腐笑
白玉まめお
腐笑
夏も終わり頃、まだ外は蒸し暑いというのに彼は長いコートとジーンズという格好で待ち合わせ場所の喫茶店にやってきました。
職業柄、こういった取材をする際には変わった人と会うことも少なくないのですが、彼のように二の腕ほどの大きなパフェを注文する人とは出会ったことがなく流石に驚きました。
席につくなり彼は、
「どうして怪談なんか集めてるんですか ? そんなに楽しいものでもないのに。」
と聞いてきました。
「創作活動をしているので、その参考にと思いまして。」
と私が答えると、彼は興味なさげに相槌をうちました。
私は胡散臭いオカルト雑誌や病院の待合室に置かれるような雑誌の読み飛ばしてしまうような小さい怪談のコラムで少し文章を書くようなものを生業としており、偶に取材などでこのように怪談を聞くことがあります。
その募集には基本的に SNS を使い、 応募数は十数人ほどいるのですが、日程や場所などの問題から取材できる人は限られており、選べるほどの余裕はありません。
ですから、実際に取材するとなると相手がどんな人物かわからないものなのです。
その後軽い雑談を交わしているときにも彼はその仏頂面を崩しませんでした。
そして話す話題もなくなってきた頃、彼はようやく話し始めました。
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僕は大学に入って間もない頃、あまり周囲に馴染めずにいました。夢にまで見たキャンパスライフとは程遠く、食事や自習をするときも一人で、友人も作れずにいました。
親にもよく心配されたものです。
そんななか、ふと周りの学生たちの様子を見てみると、どうやら皆何かしらのサークルに入っているようでした。
僕は別に常に一人で行動していることが好きなわけではなく、できることなら友達も欲しかったので、僕もどれか一つサークルに参加してみようかと思いました。
しかし、禄に活動をしない登山部や名ばかりで実際は男女の出会いが目的のようなテニスサークルには全く興味が湧きませんでした。
かといって このまま大学在学中一人ぼっちというのもつまらない、そんなことを考えながら暫く悶々としていました。
ある日、いつものように一人で昼食をとろうとしていると、一人の学生が 話しかけてきました。
曰く、新しくサークルを作ろうとしているのだそうです。
「特にやることはないんだけどさ、君いつもぼっちだったし、どうかなって思って。」
と眩しい爽やかな笑顔で話しかけてくる彼に、僕とは真逆で気が合いそうにないと思いました。
話を聞けば彼は僕と同じ学年らしかったのですが、高校時代から共通の趣味を持った仲間としか行動しなかった僕と違い、基本的に色んな人と関わりをもち、同級生はもちろん先輩や教員にも慕われる様を見て、僕はますます友人にはなれないだろうと思いました。
しかし、話していくうちに彼の魅力に引き込まれていきました。
彼は会話の中で僕の趣味や好きなことなどを引き出し、それを会話の中に織り込んでいたという印象がありました。
これを皆にやっていると考えると、彼の友人の多さに納得がいきます。
噂によれば、彼はアニメ好きの友人と話すためにその友人が好きな アニメを全話見たり、お世辞にも体力があるとは言えないにも関わらず、登山が趣味の友人とそれなりの高さがある山に登ったりしたそうです。
彼のおかげでメンバーは 10 人ほど集まり、サークルの内容は定期的にスポーツなどに興じるオールラウンドサークルに決まりました。
その後本来の目的であるスポーツに 2、3 週間に 1 回集まり、飲み会を不定期ですが頻繁に行うというようになりました。
彼はそういった催し物にはほぼ必ず来ていたのですが、多忙なこともあり参加していなかった日もありました。
そういう日はあまり会話もなく、彼がいる日と比べて活気がなかったのをよく覚えています。
そしてそれが 3 ヶ月ほど続いた後、誰が言い出したか合宿をしようということになりました。皆でやることをやんわりと決め、場所は彼の提案で郊外のさほど大きくない合宿施設に決まりました。
当日は朝早いというのに肌が焼けるような暑さでした。
そんななか、気休めにもならないような日陰で 20 分ほどバスを待ったのはかなりの苦痛でしたが、今となってはいい思い出、少なくとも他のものと比べれば幾分マシな思い出です。
参加者は 5、6 人とそれほど多くはありませんでしたが、自炊をしたり軽くバトミントンやテニスをするときは会話も弾み、それなりに盛り上がりました。
その後やることも無くなり部屋でだらだらと過ごしていると参加者の一人が暑いし怪談をしようと言い出しました。
そのような流れで皆が一人 ずつ怪談を言っていったのですが、その出来をみるにその場で作った創作だったのでしょう。事実僕もそうでした。
そして最後は彼の番でした。
内容は、
「とある学生寮で数人の学生が笑いながら自殺し、その後警察の捜査が不自然なタイミングで突然打ち切られた。噂によれば捜査中に警察官の言動がおかしくなったり、体調不良を起こしたりといった原因不明の現象が多発したからだとか。」
といったような話でした。
ここだけ言うとすごく陳腐に聞こえるかもしれませんが、他の話はよく考えればありえない速度で移動していたり、一 軒家がいつの間にかマンションになっていたといったような矛盾点やミスが多くあったのに対し、彼の話は聞いていて自然であり、時刻や場所の設定にも違和感がありませんでした。
そして極めつけに、彼はその学生寮の場所を知っているというのです。
その話を聞いた僕たちは盛り上がり、話題は彼の話で持ち切りになりました。
そうこうしていると、一人がその学生寮に肝試しに行こうと言い出したのです。
数人は酒も入っていたこともあり、皆その提案に賛成しました。
そして、せっかくだから罰ゲームにしようと言い出したのは彼でした。
皆でじゃんけんをし、負けて肝試しに行くことになったのも彼でした。
まだ夏も半ばだったので、彼が余裕の表情でバス停に駆けていった時もまだ日はそこまで落ちていませんでした。
その学生寮は僕たちがいる場所からさほど離れていないらしく、到着の連絡が来るまで 15 分もかかりませんでした。
メッセージアプリのビデオ通話機能を繋ぎ、彼は件の学生寮を映しました。
若干オレンジがかった光に照らされたその建物は、新築と言っても差し支えないほど綺麗な状態でした。
暫く談笑していると、画面が大きくぶれ、まるで経年劣化の感じられないドアの開閉音が聞こえてきました。
後から考えると不法侵入やらで色々と法律に引っ掛かりそうですが、当時の僕たちにとってはそんなことなど頭の片隅にもありません でした。
その後少しの間、妙に小綺麗な廊下が映されました。
廊下には入り口からみて左に 3 つ、右に 4 つドアがあり、彼のすぐ左側には階段がありました。
光源は一番奥の窓しかなかったため薄暗かったのですが、若干不安になる程度であまり怖くはありませんでした。
しばらくすると再び画面が大きく揺れ、がちゃりという心地のいい音がしました。
カメラが再び前を向いたとき、そこには小さい部屋が写っていました。
天井の蛍光灯は点っておらずフレームだけのベッドとさほど大きくない箪笥だけの、少なくともそれらしか写っていない殺風景な部屋でした。
窓から差す西日のお陰か照明はなくともかなり明るく見えました。床のフローリングには薄っすらと埃が積もっているだけで腐敗や変色もなく、まだ人が住んでいてもおかしくないように思えるほどでした。
その後はゴキブリがいて驚いたと いうような恐怖感の伴わない出来事ばかりでした。
そしてこれといった収穫もなく、2 階の探索を始めることになりました。
2 階も 1 階と構造はほぼ同じで、暫くは 1 階の時と同じように画面が揺れてはがちゃがちゃとドアの開閉音が聞こえるばかりでした。
僕らのいる部屋から見える空の色が既に、霞んだ紺色と紫色の中間みたいな色になったくらいの頃、今まで通りドアノブの金属音と彼の落胆した声が聞こえていました。
その後、彼は今まで通り、部屋から出ようとしたのでしょう。
また画面が揺れ、聞こえてきたのはドアノブを回す音。
しかし、それががちゃりという気持ちの良い音に続くことはなく、開かないドアを開けようと必死に揺らすがたがたという不快な音が聞こえ、ごとんという鈍い音とともに画面が暗転しました。
暫く彼は息を荒くしてドアを揺らし続けましたが、無駄だとわかったのか、その音は止みました。
たしかその間、僕たちは何があったのかと彼に問いかけていたと思います。
そして今度は沈黙が続き、少しの間の後に、彼は「は ?」とかすれた声を上げました。
僕達は口々に何があったのか、何を見つけたのか問いました。
すこしすると、スマートフォンの画面は彼のいる部屋を映しました。
それは小さい部屋で、天井の蛍光灯は点っておらずフレームだけのベッドとさほど大きくない箪笥だけの、少なくともそれらしか写っていない殺風景な部屋でした。
カーテンがかかり窓からは日は差していないにもかかわらず、妙に鮮明に見えるその部屋は、フローリングはどうやったらその様になるのかわからないほど凸凹で異様に湿っており、壁紙はほとんど剥がれ、倒れた箪笥からぐちょぐちょと腐った水のような何かが滲み出ていました。
話ではその学生寮が使われなくなったのは数年ほど前だったはずですが、画面を見た限り数十年やそこら経ったとしてもここまで劣化しないと思うほど、その部屋だけ無理やり捻じ曲げられたような印象をいだきました。
再び画面が揺れ、半分腐った床が妙に甲高い不快な音を立てているのを聞いて、僕たちは彼が歩きだしたことを悟りました。
そしてしばらくすると、画面には先程の汚い床の上に置かれたロープが映されていました。
ロープの端は片方が焼き切れたようになっており、もう片方は輪になっていました。
すると、画面を見ていた一人があることに気づきました。
ロープの輪の中心あたりに一枚の紙切れがあったのです。
油のようなものでべとべとと茶色く汚れていました。
僕たちはそれを指摘しようとしましたが、彼のスマートフォンはどこかに置かれ、画面は暗転しました。
暫く沈黙が流れ、僕たちは呆然としていました。
しかしある程度時間が経った頃、 恐らくは皆一斉に、それがただの沈黙でないことに気づきました。
耳をすますと、またがちゃがちゃと彼がドアを開けようと試みる音が聞こえたのです。
それも先程よりも焦ったような様子でした。
時間が経つにつれ、音は激しさを増していき、彼が扉を蹴ったのかどすんと重い音が何度かしました。
そして皆が口々にどうしたのか、何があったのかを問いかけましたが彼からの返答はなく、かわりにぬちゃぬちゃと腐ったフローリングを蹴る音とがちゃがちゃとドアを開けようとする音が聞こえてきました。
その後しばらくは、それらの音とかすかに聴こえる荒い息だけがスマートフォンから鳴り響いていました。
その間僕たちは驚きと不安の中間のような表情で黙ってスマートフォンを眺めていました。
そして突然、先程まで鳴り響いていた騒音が止みました。
その後皆口々に、しかし弱々しく彼の名を呼びましたが返事はありませんでした。
その代わり、何かを吹き出すような音、まるで笑いたいのを堪えられなくなったかのような声が聞こえ、 直後に通話が切れました。
通話が切れたのち、暫くは沈黙が続きました。
一人が警察に連絡しようと言い、自身のスマートフォンを手に取った瞬間でした。
彼が帰ってきたのです。
皆安堵した様子を見せ、どうやって帰ってきたのか、また、行ってきた感想などを口々に質問していきました。
それらの質問に彼は行く前はしていなかったその気持ちの悪いにたにたとした笑みを崩さず、一つ一つ答えていきました。
ただ、あの部屋で何があったのかを聞いても、まるで質問が聞こえていないかのように、決して答えようとはしませんでした。
その後は彼が相変わらずこちらを馬鹿にするようににやにや笑い続けていた以外は何事もなく、僕たちは怖いと言うより、不気味というかなんとも形容し難いもやもやした嫌な気持ちで荷物の後片付けをしました。
その夜は余ったスナック菓子なんかをつまんだくらいで夕食はとりませんでした。
そこでした会話はほとんど記憶に残っていません。
そんなこんなで、翌日に施設を出ました。
朝早いというのに肌が焼けるような暑さでした。
そんななか、気休めにもならないような日陰で 20 分ほどバスを待ったのはかなりの苦痛だったと思うのですが、当時の僕たちはそんなことはどうでもよくなって いました。
夏休みも終わり、憂鬱な気分で大学に行きました。
そして昼休み、蠢く学生の大群 をぼんやり眺めながら食事をしていると、そのなかににたにたと気持ち悪く笑っている青年がいました。
彼でした。
彼はこちらに駆け寄り、元気だったか、俺は最近こんなことがあった、といったような、普段の彼が言いそうなことを読みたくもない教科書を音読する小学生の様な口調で言ってきました。
僕はそれに軽く相槌を打ち、その場を離れました。
その後も幾度となく彼の姿を見ることはあり、偶に話しかけて来ることもありました。
しかし、日を追うごとにその回数は減っていき、いつも彼が来ていたサークルの集まりにも顔を見せないことが増え。
大体 2 ヶ月後に彼は一切大学に来なくなりました。
何人か連絡を取ろうと色々試してみたようですが、反応は一切なかったそうです。僕はそんなことをする気も起きませんでしたが。
多分、あの合宿の参加者は皆同じだと思います。
彼がいなくなり、サークル活動も日を追うごとに頻度が減っていき、1 年後には完全になくなりました。
彼は顔が広く、大学内では結構有名だったので、その後も暫くは周りで彼の話題が上がったりもしたのですが、数ヶ月もすれば皆彼のことなど忘れたかのように振る舞っていました。
正直、僕もこんな募集を見つけなければ思い出せないくらいには彼のこと忘れてたんであまり人のことは言えないんですけど。
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そこまで話し終えると、私の目の前に座っている彼は不自然に上がっていた口角を下げ、先程までの様な何かを嫌々読み上げるような口調とは打って変わった流暢な喋り方で、
「こんな感じになりますけどよかったですか ?」
と言いました。
はい、と私が答えると未だに手をつけていなかったパフェを口に運びながら徐ろにスマートフォンを取り出し見せてきました。
「それで 2 年くらい音沙汰なかったんですけど、最近になって急にこんなのが送られてきたんですよ。」
それは 20 代前半くらいの男性の肩から上を写した写真でした。
スーツを着こなしたその男性は大方変わった所はなかったのですが、口角だけが上にぐにゃりと引き伸ばされていました。
「これ、何がおかしいってこの写真の人って全然彼とは違うんですよ。そりゃあだいぶ 画質も悪いし顔の部分なんかぼやけて全然見えないですけど、輪郭からもう全然違くて。」
そう言っていた彼の口はまた少し引きつっていました。
私は彼に、その画像に、その気持ち悪いにたにたとした笑顔に、少しばかり不快感を感じました。
そんな自分が可笑しくて、私は少し笑いました。
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