うっかり
仕事に逃げちゃダメとイブさんに言われたけど、自分の気持ちを考えようとしても、つい、仕事のことばかり考えてしまう。
だって、やることがいくらでもあるんだから。
「カレラとアンディだ」
ジグルドさんがヘアサロンに派遣する従業員を紹介すると言うので、今日は商人ギルドに来てます。デルバールから馬車直結で来ることで、やっと、フランチェスカさんに一人行動を許してもらえました。
カレラさんは薄いレモン色の髪をネットでまとめている可愛い女性。ネットを使っているのはふわふわの髪だから、まとめにくいのかな。私と同じくらいの歳に見える。アンディさんはすらりとしたイケオジだ。ストレートのシルバーグレーの髪を一つに結んでいる。
「マリアです。常識的な知識がないと思われるかもしれませんが、外国から来たばかりなので、よろしくお願いします」
二人には落ち人であることを秘密にすることになっている。でも、私はどこの国出身の設定だったか、忘れてしまった。後で確認しておかないと。
「よろしくお願いします。金銭関係は全て私たちにお任せください」
アンディさんが優雅にお辞儀した。ギルド長が選んだ人だから安心できる。採用面接を頑張らなくていいなんて、楽すぎて、ズルしてる気分だ。
「開店までに私たちがやるべきことがあれば、教えてください」
改めて聞かれると、難しい。小物売り場の方はお任せ状態だったし。
「あ、商品説明を可愛く作ってもらえるでしょうか?」
やっぱり、手書きPOPが欲しい。季節ごとに入れ替えたいし。
「可愛くですか」
アンディさんが戸惑っている。
「あの、いろんな色のインクがあれば、貸してください」
紙とペンを借りる。POPは得意じゃないけど、えっちゃんが描いていたのを思い出して描く。
『ドライヤーって、こんなにすごいの? 髪、ツヤツヤ』
真ん中に女性の髪が風になびいている絵。もちろん、丸っこくデフォルメした女性。
それから、紙を折って、立たせる。
「商品の横にこんな感じで置きたいんです」
「ちょっと、待て」
あれ、ジグルドさんの声にドスが効いている。
「カレラ、アンディ。こういう感じでマリアさんは金になる言葉をポロリともらすことがある。何か聞き取ったら、すぐに私に連絡するように」
「わかりました」
カレラとアンディが真剣な顔でうなずく。
えーっ。POPがお金になるの? 難しくない?
と思ったけど、ジグルドさんは本気だった。私と契約したいというので、権利譲渡の契約にしてもらった。
ただで従業員を派遣してもらうんだからねえ、もう、POPで好きに儲けてください。
顔合わせだけの予定だったのに、契約話で時間がかかってしまう。
途中、休憩ということになり、私はトイレに行くことにした。何度も商人ギルドに来ているので、一人でも大丈夫だ。
トイレから出ると、鏡に向かって、お化粧を直している女性がいた。母と同じくらいの年齢だろうか。少しふっくらしていて、癒やし系って感じ。濃い茶色の髪を結い上げているが、少しほつれている。
つい、日本人のサガで会釈してしまった。怪しまれるかと思ったけど、相手はにっこりと笑った。
「こんにちは。初めまして。私、新聞社で雑用をしているサンドラって言うんです。今日、初めて、このギルドに来たんですけど、これから、ずっとよろしくお願いします」
あ、私のこと、ギルドの従業員と勘違いしてる?
「こんにちは。マリアと言います。私、ギルドの従業員じゃないんですけど」
「あ、そうだったんですか。今日は仕事の依頼で来られたんですか?」
「あ、はい」
まあ、依頼のようなものだよね。
新聞か。そういえば、お店のオープンの時、広告を出した方がいいのかな?
「あの、実は私、お店を開く予定があるんですけど、新聞に広告を出す料金って、わかりますでしょうか?」
「お店を出されるんですか。それはおめでとうございます。代金は大体、……」
ふむふむ。思ったよりは安い。どのくらい効果があるかはジグルドさんに聞けばわかるかな。
「教えてくださってありがとうございます。お礼に髪を直しましょうか」
「あの、そんなつもりじゃなく」
「遠慮なさらないで」
私は髪を結い直した。根元が赤い。茶色は染めているようだ。
サンドラさんがふふっと笑った。
「人に結ってもらうなんて久しぶりです」
「たまにはいいでしょう。開店したら、よかったら、私のお店にも来てください」
「どんなお店なんですか? 場所はどこなんでしょう」
興味を持ってもらえたのが嬉しくて、色々しゃべっていると、カレンさんの声が聞こえた。
「マリアさん、どこですか? お茶の準備ができましたよ」
「すみません、洗面所です。ちょっと、おしゃべりしていて、時間が経つのを忘れてました」
「ここだったんですか」
ガチャリとドアを開けて、カレンさんが入ってきた。
入るなり、パッと動いて、トイレの個室に入ろうとするサンドラさんの腕をつかんだ。
「サンドラ! うちのお客さんに何してるの」
私は慌てて、間に入ろうとした。
「お知り合いですか? 新聞社の雑用をされているそうで、ちょっと、話をしていただけなんです」
カレンさんがサンドラさんを睨んだ。
「嘘ばっかり」
顔を隠すように下を向いていたサンドラさんが急に笑い出した。
「マリアさんって、騙されやすい人なんですね。でも、本当にちょっと、おしゃべりしただけですよ」
そう言って、カレンさんの手を振り払った。私を見て、にっこりと笑う姿はさっきまでの人のいいおばさんという感じはかけらもない。キビキビした身のこなしがフランチェスカさんのようなやり手だと感じさせる。
サンドラさんは優雅にカーテシーをしてみせた。
「毎朝新聞の潜入ルポを得意としている記者、サンドラと申します。お見知りおきを。おかげでネタを入手できました。そして、髪も整えていただき、ありがとうございました」
そう言うと、パッとカレンさんの横をすり抜け、トイレの外へ逃げて行った。
「信じられない」
呆然としていると、慰めるようにカレンさんが私の肩を軽く叩いた。
「お茶を飲みながら、何をしゃべったのか、聞きましょうか。ギルド長に叱られることは覚悟してくださいね」
何だか、さむけがした。
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