7話 物騒な女子会

 アイスは対面するソファに腰を落とした。怜佳との気持ちの距離が縮まったわけではなく、単に左膝がつらくなってきたから。

 そして主導権を握らせる気もない。話をずらした。

「ディオゴはいちおうでも、あなたの夫だよね。窮地に陥れていいの?」

「好きになって結婚したわけじゃない。ディオゴへの思いなんて最初からない。だから、浮気して息子までつくってるってわかっても何も言わなかった。わたしに飽きたのでも、子どもが欲しかったのでも、どうでもいいもの」

 そして、黙って聞いていたミオに向けて眉尻を下げた。

「これから結婚するかもしれないミオには夢のない話だけど、たまにはこんな夫婦もいるってぐらいに聞いててね」

「わかってる。うちも似たようなものだったから」

 さらりと言った子どもに、大人たちがしばし呆気にとられた。

「どうしたの? そんな顔して。本人たちは隠してるつもりだろうけど、わかるんだよね。わたしのことはいいから、続けて」

 怜佳がミオを子ども扱いしないわけをアイスは察した。

「そうだ! わたしの提案を聞かせるだけじゃ駄目なのよね、こういう場合」

 なにかを思い出したらしい怜佳が頼む。

「悪いんだけど、佐藤さんに渡す封筒を二階のデスクに忘れてきたの。茶封筒に『謝礼』って書いてあるやつ、持ってきてくれない?」

「えっ⁉︎」

 ミオのは表情は、「げっ」というものだった。アイスの疑問はすぐにとける。

「あそこを掘り返すの? 怜佳さんが見た方が早くない?」

 怜佳のデスクの惨状がわかった。

「さっき用意したとこだから、底には沈んでない。お願い!」

「じょうがないなぁ」

 しぶしぶといったていで事務所から出ていく。

 ミオがドアを閉めるのを待っていたように、怜佳が両肘を膝において上体をのりだした。

「わたしたちが逃げるだけで、ディオゴがあきらめるとは思えない。それにミオの学校のこともあるから、あまり遠くには離れたくないの。ミオを守るためには、ディオゴの手の内を知っている人の助けがいる。もちろん、できる限りのお礼はする」

「多額の金を使って反社会業界の人間を使うより、無料の警察を使えば?」

「生半可に遠ざける程度じゃ、簡単に元の状況に引き戻される。暴力には暴力で、徹底排除できる人がほしい。だいたい、被害が出るおそれぐらいじゃ警察は本気で動かない。警官じゃ役不足」

「荒仕事を望むなら、それこそあたしじゃ役不足だ。身体の故障で引退がちらついてる人間に期待されても応えられない」

「暴力以外の方法も探す。たとえば佐藤さんがこちらにつけば、ディオゴに精神的ダメージを与えることができる。支配していると思っている人間に逃げられることが我慢ならないタイプだからね」

「あたしが<ABP倉庫>で不遇の扱いを受けている前提になっているけど?」

「ディオゴがプライベートで油断して口をすべらせた、あれこれを聞いてる。そのなかには佐藤さんの話もある。わたしの想像で言ってるわけじゃない」

 ミオが席を外している。アイスは包み隠さず訊いた。

「あたしなら死体の後始末が必要になっても任せられると?」

「どこまでやるかは佐藤さんに任せる。地元警察のなかに袖の下を握らせたやつもいるから、わたしから潰せることもある。

 佐藤さんにとっても利点があるから、こうして交渉してる。わたしから出す報酬を退職金の足しにして、前倒しで新しい人生をはじめる——」

 アイスは手のひらを出し、ストップをかけた。

 怜佳が口を閉ざした二秒後、事務所のドアがアップテンポでノックされた。ミオが戻ってきた。

「探したけどなかったよ。別の場所と間違えてない?」

「ごめん、ごめん。こっちに持ってきてたの忘れてた」

「怜佳さんの粗忽そこつ者。で、話はどうなったの?」

 元の位置にすわったミオが、興味深げな瞳をアイスと怜佳に交互にむけた。

 怜佳が応える。

「こうしてると、なんだか女子会みたいね」

「怜佳さん、マジメにやって」

「女同士のおしゃべり会に憧れてたから、つい。理系で実験に追われたり、家の仕事が忙しかったりで、あんまり遊んだ記憶がないのよ」

 血臭ただよう話から、ミオがいても大丈夫な範囲にシフトさせる。アイスもソフトな表現に変えた。

「怜佳さんの思いはわかったけど、それだけで賛同できるほど感傷的にはなれない」

「報酬は保証できると思う」

「相手が怜佳さんでも値引きはしないよ?」

 アイスは、小さなほころびが見えるソファや、使い込んで白っぽくなった黒板に視線をやった。

「あたしへの報酬を出せるほどの売り上げがあるようには見えないけど?」

「彩乃から——」

 言いよどむと、アイスではなくミオにむかって話した。

「彩乃から後見人の報酬を受け取っているの」

「怜佳さんはお金のために——」

「違う」すぐに否定した。

「彩乃たちの遺産は結構な額になる。その管理はもちろん、お金についてくるだろうトラブルすべて含めて、面倒をみてほしいってことだと思う。そのためのわたしの時間を買ったっていうこと。自分のオフィスをもってた彩乃らしい考え方じゃないかな」

 アイスに視線をもどした。

「彩乃から預かった、わたしへの報酬全額、佐藤さんに渡してもいい。窓からバラ園が見える一等地のオフィスを売った額よ。安くはないでしょう?」

「あのオフィスを……⁉︎ ほかのスタッフさんに継いでもらうんじゃなくて?」

「ミオと彩乃の思い出の場所でもあるよね。思い出も大事だけど、ミオの将来も大事だから……」

 後見人の報酬をつくるために売ったのなら、まるで死ぬことを予見していたようでもある。子どもの前だ。アイスもさすがに口にはしなかったが。

 しかし、まだ疑問があった。

「友情って、そこまでできるものなの?」

「……彩乃の頼みならね」

「…………」

 ミオの表情が、嬉しいような、でも納得できない複雑なものになる。

 アイスも似たような心境だった。他人のためにという感覚が、実感としてわからない。

 そして、怜佳の提示にうなずくことが、まだできなかった。ディオゴを愛していないとしても、友人の遺産を守るためなら始末も厭わなくなるものなのか。

 唯一、よく会う知人に、怜佳のいう友情をあてはめてみた。彼女になら、できそうな気はする。

 しかし、互いの境遇が特殊なゆえに通じているところがあるから、一般論に当てはめていいものかは微妙だった。

 ——……彩乃の頼みならね。

 一瞬、言い淀んだように感じたのは、目の端でミオをうかがった素振りは、なんだったのか。

 怜佳が後見人を引き受けたのは、友人の頼みのためだけではない……?

 この場で訊かなかったのは、ミオに聞かせられない内容かもしれないこと。そして、時間切れだった。

 アイスの膚が、ささくれ立つ空気を感じた。

「ボスの指示を守らないやつがいるみたい」

 アイスは苦々しい気分になる。怜佳の依頼は断わるつもりでいた。

 しかし、それはそれで心臓を置き忘れた気分になりそうでもある。

 迷う時間は残っていない。

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