俺は覇王、今から世界を統一するが文句はないな?

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龍皇結界編

第1話 龍皇結界に飛ばされた子

 テスラ大陸の上空に浮かぶ最高難度ダンジョン・龍皇結界りゅうおうけっかい


 龍皇結界の頂には、絶対龍皇ぜったいりゅうおうインペリアルが君臨しており、己を撃ち滅ぼした者の願いを叶えるという。



――――龍皇結界・冒険録より――――



「龍皇結界いいなぁ、俺も冒険してみたい」


 残暑が残る季節。ゼスティベルク公爵家の書斎で、青年の悩ましげな声がする。ほぅと息を吐いて、アスター・フォン・ゼスティベルクは書物を閉じた。


 アスターは立ち上がり、ガラス窓から外を覗く。窓ガラスには黒髪黒目の青年が映り、その先には視界に収まりきらない広大な公爵家の庭が見える。


 つり目なまなじりをさらに釣り上げ、遠くを眺める。まるで異国に憧れる子供のように。


「あと三年、そしたら家から抜け出せる。……ん、誰か来る?」


 革張りの古本を本棚に戻し、書斎の外から聞こえる足音に耳を澄ました。その歩調は荒い。


 書斎の扉が乱暴に開かれた。


 入り口に立つのはアスターの兄。グランツ・フォン・ゼスティベルク。アスターを大人びさせた風貌に、金髪碧眼の美男子だ。しかし、怒りで顔を歪めているせいで魅力は半減である。


「俺の魔法の実験台に、特別に選んでやろう!」


「学院から帰省して、すぐ言う事がそれかよ……兄上」


 すぐさまグランツの拳が飛ぶ。アスターの腰が床に落ちる。


「いってぇ……!」


「ユニーク魔法は使えず、普通の魔法も使えない。この落ちこぼれが! 口答えなど見苦しい!」


 忌々しいとばかりに吐き捨てるグランツ。彼の言葉は最もである。


この世で一人しか使えない、特別な魔法。それがユニーク魔法。このタイランター帝国では強者の条件であり、皇族貴族の特権だ。それが貴族の末子たるアスターにはない。圧倒的な不利だった。


 しかし、アスターを襲う不運はそれだけではなかった。


(こんな体質のせいで厄介者扱いされるし)


 殴られた頬をさするが、そこにはかすり傷一つない。アスターは特異体質だった。それが奇異に拍車をかけた。


 アスターが赤子の頃の話。母親が目を離した隙に階段から落ちたのだ。しかし、全身打撲したはずのアスターは楽しそうに笑っていたという。


気味が悪い、そう囁かれるまで時間はかからなかった。


(頑丈なだけな無駄飯喰らい、そりゃ嫌われる)


 そういった不幸が積み重なり、幼少期からずっとゼスティベルク公爵家の恥だった。もちろん、外出など許されない。アスターは屋敷内で軟禁され続けていた。


しかし、アスターの不幸はもう一つある。


「お兄様ったらこんなところに」


「ルスティか」


「はい。お父上がワタクシたちをお呼びです」


「……命拾いしたな愚弟」


 令嬢はルスティメリ・フォン・ゼスティベルク。公爵家の長女で、アスターの姉である。


 薄ら寒い微笑みを浮かべ、ルスティメリは兄を見送る。そして、シルクのドレスを靡かせてアスターに近寄る。


「久しぶりね。ごきげんよう。半年ぶり?」


「そうですね……お久しぶりです。姉上は父上に、帰郷の挨拶をしなくてもよろしいのですか?」


 アスターは使い慣れてない敬語を口にし、ルスティメリを見上げる。すると驚いたことに、姉の方からアスターに視線を合わせてきた。濡れ羽色の髪がはらりと肩口から落ち、ドレスの胸元にぱさりとかかる。


アスターは誘われるままに、姉の黒い瞳を覗いた。傾国の姫と例えても遜色ないほど美しい。実姉でなければ、簡単に魅了されていたかもしれない。ルスティメリとは、そういう女だ。


「もちろんですわ。ですがその前に、愚弟の顔を拝むのも悪くないでしょう?」


「そうかもしれませんね」


 皮肉たっぷりの言葉を、無関心を装って、精一杯無骨に返す。


 実際、アスターは姉の皮肉にはもう慣れていた。ルスティメリは暴力を振るわない。黙っていれば満足して立ち去るからだ。


今回もやはり、愚弟だの無能だの言いながら、罵詈雑言を撒き散すだけだった。


「…………」


 ルスティメリはつまらなそうに、無表情を貫くアスターを眺めていた。口での攻撃は無駄だと悟ったらしい。彼女は最後にアスターの耳元で囁いた。


「よくお聞きなさい。アスターは今日で十五歳ですから、今夜プレゼントを差し上げますわ」


「はい? ……姉上が?」


 姉の口からプレゼントという戯言を聞き、思わず問い返す。

 ルスティメリは何も言わない。ただニヤニヤしながら、書斎を立ち去っていった。


「それじゃあまた夜に」


 バタンと閉められる扉。


 背中を追うアスターはしかし、答えを聞くことは叶わなかった。知りたくば夜に来い、ということだろう。気味が悪いという他ない。


「なんだってんだ、いきなり」


 気色の悪い笑みを浮かべる姉のことだ。どうせ碌なプレゼントではない。警戒しておいて損はないだろう。そう考えながら、アスターは読書を再開するのだった。


 それから時計の長針が四週ほど回り、窓からの西日がなくなり始めた。


 そこで初めて、アスターはページを捲る手元が暗いことに気付いた。魔物生態学を読みふけっていたらしく、もう残すところ十ページも残っていなかった。


「ん~、もう夜になるのか。もう一冊、魔法科学概論かテスラ地政学のどっちかが読みたかったな」


 それもこれもルスティメリの話が無駄に長かったせいである。

 悪態を吐きながら、そういえば……とルスティメリの言葉を思い出す。


「今夜プレゼントを差し上げます、ねえ。どうせなら物じゃなくて自由が欲しいが……」


 無駄な願いかと思いながら、アスターは寝所に向かう。


 一応のこと、アスターには部屋が用意されている。


 家具はベッド一つだ。そのベッドのシーツには穴が開いており、使い心地は浮浪者や家畜が敷く寝藁と変わらない。寝室とは名ばかりの物置部屋である。

 当然の如く、掛布団など存在しないし、冬は地獄の寒さを誇る。


 そんな粗末な部屋の前でルスティメリが待ち受けていた。


「随分と書斎に引き籠っていたようですわね。探しましたわ」


「それはそれは、ご足労をおかけしまして申し訳ございません姉上」


 視線の火花が散る中で、二人は頑として動かなかった。

 やがて見合いに飽きたルスティメリは口を開いた。周囲を気にする素振り見るに、若干焦っているようである。


「昼間、伝えた件ですが」


「ああ、プレゼントのことですか」


「ええ、それでアスターついて来てほしいのですけれど」


 その後に続いた言外の圧力によって、アスターは頷かざるを得なかった。


 ルスティメリは満足そうに唇を歪め、いらっしゃいと手招きした。


「…………」


「…………」


 姉の後ろを無言でついていく。

 そのうちに五人は通れそうな玄関が二人の足を止めた。アスターはほとんどこの玄関をくぐったことはない。アスターの外出は、ゼスティベルク家当主によって厳重に管理されているのである。


「姉上? 俺はここから出られないはずですが?」


 ルスティメリは問いかけを無視して玄関扉の取っ手を引いた。昼間とは打って変わった涼しい空気が流れてくる。


「許可は取ってありますよ。当然ではありませんか。さあ、中庭に出ましょう」


「はあ、わかりました」


(よく父上が許したな。俺が頼んでも許可されたことないのに)


 そこは一人娘を溺愛している当主のこと。おねだりされて許可を出したのだろう。それか公務に追われていて話を聞かずに許可したか。どちらもあり得そうだから困る。


 窓際越しに見ていた中庭。見上げれば双子月ふたごづきの片割れ、神秘的な白光をまとう蒼月そうげつが雲間に鎮座している。明日の夜には、妖しい夜光を放つ紅月こうげつを拝めるはずだ。

 当たり前のことに感動していると、いつの間にか二人は屋敷の裏手に回っていた。五分は歩いていたようだ。


 そこから人の手が入った森を進むと、アスターが見たこともない納屋が立っていた。人が立ち寄った痕跡がなさそうなボロ屋。公爵家の屋敷の裏手にこんな建築物があったこと自体が驚きだった。


「この中ですわ」


(怪しさしかないな。でも俺に拒否権はないか)


 暗殺でもするつもりなのだろうかと危ぶむほどだ。しかし、いくらルスティメリとはいえ、勝手にアスターを殺せば、当主から厳罰に処されるのは想像に難くない。


 ならば本当に密会してプレゼントを渡すために…………?


 アスターは柄にもなく興奮しつつ、ルスティメリの後に続いた。納屋に入ると、二人以外にもう一つ人影があった。


「遅かったな、ルスティ」


「申し訳ありません、お兄様。少々、アスターを探すのに手間取りまして」


 まさか書斎に籠りっぱなしとは思いませんでしたわ、と嫌味っぽく言い訳する。

 その様子を眺めた俺は、呆れて一歩後退った。


「なんだ。結局二人して俺を痛めつけようってことかよ。もう帰っていいか?」


「お前に拒否権なんかあるわけないだろ。さっさと俺たちについてこい」


 やはり拒否権は無かった。

 グランツは身の丈ほどもある木箱の上から退くと、その木箱を退け始める。ズッ、ズリッと木目の床を擦っている。よく見ると、動かしている方向だけ、気の床は擦れて禿げていた。


 グランツが木箱を退けると、そこには地下へと続く入り口があった。


(いよいよやばい雰囲気だな。でも兄上たちを相手にしたら逃げられないし。ついていくしかないか)


 グランツはランプに手をかざし、魔法名を唱え始めた。兄の腕から不可視の力を感じる。


「ファイア」


(火の初級魔法・ファイアか。俺にはこんな風に使えないから羨ましいぜ)


 瞬間、力の塊は火に変わり、ランプに明かりを灯した。

 グランツは灯りを手に下げ、地下へと降りていく。ルスティメリもそれに続く。二人とも声を掛けないが、降りてこいと言うことだろう。

 覚悟を決めたアスターは下り階段を降り始めた。


(なんだろうな、ここ。ゼスティベルクの拷問用の地下室か? それにしちゃあ通路が狭いし、血痕もない。しかも、多湿のわりにカビ一つない。手入れが行き届いている証拠だ。裏手の森の中にあることを考えると、非常用の逃走路だったりするんだろうか……)


 よもやゼスティベルク家から放逐する気で連れて来たのか?

 淡い期待を持ったアスターだったが、すぐに違うと気付かされた。


 階段を下りきると、地下にしては明るい空間に出た。中央に十メートルはあろうかという円が描かれており、その円の中には幾何学模様が描かれている。

 その模様は複雑すぎて、アスターには何を意味しているのか分からなかった。

 しかし、この陣が何なのかはすぐに理解できた。


「これ魔法陣じゃねえか!?」


 アスターは素っ頓狂な声を上げ、広大すぎる魔法陣を見つめた。

 先ほどグランツが使ったのは魔法であり、魔法陣とは少し違う。魔法陣は誰でも使える。それこそ、魔法科学に近いものである。


 魔法陣に驚いていると、いきなり後ろから蹴られた。

 こんな事をするのはグランツしかいない。


「さっさと中に入って、魔力を通せ」


「魔力を通せ?」


「なんだ、まさか魔力操作もできない落ちこぼれだったのか?」


「……それくらいできる」


 アスターはムッとして言い返した。


 魔力は魔法の源。


 テスラ大陸の地下に広がる龍脈からは、魔素が沸き出し、全生物は大地から大気に放出された魔素を取り込んで生きている。


 そして魔力は、魔素が心臓を経由することで生み出されるエネルギーである。


 いくらアスターでも、この魔力を持っていないわけがない。


(魔法陣を使った実験を俺にさせる気か? 今日は一際、危険なことを要求しやがる。まあ、曲線の多い模様を見るに、攻撃魔法の類いじゃなさそうだ……諦めよう)


 攻撃魔法の魔法陣ならば、直線的な幾何学模様が多くなるはずだ。それに比べれば、これは補助などの魔法に近い。少しは安心できる。


 それに彼らの道楽を満たせなければ、次は直接痛めつけにくるだろう。


 アスターは渋面を隠しつつ従う。さっさと魔法陣の中央に手を置き、魔力を解き放った。


「……はっ!」


 アスターの魔力は魔法陣に吸い取られ、一時的に体が重くなった。相当な量の魔力が吸収されているらしい。

 

「ほう。魔力量だけはあるじゃないか……」


「これならうまく発動するでしょう」


 外野の二人が、アスターの魔力を感じてほくそ笑んだ。


 その瞬間、魔法陣の幾何学模様が輝き始めた。魔法が発動する前段階であり、発動までにもう少しかかるだろう。


「ほら出来たぞ。って、おい。魔法陣から出られないぞ。どうなってるんだ!?」


「気のせいじゃないかしら」


「ククク、そうだぞアスター。俺には何も見えないな」


 魔法陣の端に寄って、二人を問い詰める。


 しかし、アスターと二人の間には、魔法陣を境界にして魔力の壁ができている。これを感知できない二人ではないはずだ。


(……ハメられた!? 最初から閉じ込めることが目的だったのか!?)


「出せ、俺をここから出せよ!」


「安心しろ。すぐに出れる。まあ、出口はここじゃないけどな」


 グランツが腹を抱えながら告げる。


「これは転移魔法陣だよ、バーカ!」


「転移!?」


 転移は空間系の高等魔法で、対象を別の場所に飛ばす魔法だったはずだ。つまり、この兄姉たちはアスターを未知の大地に放り出してしまおうとしているのである。


「そうだ! しかも転移先は、お前の大好きな龍皇結界に設定してある。喜べよ」


「はあ……!?」


 龍皇結界。


 テスラ大陸でそのダンジョンを知らない者はいない、神魔の存在が蔓延る浮遊大陸。選ばれた英雄・冒険者しか侵入することを許されず、聖域を犯した存在は帰ってこないと噂されるほどのダンジョン。


 そんな場所に転移するというのは、死の宣告に等しかった。

 

「ふざけんな! 今すぐ出せ、この野郎!」


 もはや敬称をつけるのも止め、魔力壁を殴りつけるアスター。


 それでも魔力壁はビクともしない。


 魔力壁が届かない天井から、ポイッとシースナイフが放り込まれる。鞘のせいで正確な刃渡りは分からないが、パッと見て大降りかつ肉厚だと思われる。


「ほら愚弟、それでわたくしたちを刺してみなさい」


「ははは傑作だな! できるものならやってみろアスター!」


「この、性根の腐ったクソ兄姉ども……!」


 魔力壁に阻まれた状態で、二人に危害を加えられるわけが無かった。それを見越してショーを楽しんでいるのだ。


 悪魔の方が良心的な連中に思えた。


 真下に描かれた魔法陣を靴底で消そうとするが、特殊なインクを使っているのか効果はない。次第に光が強くなり、アスターは魔法陣の発動を悟る。


 視界が白くなっていく中で、アスターはグランツとルスティメリに叫びを叩きつける。

 

「絶対、お前らの前に戻ってきてやる!」


 しかし、すでに声が遮断されているのか、外の音が聞こえなくなっていた。


 だが、そんなことは知ったことではない。俺は力の限り叫ぶ。


「覚えてろよぉぉぉぉぉぉ!」


「――――」


 じゃあね、と忌々しい姉の口は動いていた。

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