4話 おまえしかしない
「で、怜佳さんが実家に帰ってるっていうのは確か?」
アイスは念押しで訊いた。行ったけどやっぱり不在の無駄足は踏みたくない。
「あいつの実家は、下請けを出している運送会社のひとつだ。発注元のありがたみを理解している従業員から連絡してきた。社長でもある父親が、怜佳に泣きつかれたらしい」
「ふうん……」
生返事をかえす。鵜呑みにする気にはなれなかった。
怜佳のことをよく知っているわけではないが、いっときの感情で軽率な行動をとるタイプにはみえなかった。
それに、理学部か理工学部だったかに在籍していたと聞いていた。理系なら賢いというわけではないが、本気で逃げるのなら論理的に考え、足がつきにくいところを選ぶはず。所在をくらますチャンスに、実家に戻ったというのは不可解だった。
ディオゴには愛人がいて、婚外子もひとりいる。怜佳はそれを知りつつ怒ることはなかった。
これは、ディオゴとのあいだに子どもができなかった引け目のせいではないだろう。夫と仲がいいわけではないが、言い争いをするのでもない。付かず離れずの関係は、怜佳が何かしらの打算を働かせているように思えた。
そんな怜佳が、高須賀未央をつれて逃げ出すという行動をとっている。
高須賀未央の手には、数年後に遺産が入ってくる。金目当ての人間が食らいついてくる対策にとりあえず逃げたのではなく、勝算あってこそか、勝つための用意を整えるためとしたら……
「楽な仕事だろ?」
ディオゴの問いに相槌は打たなかった。かといって不審な顔も見せない。
アイスはいつも、ゆるい笑みをうかべていた。警戒心を抱かせない微笑みで、相手の本音を引き出し、自分の本心をガードする。そんな表情にディオゴは疑いをかけることもなかった。
「休みに呼び出した色もつける。頼まれてくれるよな」
引き受けると信じている口調にアイスは水をさした。
「もうひとつ確認しておきたい」
「女と子どもを連れ帰るだけだぞ?」
「楽だと思えるときこそ慎重にやりたい」
「ぐずぐずするうちに怜佳が出たら、あとを追うのが難しくなる」
アイスとディオゴは、考え方が反対のところがある。だからこそ、この男と組むことにした理由のひとつだった。
「この仕事はあたしひとりで?」
「サポートが必要なら
「本人がすすんで動いたの?」
「おれが指示した……なんだよ、その顔」
一太は<ABP倉庫>の裏作業を担う実行班員に、自ら希望して入ってきた。
ディオゴも目をかけてはいるが、あくまで構成員としてだ。会社の外で、息子として向き合っている様子はうかがえない。一太がまだ幼い頃、子どもが好きなわけでもないアイスが、代わって構っていたぐらいだった。
引退を考え始めているアイスとならんで、ディオゴも後継候補をしぼりはじめている。そのなかに一太も入って入るが……
「いや、なんでもない」
相手がディオゴでも、よその親子関係に口出しはしたくない。親子体験がない身としても、アドバイス的なことは何も出てこなかった。
「ひとりで行ったほうが穏便にすませられる。応援はいらない」
アイスは高須賀未央の写真をテーブルにおいた。怜佳が身を寄せているという運送会社の住所メモにもう一度目をとおして覚え込む。不要になった紙切れもおいて立ち上がった。
「あたしの迎えを怜佳さんが拒否したらどうするの?」
「拒めんさ。断ったらどうなるか、怜佳だってわかっている」
「怜佳さんにまで裏業界ルールを適用するんだ」
「したくないからアインスレーに行ってもらうんだよ」
「たまには楽しい仕事がしたい」
「楽しくないから金になるってもんさ。休日出勤させた振替休日も用意しておく」
「お気遣いどうも。じゃあね」
アイスはさっさと社長室から退却する。
夕方過ぎに私用があった。欠かせなくなっている身体のメンテナンスのための予約で、施術者とは個人的なつきあいもある。
終わったあと食事に誘って、少し呑むのもいいかなと考える。プライベートで会ってくつろげる、貴重な存在だった。
時間に遅れないために、頼まれ仕事はとっとと片付けてしまいたい。
社長室をでたアイスが事務所を通りすぎようとしたとき、
「ご苦労さまです」
さきほど話題に出たばかりの当人、チェ一太につかまった。
ディオゴに似たのは少しばかり小柄な身長ぐらいで、ルックスはいい。面長ではっきりした目元は、母親から受け継いだと思われた。
「オフでしたよね。なのに子どものお迎えを引き受けられたのですか?」
「みんな忙しいからね」
「社長の頼みとはいえ、ご老骨に鞭打たなくてもよろしいのに」
さわやかな笑みをうかべながら、出てくる言葉は辛辣だった。
「社長には、おれが最後までやると言ったんですよ。身内のゴタゴタみたいなものですし」
机についている事務スタッフたちの手が止まっている。ランチタイムには、新旧構成員対決続編として広まっていそうだ。一太がぶつかってくるのは、今日に限ったことではなかった。
「身内案件だから古馴染みのロートルにまわってきたんだよ」
身内を強調する一太が不憫にも思える。そこはおくびにも出さず、へらりと笑って、ぬらりとかわす。
「老後の資金が心細いから稼がせて」
一太はもう笑っていなかった。
「ハデに遊んだりしないあなたなら蓄えだってあるはずだ。余生を楽しんだらどうです?」
伝票を手に事務所のドアをあけた倉庫スタッフが、一太の表情を見てUターンした。言葉は穏やかでも、これから裏仕事にいくような物騒な顔つきをしていれば無理もなかった。
アイスは場所をかえないまま話を続ける。誰かに聞かせた方が、話に尾ひれがつきにくい。
「目下の課題である、販路のトラブル解決とボスの身内問題。将来ある構成員の一太が販路の解決で経験積んで、下り坂しかないあたしが身内問題。役目のふりわけはこれで正解」
「
倉庫スタッフと入れ替わって入ってきた
「……これで失礼します」
何かまだ言いたげな一太だったが、背中を向けた。十二村がいつもの陰鬱な視線をアイスにやってから、あとを追う。
ふたりが外に出た途端、事務スタッフたちが安堵の息をついた。
「仕事のジャマして悪かったね」
ペーパーワークスタッフにいらぬ緊張を与えてしまった。
「腹が立たないのか? 若造に好き勝手いわれて」
そばの机にいた年かさの
実行班員には事務屋を下に見る者が多い。一太もそのひとりだ。
腹を立てながらも、台詞の後ろ半分が小声になったのは、実行班の急先鋒に成長してきた一太への恐れがあるせいだった。
「ボスにしたって〝社交費〟をもっと計画的に使ってくれたら、商売を広げなくたって十分やっていけるんだがな」
アイスも声をひそめて言った。
「営業がド下手なあたしに代わって一手にやってくれてるんだけど、見栄っ張りなとこが……ね。工面で手間かけさせて、ごめん」
「そう言ってくれる人がいると報われるよ」
目尻のしわを深くしたソボンの愚痴の追加を聞いてから事務室から出た。
古参にありがちな威圧感がないアイスになら、大声で言えないことも言いやすい。これでガス抜きをしてもらって要望を聞き、希望をもってもらう。内容によってはディオゴにそれとなく伝え、改善を提案してみる。長い間アイスがやってきたことだった。
出口近くまできたところで、ソボンが追いついてきた。ひとけのないトイレの前まで引き戻された。
「チェのことで耳に入れといてもらった方がいいかと思って」
味方はつくっておくものだ。ソボンは備品のすべてを保管管理している。こういった物の出入りで、社員の動向がみえることもあった。
一太は、めったに使われることがない品を持ち出していた。
たまたまタイミングが重なっただけかもしれないが……
仕事の失敗は、いつもわずかな綻びからおこる。無難な答えも考えられなくはない。だからこそ、アイスは気に留めておいた。
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