金魚姫

波打ソニア

金魚姫

 真夜中なのにその光景ははっきりと見えた。

 赤い水。濁る泡。そんな尾を引きながら沈んでいく私と、お気に入りの赤いワンピース。

 きっとすぐに、真っ暗な水底に飲まれていく。

 あの金魚みたいに。


 見せたいものがある、と言われて連れ出された時にこの服をもらった。橙の裏地が透ける赤の生地で、細いベルトのついたワンピース。パステルイエローのパンプス。

 私なら選ばない色味をわざと着せた彼の企みは、きっとまた濃いロマンの詰まったものなんだろうと苦笑いしていた。私の呆れさえ、楽しむ男だった。

 恥ずかしいけど付き合ってくれ、とさらりと言ってのけるのがお決まりなのだ。

 連れてこられたアクアリウムは、本物とバーチャルの魚を展示する企画展だった。平日の昼間にしては人の多い空間をすいすいと泳ぐ。

 真っ青なヒレを纏う熱帯魚。目の前を群れで泳ぐマグロの映像。枝と見分けのつかないような生き物を見つけようと躍起になる子供たち。

 にぎわう場所を流し見ながら、だれも見向きのしない展示コーナーを目指していた。

 たどり着いたその場所は黒い床をさらしていた。人ごみの中で安らぎを見出した人が何人か、困惑した顔で映像を探す。水槽は見当たらないのだ。けれど、ぽっかりと展示スペースであることを示すプレートがかかっていた。


 アジアアロワナ。おぼろげな知識をもとに、長方形のフォルムを探す。

 そこで、ぽちゃんと水音が流れた。投げ込まれるように投影されたのは、一匹の和金だった。

 オレンジ色に輝く、つつましいフォルム。

 その奥で、ゆらりと何かが動く。

 一瞬で和金は消え、灰色の鱗のアロワナが現れた。その素早さが嘘のように、ゆったりとした様子で満足そうに体を翻す。

 3度体を翻し、燻し銀の鱗を見せつけるように揺蕩うと、展示スペースの端へ抜けていった。

 そして景色は黒い床に戻った。なんとも短く、リアルすぎる内容だった。

 当たり前だが、私たちの周りも黒い床を踏む人がいなくなっていた。何度も見るような展示ではないだろう。生体と映像美のカラフルな水中世界!とか謳っておいてどうしてこれを出そうと思ったのか。アロワナは確かにきれいだったけど。

 と冷めた志向の私の隣で、彼は目を輝かせていた。あまり間を置かずに流れ始めた同じ映像を見ながら、今度は肉食魚の飼育について語りだした。

 水質や温度、それに餌の管理。曰く、魚に限らず肉食の生き物を飼う人の間では、餌になる生き物を一緒に飼うということも比較的よくある話なんだよ、とのこと。そして魚の場合には、金魚がそれにあたるんだよ、ということらしい。

 かわいいペットのために、手間暇かけて生餌を育てるのは、肉食動物の飼育者たちとってありふれたこと。

 たくさん食べる魚なら餌代も安く上がるだけじゃなく、自分で健康管理をした最高の餌をペットにあげられるんだ、と彼は熱っぽく語った。

 その指がワンピースのベルトを撫でているのに気が付いて、ふむ、と胸の中で呟く。もしかして、ずっと話したかったことだったのかもしれない、と思った。もしかして、話す気になったことが彼自身にも嬉しいことなのかもしれない。

 しばらくそうして寄り添った後に、私はいたずらっぽい顔を作って彼を覗き込んだ。

 お腹が空いたから、帰ってご飯作ってくれない?庭のバジルでジェノベーゼがいい。それを聞いた瞬間、満面の笑みが咲いた。すぐに帰ろう、と腰を引かれてつまずきそうになった。構わず引っ張っていこうとする彼を叩いて、急ぎすぎ!と大笑いした。

 あれが、私のピークだったみたい。その時殺した2人を入れて、彼は5人の彼女を私と殺した。


 同じように手間をかけているけれど、観賞するものと餌にするものとは別。

 同じように付き合っているようで、一緒に楽しむ女は私だけ。そんな言い分を信じていたというよりは、私も楽しんでいたから続いてたんだと思うし、この先も続いたと思う。

 秘密の共有が、彼の愛情表現。数が増えれば愛おしさが増す。死体を海に投げ込んで帰れば、いつもより楽しく抱き合える。

 間違いなく今までで最高のパートナーだったし、5人目の後の彼が、こんなにたくさんしたのは君が初めてだ、と笑いかけてくれたのも本当。でも、その時に少し予感があった。初めて、という言葉に、彼も少し揺れたのが分かった。


 足を切って海に捨てるのは私のアイディアだ。単純に運びやすく、扱いやすいから。それぞれを縄でつないで、入れていたスーツケースに重りを入れて最後に落とす。買ってきちゃったスーツケースに入らない高身長の彼女の時に思い付いた。

 あとから聞いたけれど、海に投げ込んだ時の姿が金魚と重なって気に入ったらしい。

 新しい鑑賞方法のアイディアがあれば試さずにはいられない、というのは5回の試行錯誤の中で十分知っていた。

 初めて、という言葉を使わせるほど愛した女を食わせたら、どんな美しいものがみられるだろう。

 どうせそんなロマンを起こすんじゃないの、と思った。流石に話す気にならなかったけれど、結局のところ今日沈むのは私になった。


 正直ショックだったのは、認めるしかない。こんなことなら思いついたときに彼に話して、一緒に笑えばよかった。怖気づいたように黙っていたのが悔しい。

 結局私の番が来るってことに、私も気が付いておびえていたような、そんな終わり方になってしまったのが、悔しい。

 あなたのロマンなんてお見通して、それに冷めた目で付き合って、最後は大笑いできる。そんな私は揺らいだわけじゃなかったのに。


 実際、その瞬間は楽しかった。

 まるでサプライズを食らったみたいに。まあ文字通りの不意打ちだったわけだけど。

 あーん、やられた。そんな風に笑いかけた時の彼の顔が底なしの驚き顔で、ひどく間が抜けていて、面白すぎて首を絞めてきた女の顔を見そびれた。

 頭の中で黒子になってて余計に面白い。けど、死に顔が爆笑とか恥ずかしい。弛緩してくれてたらいいけど。もう鏡も見られないし。


 どうしてかわからないけど、黒い水の中、私はそんな振り返りをできている。揺らめく水面で車のライトが暴れてる。結局、また面白い顔をしてた彼をみて、女の顔は見そびれた。

 自分で仕掛けておいてなんて顔。まるで追いかけて飛び込んできてくれそうな顔だった。

 

 その顔を思い出していたら、ゆらゆらたゆたう私の血の中に、それが突然滑り込んできた。金魚を食べたあの速さで、灰色の巨体が血水をかき消す。

 うそ、やだ。めっちゃ野蛮でリアルすぎる生き物が来てしまった。もしかして、今までの子たちもみんなあなたが食べちゃったの?

 ねえ、今すごいあなたと話したい。ロマンの結果、とんでもない生き物が育ってる。あなたの本当のペット、ここにいたみたい。

 匂いを嗅ぎつけ、巨体がこっちに向かってくる。

 すごい迫力で、私の番が来たショックとか吹き飛んじゃう。ああ、あなたに見せたい。

 きっと私の後を追うっているロマンを纏って暗い海に沈む、その瞬間をぶち壊された時のあなたの顔、絶対に見逃せない。

 この子の中で、待ってるね。

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金魚姫 波打ソニア @hada-sonia

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