フローズン・ワード
このはな
第1話
友人のヒカルから連絡が来たのは三日前。半年もつきあっていた人とサヨナラして、ちょうどヘコんでいるときだった。
【海がよく見えるって評判のレストランを見つけたんだ。もちろんゴチするよ】
とてもうれしくて、人生五回目の失恋から復活するきっかけになった程だ。
【ヤケ食いするかもしれないよ。それでもいい?】
返事をしたら、すぐに着信音が鳴った。
【ヤケ食い上等】
「お客様、お暑いでしょう。よろしければ、どうぞ店内へ」
ふいに呼びかけられて振り向くと、オシャレなエプロンに身を包んだ男性がいたのでびっくりした。スラリと背が高く涼やかな眼差しの人だ。
素敵な人を目の当たりにしたせい? なんだか頭がボーっとしてきた。
「お客様? 大丈夫でございますか?」
煙るように長い、まつ毛の下の瞳に困惑の色が浮かんでいる。
レストランの店員らしきこの男性は、エントランスで待ちぼうけしているわたしを気にして、様子を見にきたにちがいない。
「スミマセン! ここにいたらジャマになりますね、ご迷惑おかけしました!」
あわてて頭を下げ、立ち去ろうとしたときだった。
「おい、待てよ!」
信じられないことに次の瞬間、金色がかった光とともに少年が何もない空間にあらわれた。
金色の髪、ターコイズ・ブルーの瞳。少年らしくTシャツにジーンズというラフな格好だけど、彼が普通ではないことはわかった。
圧倒的な存在感、オーラとでも言うのかな。彼自身が星のごとく光り輝いていたのだ。まさしく星の王子様だ。
その王子様がわたしを見て不敵に微笑んだ。
「逃げようたって、そうはいかないぜ」
今まさに地上に舞い降りたかのごとく両腕を広げている少年の背に、大きく風にはらんだ白い翼が見えたような気がした。
わたし、暑さで頭がどうにかなっちゃった?
オロオロしているうちに、いつのまにか彼の腕の中にいた。
「急がなくてもいいだろう。なあ、お嬢ちゃん?」
なんなの、この子っ。わたしのことをお嬢ちゃんって。
じゃなくって!
「はっ、離して!」
少年は口角をあげてニッと笑った。
「おれ様たち、あんたが持っているものを見たいだけなんだ。だいじょうぶ! 悪いようにしないから。ちょっとだけ胸元を広げさせてくんない?」
「冗談!!」
「えっちなことしないって。見るだけ」
「見るだけでも犯罪っつーの!」
言い争っているあいだに少年はわたしの腰をしっかりと抱え、顔を寄せてきた。頭の芯をとろけさせるような匂いが漂ってくる。わたしがつけている香水よりも、もっと深くて甘い匂いだ。
匂いを嗅いだとたん、抗う気持ちがなくなった。それどころか、永遠にずっとこのままでいたい。だんだん心地よくなってきてしまって――。
「コレだから困るんだよ、人間の女ってヤツはさ」
少年の口調が変わった。
「おまえがここに来たのは偶然じゃない。自ら望んで、この場所にやって来たんだ」
「自ら望んで……?」
ぼうっとした頭で少年に言われた言葉をくりかえす。
「おれに身を任せろ。楽にしてやる」
少年はわたしを抱えている方と反対の腕を、自分の顔の真横にまで掲げた。
その手の指を広げた瞬間、柔らかな光が球体となってあらわれた。
「よく聞け。おれ様たちは、お宅がその胸の中に抱えているフローズン・ワードを解凍したいだけなんだ」
「フローズン・ワード……解凍……?」
「そうだ。心を開け。ゆだねろ。そうしたら解凍してやる。おまえの奥底に凍らせてしまった思いを、ぜんぶ吐きださせてやる。まさに電子レンジのごとく、わずかな時間でチン、とね!」
少年は言い終わると、手のひらを振り下ろした。その行き着く先は、わたしの胸だ。
「ああっ……!」
強い圧迫感を覚えた。何かが痛みを伴ってズブズブ身体の中に入ってくる。
「イヤ! イヤだ、さわらないで!」
必死に守ろうとしたけれど、まにあわなかった。それより早く、柔らかな光の球体が、わたしの中の氷の結晶に触れたのだ。
光が触れたとたん、硬い氷の結晶にヒビが入り細かく砕けた。閉じこめられていた思いが一気に放たれ、白い光の束となって暗闇を照らす道筋に変わる。
『……き、す……き。けれど……ない』
だ、誰……誰の声なの?
ぼんやりとした白っぽい影が、光の道筋の先に浮かんだ。少しずつぼやけた輪郭がハッキリしてくる。あれは、あの人影は……。
――ヒカル? ヒカル!
二十四歳の大人の姿ではない、六年前のあどけない横顔の彼だった。
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