それでも曇って泣いたなら

 2013 年 1 月 5 日、東京都██市のアパートにて、当時 23 歳だった樋田██さんが首を吊った状態で亡くなっているのが発見されました。

 以下は捜査中に発見された、樋田さんの大学内の友人に向けたものと思われる未送信のメール、樋田さんの経歴などを参考にして作成した事件の概要です。

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 樋田さんは大学入学時から 3 年生の秋頃まで、千葉県██市にある学生寮に寄宿していました。樋田さんの住んでいた寮は当時、築 3 年ほどで新しい上に、家賃が安いといった理由から 14 室ある部屋はすべて埋まっていました。寮は 2 階建てで、樋田さんが住んでいた部屋は 2 階の階段から一番遠い██号室でした。


 樋田さんの部屋の廊下を挟んだ向かい側には███氏という男性が住んでいまし

た。███氏は████大学のオカルトサークルに所属しており、███氏の部屋はその活動拠点として利用されていました。氏の所属するサークルは活動が過激、近隣住民たちからは夜中に奇声が聴こえる、寮の居住者からは壁を叩かれるなどといった苦情が寄せられていました。サークルが活動する時間帯は午後 7 時から 8 時ごろだったのですが、樋田さんはアルバイトや大学での自主学習の影響で、帰宅するのは大抵 9 時を過ぎていました。そのため、樋田さんは███氏や氏のサークルによる直接的な被害は受けていませんでした。


 樋田さんが大学 3 年生になって暫く経った頃、███氏の部屋から毎日のように鳴り響いていた騒音がぱたりと止みました。樋田さんは上記の理由からそのことに全く気づかなかったのですが、樋田さんは寮の管理人と親交があったため、樋田さんの耳に情報が届くのに、そう時間はかかりませんでした。そして、樋田さんと管理人の間でどのような会話が交わされたかは分かりませんが、樋田さんは管理人と 2 人で███氏の部屋を確認しに行く事になりました。


 そこに在ったのは天井から吊り下げられた数人の男性の死体でした。何故か腹立たしいほど屈託のない笑みを貼り付けた屍の顔は、樋田さんの入ってきた玄関をじっと見つめながら佇んでいました。あまりの光景に樋田さんは腰を抜かし、動けなくなりました。暫くして落ち着いた樋田さんは警察に通報しました。やって来た警察に連れられ、樋田さんと管理人は事情聴取を受けました。取り調べは長い時間がかかり、開放されたのはおよそ 5時間後でした。


 その一件のすぐ後に、樋田さんは件の寮から数 km 離れたアパートに引っ越しました。

もとより樋田さんは人付き合いが上手いこともあり、隣人とはすぐに打ち解けました。新居での生活も慣れてきたある日の晩、樋田さんが自分の部屋で一人で過ごしていると、突然インターホンがなりました。樋田さんが扉を開けると、そこにいたのは樋田さんの隣の部屋に住む住人でした。突然の訪問に樋田さんが驚いていると、住人は「夜遅くに騒いだり変な音を立てるのをやめてほしい。」といったようなことを話しました。身に覚えのない樋田さんは不気味に思い、寝る前に部屋の隅にビデオカメラを設置し朝に確認することにしました。


 そこに居たのは天井から吊り下げられた男性でした。カメラの方に指を指しながらにたにたと笑うその男を見た樋田さんはビデオカメラを地面に叩きつけました。そのときも隣の部屋の住人はそこにいたそうなのですが、その音は聞こえなかったとのことです。それから 1 週間後に樋田さんは再び引っ越しをしました。

次に樋田さんが移り住んだのは東京都██区の新築マンションでした。そこは樋田さんの大学からかなり距離が在ったため、樋田さんは家にいることが減りました。その頃はあまり近所付き合いもよくなかったそうです。


 その日、樋田さんは卒業論文の資料を探しに████図書館へ行き、帰ってきたのは午後 9 時を過ぎていました。いつも通り健康に悪そうな塗料の匂いのする小綺麗なロビーを通り、目が痛いほど明るいエレベーターに乗り込み、妙にがりがりとざらついた音を立てる扉を開けた樋田さんの目に映ったのは、どろどろに腐敗した自分の部屋でした。窓ガラスは割れ、カーテンを支えていた支柱は劣化して折れ、画面が傷つき液晶が少し漏れているテレビはカラーバーを映し、今朝寝ていたはずのやけに腫れ上がったようなベッドからは、膿んだ傷口のように何かがにじみ出ていました。そして部屋の真ん中には男性が吊り下げられ、樋田さんを見ながらにやにやと笑っていました。部屋を出ようと樋田さんがドアノブに手をかけると、それは根本からぼろりと崩れてしまいました。その拍子に体制を崩した樋田さんは蛆に塗れた床にぶちゃりと音を立てながら手を付き、そこから動けませんでした。ほとんど声をあげなかった吊り下げられた男は、次第に大声でゲラゲラと笑い出しました。身を捩り、腹を叩き、自身の首に掛かったロープとその先の天井をぎしぎしと言わせながら。そうしている間に、樋田さんは突然強烈な睡魔に襲われ、意識が遠のいていきました。


 樋田さんはベッドで寝かされた状態で目を覚ましました。柔らかいベッドから降り、周りを見渡した樋田さんは自分の部屋に異常がないことに安堵しました。しかし、すぐに引っ越す事に決めました。


 首都圏中の物件を見て回った樋田さんは、最終的に東京都██市の住宅街にあるアパートに住むことになりました。その日は季節に見合わず雨が降っていたこともあり、樋田さんの新居は所々雨漏りし、湿っていました。樋田さんが錆びついて嫌な音を立てる金属の扉を開けると、中からは湿った埃と黴の臭いが漂ってきました。引っ越し直前になんとか終わらせた卒業論文をクリアファイルにまとめていた樋田さんがふと窓の外を見ると、そこにはたくさんの人々がぼろぼろの壊れそうな屋根や申し訳程度のベランダに吊り下げられ、部屋の中を見ながらぎちぎちと笑っていました。その様子をぼんやりと見ていた樋田さんはがっくりと項垂れ、ため息をつくと、ノートパソコンを開いて友人にメールを書き始めました。樋田さんは今まで起こったこと、今起こっていることを冷静に打ち込んでいきました。やがて、いくらキーボードを叩いても文字が打てなくなりました。それでも樋田さんはがさがさに錆びついたキーを意味もなく叩き続けました。窓ガラスが割れて冷たい風と雨水が部屋になだれ込んでも、パソコンが捻じ曲がり液晶がじんわりと漏れ出しても、真後ろで吊り下げられた人のようなものがごぽごぽと笑っていても。

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翌日、樋田さんは遺体で発見されました。部屋には荒らされた形跡はなく、樋田さんの入居前とほとんど変わらないきれいな状態だったそうです。

また、樋田さんが送ろうとしていたメールは未送信の状態で放置されていました。

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腐笑 白玉まめお @Omame00

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