第13話 レニの笑み

 怪我を治してもらってから馬車へと乗り込み、ナジェにさらに詳しい経緯

を説明した。


 すると、沈んだ顔つきで話始めた。


「あの街は昔から治安が悪く貧民層が集う場所なんだ。今は流行り病の中心地となってしまっている」


「流行り病?」


「ここ半年程のことだ。原因も分からず、俺が来るたびに治療してはいるがそれでも追いつかない」


「病院はないの?」


「王都の街に小さな病院はあるが、あの街に住む者達が行けるような金額ではない」


 そう答えるナジェもなんだか辛そうだ。



 原因が分からない流行り病か。


 街の様子やスピンの家を見て明らかなのは、あの街にはまず清潔さが足りないということだ。先ほどちらりと見えた食品を扱っているお店の衛生状態も非常に気になる。


 スピンのお父さんの様子を見る限り風邪をこじらせたような印象が強かった。まあ医師でも無い私にそんなことを断定するのは無理があるが……。


 この世界で魔法技術は相当高レベルなものであると言えるが、科学や医療の発展はまだまだであることが勉強の苦手だった私でもよく分かる。



 まずは清潔に整えた空間で療養する。それだけでもクリアできれば、かなり改善するのではないだろうか。


「何か解決に役立つ魔法道具が作れたらいいんだけどな」


 思わず口に出ていた私の言葉にナジェが顔を緩める。


「あぁ、俺もそうしたいと思ってる」


「私、考えてみる! 分からないこと出て来たらまた相談させてね」


 ナジェはほっとしたような、ちょっと呆れたような、だけどいつもよりも優しい顔で私の言葉にイエスと応えた。


 それから、ホッとしたからなのか珍しく一度に沢山のことを考えすぎたからなのか、急に緊張の糸が途切れたように睡魔が襲ってきた。




 寝ないように頑張っていたはずなのに、気づいたらもう窓の外にはエメラルド塔の外観が見えている場所だった。


 寝てしまった……。変な顔でも見られてたらどうしよう、揶揄われたりしないかな……。

 


 恐る恐るナジェの顔を窺い見ようと動いたら私の体から何かがさらりと落ちた。

 それはナジェが身につけていたマント。


 これ、掛けてくれたんだ。通りで寒くないはずだ。



「着いたぞ」


 その言葉と同時にエメラルド塔の入口に馬車が停止した。ナジェのエスコートで馬車を降りると、辺りはすっかり夕暮れの赤い陽に染まっている。


 手を離してお礼を言おうとしたものの、その手はがっちりと繋がれたまま歩き出していた。


「あ、あの」


「部屋まで送る」


 ナジェは前を真っ直ぐ見たまま言った。またいつもの表情の無い端正な顔。


 知り合った当初は『無愛想な人だなあ』なんて思っていたその表情にも、その裏に隠されたあらゆる感情があることをなんとなく感じ始めている。


 もしかして、今日色々あったことを心配してくれてるの?


 そう思うとなんだか心がくすぐったいような気がした。気のせいじゃないといい、と思ってしまうのは図々しいだろうか。




 エメラルド塔に入り、1階のエントランスを抜けた所で向かい側からこちらに歩いてくる集団がいた。


 中心にいるドレスの令嬢は、緩やかなウェーブがかかった金髪の女性。


 あれはもしや、ティナ様では……!


 反射的にナジェにエスコートされた手を引っ込めようとしたけれど、びくともしなかった。


 決していい予感はしない。

 

 

 距離が近づいたティナ様は、美しいその顔を引き攣らせながら笑っていた。


「あら、ナイジェル様。ごきげんよう」


「……あぁ」


 低く呟いて、ナジェは止まる素振りも一切見せずにそのまま通り過ぎて行く。手を引かれている私には抗う術もない。


 すれ違い様のティナ様の険しい形相が目に焼き付いた。


 こ、怖いよ……。


「ナイジェル様、お待ちしておりましたのよ」


 ナジェの足が止まる。でも振り返らない。


「特に約束はしていないが」


「そんな冷たいことをおっしゃるなんて、ひどいですわ」


 ティナ様はナジェの前に回り込み、上目遣いで甘えた声を出す。


 すかさず彼の胸に手を当てて可憐に微笑んだティナ様を見て、私は思わずナジェの手を振りほどいて離れた。


 「あ、じゃあ、私はここで! 今日はありがとうございました!」


 勝ち誇ったような顔をしているティナ様と、驚いた顔をしているナジェをなるべく見ないようにしてその場から立ち去った。



 そうだ、ティナ様はナジェと婚約してるって言ってた。忘れていた現実を突きつけられて、心がスッと冷たくなった気がした。


 いくら女性をエスコートするのが当たり前の世界とはいえ、婚約者のいる人とこんな風に歩くのは良くないだろう。とても失礼なことをしてしまっているんだ。


 私、何か勘違いでもしてたのかもしれない。


 きっと魔法研究が楽しすぎて、一緒に研究に取り組んでいるうちに同志のような、年下の弟のようにでも感じて強い身内感覚になってしまったんだわ。


 それにいくら彼の立場が上で頼りになるからといっても、私は年上なんだからこんな風に甘えたりしてはいけない。

 


 後ろを振り返り、もうかなり遠くに見える二人の後ろ姿を見つめながら、自分の心にそっと釘を刺した。



◇◇◇



 翌日、いつものように研究室に行くとレニが駆け寄ってきた。


「リシャ、昨日は大変だったんだって?」


 えっ?昨日の帰りティナ様と会ったこと知ってるのかな?


 あの後は何故だかあの2人の後ろ姿がいつまでも頭から離れなくてあまり眠れなかったのだ。

 

 昨日のティナ様との遭遇を思い出してぼーっとしていると、レニは心配そうに呟く。


「襲われそうになった子供を庇って怪我しちゃったんでしょ?」


 あっ!そのことか。


「ううん、大丈夫! ちゃんとナジェが治してくれたから」


「そうだよね、所長は治癒魔法も保護魔法も完璧だからね! 王国随一の魔道士だもの」


「ふふ、でもあんなに焦ったナジェ初めて見たかも」


「えっ?」


「ナジェが体を張って庇ってくれたから大事に至らなかったの」


「……! 所長が魔法も使わずにリシャを庇ったの?」


「うん。多分、突然過ぎてそんな暇なかったんだと思う」


 私の言葉を聞いた瞬間、レニの表情がスッと変わった。


「え……あのいつでも冷静沈着で愛想もなく人に興味が無いと言われているエメラルド塔きっての無表情な最強の氷の魔道士が、魔法を使う余裕も無い程に焦るなんてことあるわけが……ましてや魔法ではなく体を張って誰かを庇うなんてこと……っていうか、体張るより魔法使う方が早いし――」


 突然、真顔になり静かなトーンでぶつぶつと呟き始めたレニがなんかこわい……。美少女だから余計に。


「あ、あの、レニ?」


「あ! ごめんごめん! ちょっと考え事してただけ!」


「そ、そう?」


「まあとにかくリシャが無事で良かった! そうか……そうなのね、ふふ」


 謎の笑みを浮かべたレニにどうしたらいいのか分からなかったので、取り敢えずなんとなく一緒に笑ってみた。




 そんなほのぼのした時間を過ごしていた私には、これから迫ってくるティナ様の策略などに気づくはずもなかった。

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