第11話 田中くん! 私の歌、聞いてね!
「……そんな感じ。ごめんね。あんまりおもしろくない話だとは思うんだけど……」
「……」
達也が話し終わってから、きららはずっと俯いたままだ。心配になって声をかけると、微かにきららの身体が震えている。
「鈴木さん?」
達也が声をかけると、きららはすごい勢いで顔を上げた。
「うわ!」
その目には大粒の涙がたまっていた。カラオケの照明が反射し、キラキラと光っている。きららが絞り出したような声を出した。
「……ごべんね……」
「え?」
「むりにばなざぜで、ごべんねぇぇ……」
「いや、別にそんなことないよ。気にしないで」
きららの謝罪は達也にとって見当違いだ。それに無理やり話したわけじゃない。面白くない話ではあるが、達也はきららに聞いてほしいと思って話をした。むしろ謝るなら、気を使わせた自分の方だとさえ考えている。
「きっといつか歌えるようになるとは自分では思っているから」
これは願望も入っている。心の問題であり、きっかけは些細なことなのだ。だからもしかしたら些細なきっかけでまた歌えるようになるかもしれない。
そんな達也の言葉を聞いているのかわからない様子で、きららは流れ出す鼻水をティッシュでかみながら、涙を手で拭った。その後、真っ赤になった目を開き、おもむろに立ち上がり、マイクを持って叫んだ。
「田中くん! わたしの歌、聞いてね!」
泣いたせいかまだ少し掠れている声がスピーカーから響き渡る。
きららはタッチパネルで選曲した。
曲名がモニターに映る。その曲名の段階ではピンとこなかったが、イントロが流れ出すと、なんとなく聞いたことがあるとは思った。中学生のころに流行ったアイドルグループの曲だ。動画配信サイトの再生数がその年の一位だったとかで、いまだに音楽番組で取り上げられることも多い。
きららが深呼吸をする。その呼吸から緊張が伝わってきた。
そして彼女は歌い出した。
「……」
達也は困惑した。確かに知っている曲だ。間違いない。しかし、スピーカーから流れてくるきららの歌声を通して聞く曲は達也の知っているものとは大いに乖離している。
――これ……あの歌……だよね?
そんな疑問さえ浮かんだ。
きららはわざとかというぐらいに音を外していた。歌が苦手ではない達也にとって、例えわざとだとしてもここまで外すのは至難のわざだった。もしこれをわざとやっているのだとしたら、それはそれで人並み外れた才能だろう。目の前の可憐な見た目からは想像もできない不協和音がスピーカーを通じてカラオケルームに響き渡る。正直、聞くに堪えなかった。
「……ありがとうございました!」
そうこうしているうちにきららは歌い終わり、深々とお礼をした。達也はそのお礼に応えるように彼女に拍手を送る。しかし、戸惑いは一切隠せておらず、それはとてもぎこちないものになってしまった。
「どうだった?」
やり切ったと言った表情できららは達也に質問してきた。
――どうだった? ……これはなんて言えばいいんだろうか……。
達也の人生において歌が下手な人間は稀有だった。
家族も歌は上手だったし、合唱部に入ってからも先輩後輩問わず、ある程度の実力の人間ばかりが集まっていた。だから、こうして明らかに音痴な人間に感想を求められるというのは初めての経験で戸惑ってしまう。
正直に言うべきなのだろうか。だがそれで傷つけてしまうのは絶対に避けたい。
かといって、上手かったというのも無理があるだろう。百パーセント嘘だとばれる自信がある。
結局、なんと返事をすればよいかわからず、言葉に詰まってしまった。そんな達也を見て、きららが笑いながら口を開く。
「ごめん、ごめん!! 困らせるつもりはないの。たださ……」
ゆっくりと息を吸い、きららは大きな声で言い放った。
「ド下手でしょ??」
「……」
達也は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「いいのいいの、気を使わなくて!! いや、本当に!! わかってるんだ」
下手という言葉で表せるかレベルかどうかはおいておき、ますますなんと答えればよいかわからない。
カラオケボックス内に沈黙が流れ、まるでそれが答えだと言わんばかりの空気が流れる。コミュニケーション能力があまり高くない達也にとって、この状況はもはや試練といっても過言ではない。一刻も早くこの瞬間が過ぎ去ってくれることを祈るばかりであった。
(……ただ、なんで鈴木さんは今そんなことを言ってきたんだ……?)
「田中くんだけに話をさせるのはフェアじゃないからね!」
達也の頭の中の疑問に、回答をきららが挟んできた。達也は驚き、口元に手を当てる。そんな達也をよそ目に、きららは言葉を続けた。
「わたしね、小さい頃は歌手になりたかったの」
「……そうなんだ」
「うん。人前で自分の言葉を音楽に乗せて堂々と大勢の人に届ける姿に憧れちゃってさ。わたしもよくアニメソングとか口ずさんでた。田中くんと一緒だよ」
「……」
「ただね、わたしはとんでもなく音痴だったの」
そう話すきららの横顔はとても清々しかった。あっけらかんとした様子で彼女は話を続ける。
「これでも頑張ったんだよ。音楽教室とかボイトレとかに通わせてもらってさ。音程矯正とかしたんだけど、でも結局人並みにもならなかった。努力不足っていわれたらそれまでなんだけど、毎日毎日やっても全然上手く歌えるようにならないの。結構辛くてさ。中学生の頃とか、それで自分の殻に閉じこもってばっかだったの。なんだか友達とも上手く話せなくて。自分の思っていることも全然上手く話せなくて、何もかもがダメな感じだった」
その過去から今のきららは全く想像できない。達也の知っている彼女はいつも人に囲まれていて、自分の言いたいことをはっきりと言えて、やりたいことにはどんどんチャレンジして、裏表がない、とても強い人間に見えた。
「そんなときに出会ったのがラップだったの。今まで音程に乗せよう乗せようとして、全然だめだった自分の言葉がすっと音楽に乗って走りだしていったとき、本当に気持ちよくて……それからはもう知っての通りだよ」
その気持ちは達也にもわかった。自分の考えている言葉がすっと音楽に乗って出てくれる、あの瞬間は何物にも代えがたい。
ひとしきり話を終えたあと、きららは達也に向き直った。
「ごめんね」
「え?」
「ごめんなさい。無理させちゃって」
そうしてきららは達也に向かって深々と頭を下げる。さっきも謝られたが、本当に謝られる理由はないのだ。いまこうしてここにいるのは、勿論きららの存在が大きいが、最終的に決めているのは達也だ。
「パンツ見ただけなのに、ここまで連れまわしてごめん」
「いやパンツはもう関係ないよ」
真剣な空気に突如飛び込んできたパンツという単語に咄嗟に口を挟んでしまう。本当は網膜に焼き付いているが、それを今言う必要はない。
少し空気が和んだ。きっときららなりに気を回してくれたのだ。
「無理もしてないよ。歌うのは難しいけど、ラップだと大丈夫。いや実力不足は置いておいてね」
きららの真剣な眼差しにこたえるように達也も冷静に話す。すべて本心だ。最初は本当に抵抗があった。自分が人前に出ることなんて一切想像できなかった。ましてやラップとは言え、歌だ。だけど今は自らの意思で練習し、もっとうまくなりたいとさえ考えるようになっている。
それはきっときららのおかげだ。ひたむきに取り組む彼女の姿に影響されて、自分も過去にあった嫌なことを少しずつだけど、忘れることができているような気がした。思えば、逃げてばかりだった歌と強制的に向き合わされていることが、功を奏しているのかもしれない。それに、先日のサイファーが本当に楽しかった。自分の気持ちを大きな声で伝えることの気持ちよさ、周囲の熱意、そのどれもが心地よく、自分もそうなりたいと思ってしまった。
結局それからは二人とも一曲も歌わなかった。カラオケをビート代わりに使用し、適当な曲を流してはお互いにフリースタイルをやりあった。とりとめのない会話を挟みつつ、ドリンクバーを飲む。時間は一瞬で過ぎていく。そして解散した。
「また明日ね!」
「うん、また明日」
達也の家はここから歩いて帰れる距離にあるため、駅まできららを送っていった。
GMBできららのフリースタイルを見たのが遥か昔に感じられた。本番まであと二週間あるが、これもきっとあっという間に過ぎ去っていくのだろう。季節は夏。蝉の声がうるさいはずなのに、きららを見送った後の世界はひどく静かに感じられた。
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