5話 いつかの次のアイスクリーム
十二村も出ていき、一太は動けないアイスとふたりきりになる。
「あたしの潜伏場所、どこまでつかんでたの?」
「あと一歩まで」
答えるのが悔しかった。
「身体中が痛い。気を紛らわせたいから具体的に話して」
「なら、今日の晩メシは何がいい?」
「話をはぐらかすんならジョークのひとつでも言いなよ」
ジョークを思いつくほうが難しかった。
「<オーシロ運送>で火災がおきたとき、おれは外から監視してた。そこから怜佳さんを追って<美園マンション>についた。そのあと宿泊客として潜り込んで探ったが、部屋が絞り込みきれなかった。いったんは引き上げてる」
「どの部屋か迷うとこまではいったんだ」
「怜佳さんが訪れた部屋から、クラシックがかすかにもれていた。ここかと思ったが、音楽だけでは断定できない。怜佳さんの協力者が、あなた以外にもいることも考えられた」
「クラシックが好きだとか言ったことあったかな」
「あなたの車に乗せてもらうと、音楽の授業でしか聴いたことがない曲がいつも流れてた。クラシックを聴く人間なんて気取った金持ちばかりだと思い込んでいたから覚えてる」
「あたしのイメージとは真逆だもんね。けど、そこまでつかんでたのに強引に進めなかったのは? フロントに金をつかませて口を割らせるとか、別のやりようもあったはずなのに」
やろうととして、やめた。
思い切れなくなっていた。どんな手段を使ってでもアイスの部屋をつきとめ、高須賀未央を奪って……そこから先に展望を見出せないことが、わかってしまった。やろうとしていることが空虚でしかなくなった。
気の迷いを起こしたかと思ったが、ディオゴの本心を確かめたいまとなっては、間違っていなかったといえる。
「おれも、あなたのことで聞いておきたいことがある」
「一太の答えを聞いてないけど、まあいいや。質問どうぞ。スリーサイズでも何でもおしえる」
「上から、八六、五七 八四だろ?」
「よく知ってたね」
アイスが相手だと野卑なジョークが言えた。
「子どものおれにとって、あなたは気のいいおばさんだった。なのに、おれがでかくなるにつれ、人が変わったようになって戸惑ってた。何かあったのか? それとも、おれがやらかした?」
「あんたは何もしてない。原因はあたし自身。一太が大きくなるほど、一太との向き合い方に迷った。で、手っ取り早く距離をとった」
「子どもに付き合うのに、それほど迷うことがあるものなのか?」
アイスがしばし考え込んだ。
「親しくなるのが怖かったんだと思う。あたしは家族とかいないじゃない? 近しい関係でいる経験がないうえに、自分の子どもでもない一太と親子ごっこみたいなことしてていいものか、わからなかった。
相手が子どもでも他人でしかないんだから、適切な距離をとって、独り立ちのジャマしないほうがいいのかなぁとか。
ろくな人間関係しか経験がなかったから、最適解が見えてなかったんだよ。相談する相手もいなかった」
「どうでもいいわけじゃなかった……?」
真剣に向き合ってくれていた。だから、
「慎重になりすぎていただけだったのか?」
「そんな感じだと思う」
一太も考え過ぎて、あらぬ方向へ走っていただけだった。ふたりしてクソ真面目が過ぎたか。不意に、おかしさが込み上げてきた。
「なんだよ、それ」
哀しみを含んだものではなかった。快活な笑い声をあげた。
「その反応じゃ、さっきの答えで合点がいってくれた?」
笑い声しか出ない。一太は首を縦にふって答えにした。
「サトーさん、ここなの?」
女性の声とともにドアが開いた。
「笑ってられないはずの状況から笑い声が聞こえるのは、やっぱりサトーさんよねえ」
「あたしは、どういうふうに思われてるの?」
一太も診療所スタッフの顔は知っている。
「スンさん、ひとりなのか?」
アイスが動けない状態であることは怜佳が伝えたはずだ。てっきり担架といったものを使って搬送するのだと思っていたが、来たのはスンひとりだった。
「往診で出払ってて人手がなくて。それに、サトーさんなら目立ちたくないって言うと思って」
「背負い搬送もやめてね。サポートしてもらったら歩ける」
「無理して悪化しないか?」
「甘やかさなくていいよ」苦く笑う。
「人間を壊す仕事してきて、自分のときだけ大事にされるっていうのも居心地悪い」
アイスの左脇の下にもぐりこんだスンが、あっさり立ち上がらせた。スリムな小柄でも、看護師の筋力を備えていた。
一太は、ランドリールームにいた痕跡を残していないことを確かめる。最後に部屋を出ると廊下でスンたちを追い越し、エレベーターボタンを押した。
「あと頼みます」
「
目線でずぶ濡れのズボンをさした。
「すぐに冷やしたので大丈夫です。先に片付けないといけないこともあるので」
「軽くても経過観察をして、水ぶくれができたら、すぐに受診してくださいね。ケアをいい加減にすると、あとが大変ですよ」
笑顔をみせながら医療従事者の脅し文句を忘れなかった。
エレベーターに乗り込みながらアイスが振りむいた。
「次に会ったとき、チョコミント・アイスクリーム食べいいこう。あ、社交辞令じゃないよ?」
「甘いもの苦手なくせに」
苦笑いをそえて返した一太の言葉は、エレベータードアが閉まるまでには間に合った。
アイスクリームデートの実現は、まだまだ先になる。それでもこの約束があるのなら、当座のつらさもしのいでいける。
アイスなら約束を忘れない。
一太は後始末のために、ひとり屋上へと向かう。
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