パイ生地の使い方

宿木 柊花

第1話

 マンションの一室。

 徒歩圏内の大学で研究員をしている天野には一つロジカルには解けない悩みがある。


 書斎で論文を読むかたわらクッキーをつまむ。天野はどちらかといえば甘党ではない。

 悩みはこの『クッキー』にある。

 これは隣の家の子、亜鞠あまりの手作り。

 悩みの種は彼女。




「ピンポーン! 先生お砂糖貸して?」

 毎回この言葉と共に少し開けた玄関扉から、するりと入ってくる。

 今日もまた彼女はやってきた。

「砂糖はないぞ」

 彼女は慣れたように台所の捜索を始める。

「どこを探そうがもう甘いものはないから別の人を頼るんだな」

 冷たく言ってみるが、聞いているのかすら分からない。

 それにしてもよく他人ひとの家の収納場所を把握しているものだ。マンションと言えど棚の配置などで食料の収納場所は様々なはずだ。

 なのに彼女は迷うことなく的確に棚から引き出しまで隅々まで捜索している。


「あった!」

「あるわけないだろ」

 高々と掲げる彼女の手にはチョコレートが握られていた。

 昨年のバレンタインに寂しい研究員で渡し合った板チョコだった。

「よく見ろ、それはだ。残念ながら甘くないだろう」

「大丈夫!」

 ずっと小脇に抱えていた箱をテーブルの上に乗せる。やけに軽い音がする。

「今日はなんだというんだ?」

「先生楽しみにしてるんだね?」

 軽い咳払いで返事をする。


 中から出てきたのはパイ。

 ハート型のパイ。

 見た目は市販の『源氏パイ』に似ているが光沢がない。

「今日はパイだよ」

「みたいだな」

「パイ生地は作ったのにお砂糖がなくて、失敗失敗」

 またわざとらしく笑う。

「でも今日はビターチョコしかないが?」

「それは大丈夫」

 またどこから見つけたのか去年の夏に研究室でバーベキューをした時に余ったマシュマロをテーブルに出した。通常の物よりずっと大きな焼く用のマシュマロ。


 これをこうして……。

 砕いたチョコをレンジで溶かす。数十秒でキレイに溶けた。

 次にパイの上にマシュマロを乗せてこれまたレンジに入れる。マシュマロが大きく膨らんだところでもう一枚のパイで挟むと、

「はい先生! 早くチョコ付けてパクッと」

 言われるがままチョコを半分ほど付けてパクッと食べる。

 サックリとしたパイのしたからトロリとマシュマロが溢れる。マシュマロの甘味をビターチョコレートがエスコートしてなんとも食べやすい。

「うまいな」

 いくらでもいけそうだ。


「ふふん、そうでしょ。じゃこれもらっていくね」

 いくつか材料を持って彼女は帰っていった。

 いつも彼女はこれなのだ。

 何がしたいのかさっぱり分からない。

 荒らすだけ荒らして帰っていく。

 チョコレートのついた指を舐めて少しドキドキしている自分に気づいた。

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