紡ぐ想いと、その彼方。【改稿版】
大和環奈
プロローグ、幼い二人。
第1話
そこは温泉が有名で観光地にもなっているとある田舎町の小さな保育園。
「
小部屋の中で独り絵本を読んでいた私の傍に一人の保育士が来て声を掛ける。
「わたしは走ったり暴れたりするの苦手だからいい」
そんな誘いを私が絵本に目を遣りながら断ると私に声を掛けた保育士は溜め息を吐きながら仕方のないと言わんばかりに私の傍を離れていく。
所謂『おともだち』の皆が外に出て鬼ごっこをしたりボールで遊んだりと楽しそうにしている中、いつも独り室内で絵本を読みながら過ごしていた私は入園してから今日まで毎日の如く保育士とこんなやり取りを繰り返していた。
私は人と関わる事が苦手で、走ったり暴れたりして怪我するのも嫌だった。
それにそもそもとして、どうやら私は他の園児達から怖がられているようで、誰一人私には近寄ろうとしてこなかった。
だから私も誰とも関わろうともせず室内に篭もり独りで過ごしていた。
それが5歳だった頃の私にとっての日常だった。
そんな日常を送っていたある日のこと、いつものように絵本を読むだけの時間を過ごしていた私はとある違和感を覚えていた。
何故かその日はいつもの保育士の先生がなかなか現れず、話しかけてくることもなかったのだ。
どうしても気になった私は彼女がいるはずの職員室へと足を向けた。
職員室に辿り着くと、そこには二つの見慣れない顔があった。
一人は黒い長い髪を肩の辺りで束ねた女性、もう一人は私と同い年くらいの見た目をした女の子。
──なるほど。新しい『おともだち』を迎えいれなければならなかったから、だから保育士の先生は今日わたしの所に来てくれなかったのか。
保育士に相手してもらえない理由が分かると私は納得したような、けれど不満げにも見える顔のまま部屋に戻ることにした。
──今日入ってきた新しい子だって他の『おともだち』と同じで、またすぐにわたしの事を怖がって離れていくに決まってる。
そんな独り善がりな思いを抱きながら部屋に戻ると、棚から取った絵本を開き、私はまた絵本の世界へと閉じこもっていった。
少しだけ季節が過ぎ、私は絵本を読むでも室内遊びをするでもなく、ただただ外で遊ぶ『おともだち』の姿を眺めるのが日課となっていた。
皆が外で遊んでいるから、だから自分も外で遊びたくなった──、なんて理由は全く無くて、本当にただの気まぐれだった。
今ある絵本を全て読んでしまってする事が無いというのも理由の一つだが。
そんな気まぐれの行為の中で一つ気になったことがあった。
この間入ってきたばかりのあの子の事だ。
『しらぬいかなた』という名前らしいあの子は今や人気者で皆からは ″ぬいちゃん″ と呼ばれている。
入園当初は女の子のグループと遊んでいたあの子はどうしてかある日を境に女の子のグループではなく男の子のグループとばかり遊ぶようになった。
「あの子、なんで男の子達とばっかり遊んでるんだろ」
いつしか私は毎日のように木登りをしては擦り傷だらけになる、そんなあの子の姿ばかりを目で追うようになっていた。
ある時、私がいる部屋の中に男性の保育士と女性の保育士が何かを話しながら入ってきた。
二人の大人の姿を見た私は、特段隠れる理由も必要も無いはずなのに、慌てて部屋の隅に身を潜めた。
どうやら近々行われる遠足についての話し合いをしているらしい。
「少し先のことにはなりますけど、今度の遠足の件どうしましょうか。やっぱり今回も私が女の子達の引率をした方がいいですよね。最近は幼児誘拐やらよくニュースなんかで騒がれてますし」
「ええ、それで構いませんよ。僕が男子の引率をしますよ。やっぱり保護者達の目もありますしね。同性の保育士が担当する方がきっと安心でしょう」
この保育園の遠足は人数の関係上男児と女児とを分けそれぞれ設定された目的地へと向かわせる。そのため男児の世話する保育士と女児の世話をする保育士とで上手く役割分担をしなければならない。
二人が話し合っているのはその事についてだろうか。
「男子達、あの子ら元気なんで少し目を離した隙に怪我しないか心配なんですよね。公園とかに連れて行くとすぐ木登りを始めちゃう子もいるので落ちたりしないか心配で、注意はするんですけど、言う事聞いてくれませんしね……」
「分かります。私もそういう時はどうしたらいいか分かんないです」
私は二人の話をうんうんと頷きながら話を聞いていた。
男の子ははしゃぎまわっては怪我をすることが多い。怪我をして勝ち誇ったような顔でいる子もいれば、わんわんと泣き喚く子もいる。
そこでふと私はあの子の事を思い浮かべた。
──あの子はよく擦り傷を作っているけど、泣いたりしたところは見たことないな。
「そういえば、男女で分ける時 ″あの子″ はどうしましょうか」
「 ″あの子″ って彼方くんの事ですか?」
「ええ、そうです」
…………っ!!
私が今正に思い浮かべていた子が突然話題に上がったことに驚いて叫びそうになってしまった。
──えっ、というか彼方 ″くん″ ?
「あの子、見た目こそは女の子みたいに可愛いですけどその、男の子ですし。それに男の子達とも問題無く遊べているようなので遠足の日は男の子達のグループに振り分けても大丈夫じゃないでしょうか」
「そうですか。だったら男子達のグループと一緒でも問題なさそうですね」
「まあでも本人の希望もあるでしょうし、一応私の方からも後で本人に確認してみますね」
「そうですね。はい、よろしくお願いします」
そう言って話は終わり、二人の保育士は各々の仕事に戻った。
部屋には私だけが取り残され、先ほどの話がどうしても頭から離れなかった。
──あんなに見た目や仕草、ちょっとした時の色んな表情も可愛くて。
そんな子が実は男の子……!?
嘘……、信じられない……。
あの子が入園した日に一目見てからずっと女の子だと思ってずっと目で追ってきた。
肩にかかるほどに長い髪。笑った表情がとても可愛い顔。全てにおいての仕草。
どれを取っても今まで見てきた男の子達とは異なる物だったし、だからこそ私はあの子のことを女の子だと思っていた。
でもそうじゃなかった。
それがどうしても受け入れられなかった私は迎えに来てくれた母に胸中をぶちまけた。
「あのね、愛梨。私達が生きてるこの世界にはね色んな人がいるのよ」
「……色んな人?」
「ええ、そうよ。色んな人」
「その彼方くんみたいに女の子みたいな男の子もいれば、男の子みたいな女の子もいたり。男の子が好きな男の子や女の子が好きな女の子もいる。本当に色々なの」
「うーん……、よく分かんない」
「愛梨にはまだ難しい話かもしれないわね」
私の話を聞いてくれた母は私の頭を撫でながらゆっくりと言い聞かせるように話してくれた。
「でもこれだけは憶えておいて。愛梨の周りには色んな人がいてみんなそれぞれ違う考え方を持って違う生き方をしてるの」
「うん」
「だからもし愛梨が ″普通″ だと思ってることとは違う事をしてる人がいても、その人の事を悪く言わないで。愛梨にとっての ″普通″ だとか ″当たり前″ だとかはその人にとっては当たり前じゃないかもしれないから。愛梨にはそういうのを考えられる子に育って欲しいってお母さん思うな」
「……うん、わかった!」
私の返事を聞いて微笑みながら尚も頭を撫で続けてくれる母。
そんな母と家までの道を歩きながら、私は心の中でほんの小さな決意を固めた。
──決めた。明日保育園に行ったらあの子に話しかけよう。
ずっと独りで寂しい思いをしていた。
けれどその気持ちを素直に伝えることが出来ず、部屋に篭もってきた。
あの子が入園してきてから毎日、本当は気になって仕方がなかったのに声をかけることさえ出来ず、目で追うばかりだった。
本当はずっと一緒に遊びたかったのに。仲良くなりたかったのに。
嫌われるのが怖かった。だから素直になれずにいた。
けれどさっきの話を聞いて、母に『あなたはあなたのままでいい』のだとそう言われ認められたようで嬉しかった。
翌朝、母に手を握られながら保育園に来た私はあの子を見つけるなりそこに駆けつけていった。
「……あ、あの」
「?」
私が声を掛けると彼方はこちらに振り返り、首を傾げた。
彼からしてみれば私とは初対面なのだろうし当然の反応かもしれない。
私がモジモジとしていると隣に立つ母が背を叩き「頑張れっ」と小声で応援してくれた。
母の期待に答えようともう一度彼と顔を合わせ私は、
「……おはよう!!!」
思ったよりも大きな声で挨拶をした。
恥ずかしさから顔が熱くなり、今にも逃げ出してしまいそうな気分になった。
同時に彼のクスクスと笑う声が聞こえてきて踵を返して逃げようとした時。
「うん、おはよう!」
初めて聞く声で、彼は元気に挨拶を返してくれた。
声に応えるようにもう一度彼の顔を見てみるとその顔は満面の笑みで、その表情を見ただけで私まで笑顔になってしまった。
「僕の名前、
「わたし、
これは幼い私とあの子が初めて出逢った日のこと。
しかし、その日以降また二人が話すことは無かった。
目を合わせた時に挨拶こそすれ一緒にいることはほとんどなかった。
人気者の ″ぬいちゃん″ には私以外にも多くの遊び相手がいたから、その事で気が引けてしまい話しかけることすら出来ないままでいた。
ある日、今まで通り独りで部屋に引き篭って絵本を読んでいた時の事。
「あいりちゃんもお外で遊ぼうよ」
「……ごめん、わたしは絵本を読んでいたいから」
彼方が話しかけてきてくれた。
内心で喜びを感じつつ、けれど外に出て遊ぶ事自体は億劫に思えてしまう。
せっかく誘ってくれた彼の気持ちを無碍にしたくない反面、本当は外で遊びたくないという半端な気持ちのまま彼と一緒にいること。そして自分といることは彼の時間を無駄に消費してしまうだけなのではないかという罪悪感から彼の誘いを断ってしまった。
──これでもうこの子とは一緒にいられなくなっちゃうな。
途端に覚える焦燥感。
残ったのは後悔だった。変に色々と考えずに誘いを受ければよかった。
怒っているだろうか。寂しがっているだろうか。呆れてしまっただろうか。
今彼がどんなことを思っているのか、どんな顔をしているのか気になってしまう。私は絵本を読むフリをして恐る恐る彼の顔を覗いた。
目の前の彼の顔は相も変わらずの笑顔のままだった。
そして、
「そっか!じゃあ僕も一緒に絵本読も!」
そう言って棚から何冊か絵本を抜き取ると私の隣に腰掛けて絵本を読み始めた。
「どうして……?」
「だって僕はあいりちゃんともっと仲良くなりたいし、あいりちゃんが好きな事も好きになりたい。それにもっと一緒にいたいもん!それじゃダメかな」
最初は聞き間違いかと思った。けれど違った。
彼は拒まれた上でそれでも仲良くなりたい、一緒にいたいと言ってくれた。それが凄く嬉しかった。
だってそれは私も同じだったから……
「わたしもかなたくんともっと仲良くなりたい。外で遊ぶのもボール遊びも苦手だけど、それでも良かったら私と仲良くしてくだ……さい」
彼方も一緒にいたいとそう思ってくれてると知れて。そしてそれは私も同じ気持ちで。
それが分かったから、だから次はきちんと本音で話すことが出来た。恥ずかしがりながらも手を差し伸べて。
彼方もその答えを聞いて満面の笑みを浮かべ、私の手を握った。
「うん、もちろんだよ!よろしくね!」
それから私達二人はいつも一緒にいるようになった。
私は木に登った彼方を「危ないよ」と注意しつつも、木に登った彼に引っ張ってもらって一緒に木に登るようにもなった。
彼方も私が勧めた絵本を読んだりと私達二人の中はますます深まっていった。
自由気ままな彼方に振り回されながら、片時も離れること無く二人の時間を過ごしていった。
彼方と出会うまでは独りでいることの方が多く、笑顔なんて母である由紀菜の前でしか見せたことがなかった私。
いつしか笑顔が増え、家に帰れば彼方の話ばかりしてしまって、それを聞く母は楽しそうに私の話を聞いてくれた。
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