第16話 話すこと、知ること


────放課後、水野さんと本音でぶつかりあった私は今、楠さんと職員室に向かっている。



……そもそも事の発端は私にある。



……水野さんが大声で「うるさい!」と怒鳴ったことで、教室の空気が一変した。まさにその時──楠さんが教室に入ってきた。


楠さんは水野さんに視線を向け、“嫌がらせをしたのでは”という疑いの目を向けた。


……私は楠さんの勘違いにつけ込み、「水野さんに“嫌い”って言われてショックだった」と、嘘をついた。


唖然とする水野さんをよそに、楠さんは怒りをあらわにして、私を連れて先生に報告しに行こうと教室を飛び出した。


 ︎︎そして今に至っている。

……けれど、私は先生に報告するつもりなんて更々さらさらない。理由は、ややこしい事に発展しそうだから。ただそれだけ。


……もう教室から離れている。そろそろ小走りを止めて、楠さんに職員室には行かないことを伝えよう。



「楠さ……うわ!」



「あ、ごめん!栗本さん!」




 ︎︎前方を小走りしていた楠さんが急に足を止めたため、ちょうど真後ろにいた私は軽く衝突した。



「あ、大丈夫。……それより私、職員室には行かなくていいと思ってるんだ。……その、そこまで怒ってもないし」



 ︎︎ボソボソと言う私に、楠さんは黒眼鏡の位置を上げると、少し申し訳なさそうに笑った。



「……実は何となく、あのまま教室にいたら気まづいと思って、だからわざと私、『職員室に行こう!』なんて言った!ごめん!!」



「え。……ふふっ、なんだそうだったんだ〜。私、正直そこまでしなくてもいいんだけどなーって思って、ちょうど楠さんに言おうしてた」



私がそう言うと、楠さんはいたずらに笑みを浮かべながら口を開く。



「……本心はさ、先生に言うの……」




『「めんどくさ~い!!」』



 ︎︎私たちは同時に声を合わせた。

お互い、全く同じことを思っていたことが分かり、しばらく笑いあった。




 ︎︎職員室には行かず、私と楠さんは下校した。


 ︎︎楠さんと途中で別れたあと、ライアーが姿を現した。

ライアーは、いつも通りのんびりとミステリアスな雰囲気を漂わせて私の隣を歩く。




「ねぇ、ライアー。……放課後、水野さんが私と2人っきりで話したいっていうから教室の外に出たでしょ?」



「……あぁ。けど、透明化して2人の会話の様子は見ていたよ」




……やっぱりそうだったんだ。

死神は、私たちの目では見えない「透明化」ができる。

透明化すると、水野さんが言う“オーラ”はもちろん、私にも見えない。




「……ライアー、私と水野さんが話している時、何かした?」



「何かしたって?……別に何もしてないよ。ただ透明化して見てただけさ」



「え、本当に?……てっきり、ライアーが死神の力を使って私に何かしたから、水野さんにあんなことを……」




 ︎︎私は水野さんに対して、「私も嫌い」と言って本音をたくさん言葉にしたり、あの会話を「録音してた」と言って嘘をついた。……終いには青ざめていく水野さんの顔を見て、「面白い」と感じてしまっていた。

……ライアーの死神の力で作用したものと思ったけれど違うみたい。




「……まったく、何でもかんでも死神の力のせいにしないでほしいな。その言動は全部“まゆりの意思”でやったものさ。僕には関係ない」



「……そっか。……私、人にあんな風に言ったのいつぶりだろう。それに、いくら嫌いな人だからって青ざめた顔を見て『面白い』とか思うのは良くないよね……」



 ︎︎ 絵の具で描いたようなオレンジ色と紫色の交じった空を見上げながら、自己反省を勝手にする。




「……人は、嫌いな人に一泡吹かせることが出来た時、喜びや正当性、安堵を感じるのはごく普通なことだと僕は思っている。その気持ちで終わる者もいれば、まゆりのように自分の行動を省みる人もいる。……今後どうするかは、その相手の性格や言動、そして自分自身がどうしたいかによって未来は変わるのかもしれないね」




「……ライアーって月そのものみたい。この世界を静かに眩しくないくらいに照らして、善も悪も分け隔てなく受け入れる……そんな存在」



「……そう?……嬉しいよ、ありがとう」




 ︎︎ライアーは、私の言った言葉に少し目を見開くと、嬉しさと哀愁を漂わせて微笑んだ。

左の瞳にはいつも通りの美しい群青色の海に、さざなみが加わっている。右目は相変わらず、前髪で隠れていて見えない。




 ︎︎ 気づけば私の住むアパートが見えていた。


……私が今日、水野さんと話していて“怖い”と感じなかったのはライアーと一瞬だけ手を握ったからだと思っていたけど、もしかしたら最近のお母さんの方が“怖い”と感じていたのもあるかもしれない。 ──いや、ダメだ。そんなこと考えちゃ。今の考えは忘れよう。




「ただいま」



「おかえり、まゆり。……あ、そういえばテストそろそろ返ってきてるんじゃないの?」



「あ、うん。……結構点数良かったよ」



「あら本当? お母さんも見たいわ」




 ︎︎今日のお母さんは少しだけ明るい。

……もしかしたら、どのテストも高得点だから喜んでくれるかも。

 ︎︎そう思った私は、すぐに鞄から返却されたテスト用紙を手にお母さんの元へと持っていく。




「……まぁ!よく頑張ったじゃない!どれも前より上がってて……あら?まゆりは“数学得意”じゃなかったの?」



「え……、私は数学苦手だよ。でも、前は60点代だったからだいぶ上がったよ」



「あら、そうだった?まぁ、でもどれも高いからお母さん、嬉しいわ。……あ、そうだわ!今日の夕飯は、まゆりの好きなクリームシチューにしましょ」



「え、やった〜嬉しい!」



「ふふ、とびきり美味しいのを作るからね」



「うん!」




 ︎︎そう平和な会話を交わしたあと、私は鞄を自室へと持っていく。



「はぁ……」



 ︎︎ガチャンと扉を閉めた後、ため息をついた。

褒められて嬉しいことなのに、どうしようもなく虚しい。

 ︎︎ライアーはそんな私を、デスクチェアに座りながら静かに見ている。


 ︎︎私は小さい頃から算数が苦手だった。中学、高校に入っても数学が苦手だと話したことがあるのに、お母さんは何故か“得意”だと思い込んでいた。それが少し悲しかった。


 ︎︎それに、機嫌を良くしたお母さんは“私の好物”であるクリームシチューを作ると意気込んでいたけど、本当は“私の好物”ではない。




「……まゆりの好きな食べ物って、──“湯掻いたとうもろこし”じゃなかった?」



「……え、なんで知ってるの」




 ︎︎どういう訳か、ライアーが私の“本当の好物”を知っていた。

──おかしい。今までライアーに好きな食べ物を話したこともないし、1ヶ月間私を観察していた時期も冬。だからとうもろこしを食べているところすら見ていないはず……。



「……ねぇ、ライアー」



「ん?何、まゆり」




「────本当は私のこと、去年の12月25日よりも前に知ってたんでしょ」



ライアーはじっと私を見つめる。



「……そうだね。まゆりの言うとおりだ」




ライアーは動揺することなく、深みのある声でそう言った。


 ︎︎私が湯掻いたとうもろこしが好きなのは、数学が苦手なのと同様に幼い頃から変わっていない。

 ︎︎両親も私が湯掻いたとうもろこしを好きなのを知って、夏の時期にはお家でよく食べていた。

……けれどお父さんとの離婚後、お母さんにはいつの間にか忘れられていた。


……小6のときに私がもう一度、湯掻いたとうもろこしが好きだと言ったときのお母さんの言葉が、今でも忘れられない。




「────はぁ、湯掻いたとうもろこしって、それ料理じゃないし、他に美味しいものあるでしょう? もっと好きな食べ物は、普通のにしときなさい」




 ︎︎呆れた様子で言うお母さんに、当時は悲しさよりも疑問の方が強かった。


────好きな食べ物は、料理じゃないといけないの? みんなそれぞれ“一番美味しい”と感じるものは違うんじゃないの?

あと、お母さんが言う────普通って何?



 ︎︎そう言いたかったけれど、あの時は言っても無駄な気がして言わなかった。

だから何となくで、“普通の好きな食べ物”を頭の中で探した。 そこでパッと頭の中に浮かんできたのが、「クリームシチュー」。

ただそれだけの理由で、私の好きな食べ物は「クリームシチュー」で貫いている。



「……あはは。お母さんって一体、誰を見ているんだろう。────これじゃまるで、私じゃない誰かを勝手に創りあげてるみたい」




 ︎︎ライアーはクスッと笑うと、勉強机に頬杖を付いた。

……全然笑うところじゃない気がするけど。



「──まゆりとお母さんはよく似ているよ」



「え、 どこが? どういうところが??」



ライアーの予想外の言葉に、私は食い気味に聞く。

 ︎︎すると、ライアーは「そろそろ夕飯出来ると思うし、リビングに行った方がいいよ」と言って、夕飯後に話すことになった。……ライアーにはそういう焦れったいところがある。

でも、私はその曖昧さに時々、少しだけ救われていたりする。





 ︎︎クリームシチューを食べていると、前の冷めたクリームシチューを思い出した。

 ︎︎楠さんたちと勉強会をした帰り、お母さんはなぜか怒っていた。


────6時過ぎには帰るって伝えたのに、なんで怒っているの?


そんな風に自分で聞けたら良かったけれど、静寂の中で冷たく私を見る眼に何も言葉が出なかった。

 ︎︎その日から今朝まで、ぎこちない空気の中で過ごした。でも今は穏やかな雰囲気に戻っている。






 ︎︎夕飯後、すぐに自室に戻るとライアーはさっきと変わらず同じ姿勢で、デスクチェアに座っていた。

私はすぐさまライアーに近づく。



「ライアー、さっきの続き。……私とお母さんが似てるって……見た目?それとも性格?」




「うーん……たしかに栗色の髪や目は似ているとは思ってるよ。……性格というより、僕が似ていると思ったのはかな」



「……思考?」



「そう、────理想のためなら自己犠牲もいとわないところ」



「え……」



見透かした瞳から目を逸らしたかったけれど、逸らせなかった。

 ︎︎今、私がやるべきことをライアーは、灯台のように照らして教えてくれる気がした。




「まゆりは今も“青春謳歌ができて死ねるならいい”と思っているでしょ。……“死”までは望んでいないと思うけれど、まゆりのお母さんも“何かを望んで”生きているのがわかる」



「“何かを望んで”……」




ライアーの言葉にハッとされた。



──私、お母さんのことを“何も”知らないかも。



……さっきまで、私の苦手科目や好物を覚えていないことに悲しがっていたけれど、私も覚えていないし知らないじゃん。



────好きな食べ物や色、場所。そしてお母さんの昔のこと




「……私、自分のことで手一杯でお母さんのこと知らなかったんだ。いや、お母さんだけじゃない。水野さんのことも……今日話すまで何も知らなかった」



私がそう言うとライアーはそっと微笑んだ。




「……自分も相手も知っていくことは、停滞していたものが動くことが多い。そのために“話す”ことは大事なのかもしれないよ。案外、自分では気づけなかったことに、相手が気づかせてくれることもある。……ほら、まゆりの本当の理想も、水野さんの話を聞いて“文武両道”じゃなくて、“青春謳歌”の方がしっくりきたでしょ?」



「……うん、そうだね。水野さんも今思えば、私と違うところで苦しめられていたんだなって気づいた。……私は、みんなからしたらごく普通の学生生活を送りたいと思っていたけれど、水野さんはそれに苦しめられていた。

───だから明日、水野さんに謝ろうと思う」




 ︎︎私の宣言にライアーは、てっきり賛成の眼差しで見てくるかと思いきや、少し鋭い目つきで私を見た。




「……まゆりが謝ることで、もしかしたら水野さんは学校中に悪い事を言いふらしたり、先生に事実をでっち上げて言ったりするかもしれないよ。それでもいいの?」



「うっ……、痛いとこを付くね。けど、このまま言わなかったら後悔しそうだから謝る。……それに、たとえ学校中が私を敵視しても、ライアーは私の傍にいるんじゃないの?……違う?」



 ︎︎私がにんまりと浮かべると、ライアーは眉毛を八の字にして笑った。




「参ったな……まゆりの言うとおりだよ。僕はまゆりがどの道に進んでも、傍にいると決めたからね」



「ふふ、そうだと思った。……なんか初めてライアーに勝った気分」



「え、初めてではないよ?……僕はもう既にまゆりに何回か負けているよ」



「……え、それってどういう……」




 ︎︎私が気になって聞くと、ライアーはデスクチェアから立ち上がり、部屋のカーテンを開けた。



「……それよりも、まゆり。見て」



「……え、わぁ……綺麗」




 ︎︎カーテンを開いた先には、銀色に輝く満月が夜空に静かに浮かんでいた。

あまり大差はないかもしれないけれど、窓を開けた。冷たい夜風にお互いの髪が揺れる。



「……ライアーの髪の色と似てるね、あの月」



「……そうかな?」



「……ねぇ、死神の髪も人間が触れたら死ぬの?」



「いや、髪なら触っても大丈夫。皮膚に触れたら死んでしまう」



「……“話すこと、知ること”って大事だね。……もっと早くに聞いとけば良かった。ライアーの髪、ツヤ感あってサラサラだからずっと触れてみたかった」



「ふふっ……そうだったんだ。 あ、ほら」




ライアーは長い髪を持って私に差し出した。

そっと毛先にかけて指を滑らすと、新品の人形の髪の毛のようにものすごく触り心地がよかった。




「……ねぇ、ライアー」



「ん?なに」



「……私、お母さんのこと何も知らないから、これから少しずつでも話して、知っていこうと思う。あと、楠さんや五十嵐くんとかも。……それからライアーに一つ約束してほしい。


────私の魂を食べる前に、ライアーのこと全部教えて」



「……あぁ、約束する」




 ︎︎月明かりに照らされながら、私の小指と、赤紫の手袋をはめたライアーの小指がしっかりと絡んだ。




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