親は慌ただしく電話をしていた。声のトーンは困惑と苛立ちに満ちている。大和には、誰と話しているのか分からない。


「大和、食べて」母親が指差す先には、朝食が用意してあった。パンとサラダ、ヨーグルト。シンプルだが、大和の好きな物ばかりだった。


 朝食を食べ始めると、リビングから父親が現れた。髪が乱れており、寝ぐせが付いている。どうやら、大和同様、彼も昨夜は眠れなかったようだ。


「責任は俺が取る」父親は、そう言って、手に持っているVHSテープを見せる。古びたラベルには、何も書かれていない。


 大和には、そのVHSテープの意味が、さっぱり分からない。ただ、父親の表情には決意が浮かんでいた。



 粗い画質の映像が始まる。ノイズを交えながらも、明らかに数十年前のものだと推測される。映像の中には、若い頃の大和の父親が映っていた。一軒の飲食店で、他人の料理に自らの鼻水をたらす場面。別の店では食べ物の上で手をこすり合わせ、その間に落ちてくる爪の欠片を料理に混ぜ込む様子。また別の店では、人目を盗んで客のコップに指を突っ込む行為など、一つ一つのシーンが不潔極まりない行為を、次々に映し出していた。


 映像は進むと、その度に変わる店舗や背景、しかし彼の行為のパターンは一貫していた。彼が悪びれる様子もなく、それどころか、こっそりとカメラに向かって笑みを浮かべる場面も。


 映像の最後には、現在の彼が映し出された。その顔立ちは歳をとったものの、その眼差しは昔の彼と変わっていない。しかし彼は、しっかりと土下座をして、深く頭を下げ、「私と息子の行為、本当に申し訳ありませんでした」と詫びの言葉を述べる。そして、その場面で映像が終了する。

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