炎上

「今、何をした」


 肩を掴まれ、体を起こされた。


「言え、何をした」


 声がすぐには出ない。

 パンッ。

 顔を平手打ちされ、私はまた、床に倒れた。でも、痛くない。

 背中も痛くない。背中が燃えるように熱く感じるのに歯がガチガチ言うほど、寒い。


「すぐに答えないか」

「飛紙」


 私は声を絞り出して、答えた。震えが止まらない。


「あれが?」「普通のものと違う」「どこへ飛ばした」「とりあえず、早くここを出よう」


 王子の部下たちは慌てたようだった。


「殿下、ひとまず、お屋敷の方へお移りください」


 部下に言われて、ブライアン王子は舌打ちした。


「殿下!」

「わかった。撤退だ」


 部下が私を床に押さえつける。押さえつけなくても、もう、動けないのに。


「いや、トドメは刺すな。その椅子にくくりつけろ。最後まで苦しませるんだ。この家に火をつけろ」


 ここまで憎まれているなんて、思わなかった。ここまで憎まれるなんて初めてだった。

 洗髪台の前の椅子にくくりつけられた。

 ヘアオイルの瓶が壁や床に叩きつけられる。割れた瓶からオイルがこぼれ、こんな時なのにいい香りがする。

 誰かが魔法を使っているのだろうか。部屋の四隅が燃え上がる。


「上にも火をつけておけ」

「はっ」


 オイルのいい匂いを焦げ臭い匂いが覆い尽くしていく。パチパチという音。

 私の店が、家が燃えていく。

 誰か、気づいて! 助けに来て!

 カランコロン。

 私がこだわってつけたドアベルが鳴る。


 部下がドアを開けたところでブライアン王子が振り返った。


「お前の愚かな行いを悔いるがいい」


 捨て台詞を吐いて、仲間を引き連れて出ていく。

 私はドアが閉まると、必死でアンディさんに呼びかけた。


「アンディさん、アンディさん、聞こえますか」


 私はもうダメだ。

 気を失いそうになりながらも呼びかける。

 この店のために残業していたの? そのせいで巻き込まれたの?

 お願い。生きていて。お願い。逃げて。

 もっと、大声が出せたなら。

 私はがっくりと頭を落とした。くくりつけられた縄はしっかりとしていて、とてもほどいたり、切ったりできそうにない。


 カランコロン。

 ドアベルが鳴った。

 助けが来た?

 顔をあげると、入ってきたのはブライアン王子たちだった。

 なぜ、燃えている家に戻ってきたの?

 不思議に思っていると、慌てた様子でごろつきたちが私のそばに来て、縄をほどいた。

 私を羽交締めにして剣を突きつける。


「来るな。この女を殺されなかったら、近づくな」


 ドアから入ろうとしていた男性が立ち止まった。

 私を羽交締めにした男は私を歩かそうとするが、もう、私は立っていることすらできない。

 両脇を抱えられ、ジリジリと前に進まされる。私を盾にするように後ろにブライアン王子が回り込んだ。

 ドアをくぐると、もう外は真っ暗だった。


「マリア!」


 幻だろうか。レオさんの姿が見える。

 構えた剣は血に染まっている。

 幻でもいい。レオさんに会えた。

 笑みが自然と浮かんだ。

 私を前へ突き出しながら、王子たちが進む。ジリジリとレオさんが後退する。

 足が動かない。息ができない。

 パンッ。

 いきなり、目の前が光った。

 眩しさに思わず、目をつぶる。

 ダンッ。バキッ。バンッ。

 何かがぶつかるような音と倒れる音が続く。

 私を羽交締めにしていた力がゆるんだ。私は立っていることができず、そのまま、地面に崩れ落ちる。


「大丈夫か」


 ああ、レオさんの声。

 抱き起こされて、私は目を開けた。レオさんの顔がぼやけて見える。


「アンディさんが中に」


 自分の声とは思えないしわがれた声。


「エディ、頼む」


 レオさんに言われ、誰かが走っていく。

 その後を目で追うと、もう、私の店の二階はごうごう燃え上がっている。


「すぐに治療師が来る。すぐだ」


 レオさんが手を握る。


「男は無事だぞ」


 気を失っていたのか、大声に目を覚ます。アンディさん、無事だったんだ。

 でも、店は終わりだ。

 もうすぐ、燃え落ちる。

 あれだけ、準備したのに。

 また、私の店は理不尽に奪われてしまう。

 そして、私も終わり。


「マリア、マリア」


 レオさんの腕の中で死んでいくのか。それもいい。


「諦めるな。約束じゃなかったのか。髪を切ってくれるんだろう。どんなふうにしてくれるか、楽しみにしてたんだぞ。すぐに治癒師が来る」


 レオさんが早口になる。そうだ、レオさんの髭を剃って、すてきにしてあげるんだ。まだ、死ねない。手を握り返す。


「マリアちゃん」


 ジェシーさんの声が聞こえたような気がした。意識があったのはそこまでだった。

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