貴方の今後のご活躍を心からお祈り申し上げます、と受付嬢は言った

春成 源貴

前編

 大理石の柱が立ち並ぶ大広間に、光が満ちあふれた。

 神々しい白色の光は、磨かれた大理石の床や天井にも反射し、エレティアの視界のすべてを飲み込んだ。彼女にとってはいつもの光景であるが、仕事の始まりだと思うとなかなか慣れるものではなかった。

 エレティアは光を浴びながら、少しだけ緊張した面持ちでシックなワンピースの襟元を軽く整え、左手に持っている羊皮紙を挟んだバインダーを握り直した。そして、足元にあった籠の取っ手を反対の手で握る。

 やがて、光の中に影が見え始めた。

 最初はぼんやりとした黒い塊だったものが徐々に形を取り始める。二本の足と二本の腕。それがわかりやすい人のか形をとるまでに時間はかからなかった。

 人影がはっきりと現れたあと、始まった時と同じように突然、光は消えた。後に残されたのは、へたへたと座り込んだままの、黒髪の二十代くらいの青年だった。

 男はボサボサになった髪をかき上げながら辺りを見廻すように、首を二三度回す。


「ようこそ、ハイランドへ」


 エレティアは恭しく言った。

 男は自分が裸であることに初めて気が付き、座り込んだ足を、三角座りに組み替えた。


「ハチロウ・ヨタ様ですね?」


 エレティアはバインダーのペーパーを確認しながら、籠を差し出して中身を見せた。籠に収まっていたのは白い麻の衣服だった。

 ハチロウと呼ばれた男は、ぎこちなく頷くと籠の中の衣服を受け取ると、くるりと背を向けて、ズボンから穿き始めた。そして、上着に袖を通す。


「あ、ありがとう……ここは?」

「先ほども申し上げたとおり、ハイランドでございます」

「ほ、本当だ……言われた通りだ」


 スウェットの上下に似た形の麻の衣服を身につけて、再びエレティアの方を向いたハチロウは、呆然としたように呟き、それから声を上げた。


「やったぞ!本当に転生したんだ!」

「そうです。私のことも聞かれていらっしゃると思いますが……一応、念のためご確認させてください」


 エレティアはにこりと柔らかい笑顔を向けて言ったが、ハチロウの耳には届かなかったようで、ガッツポーズをしながら飛び跳ねている。


「ヨタ様?ここは転生の神殿です。こちらへ来られる前に神様に会われてると思いますが、規則ですので私から説明させてください……ヨタ様!」


 荒げたエレティアの声に、ハチロウはようやく彼女の方を向いた。


「あ、ごめん」

「いえ、恐れ入りますが、こちらへどうぞ」


 彼女が誘ったのは、この白色で統一された大きな広間の真ん中に据えられた、木製のテーブルと椅子だった。テーブルの上にはいくつかの書類とペンやティーセットが並べられている。

 広間はどこかの王宮の広間のように豪華で広かったが、二人以外には誰もいない。

 先ほど、ハチロウが現れたのは部屋の上座にある一段高くなった舞台のような部分で、ここに王様でもいれば、顕彰や謁見でも出来そうな舞台だった。

 二人はテーブルに向かい合って椅子に座った。テーフルを挟んでギリギリ手がどくかどうかという距離だ。


「さて、転生おめでとうございます。改めてご確認ですが、ハチロウ・ヨタ様ですね?」

「あ、ああ……」


 白磁のカップにポットの紅茶を注ぐエレティアに、ハチロウは答えた。

 エレティアはカップを彼に差し出してから続ける。


「ここに来られる前に、一度神様の世界に寄られてから来られてると思いますが……」

「へ?……なんで知ってるんだ?」

「あなたが初めての転生者ではありませんので……」

「そうなのか?」


 ハチロウの表情が少し曇る。


「ええ。お聞きになられてなかったんですね……ハチロウ様は……セダ神様から送られたんですよね」


 エレティアは机の上の書類を繰りながら言った。


「あ、あの神様セダって言うんだ……その紙は?」

「ああ、これはあなたがこちらへ来られるという通知です」

「通知!?」


 ハチロウの素っ頓狂な声に、エレティアは動じなかった。


「ええ」


 ハチロウはボサボサの頭をガリガリと掻いた。


「あんまり説明を聞かずに来ちゃったんだけど……僕って世界を救うために転生したんだよね……?」

「あ……いえ、特にそういうわけではないかと」

「え?マジで?」


 うなだれるハチロウ。エレティアは少しだけ微笑むと、書類に目を通しながら続けた。


「わたくしには理由は分かりませんけれど、定期的に異世界から転生……というか転移なのかもしれませんが……されるかたがいらっしゃるんです。それもあちらこちらから」


 ハチロウが顔を上げる。

 エレティアは白く細い指を優雅に動かすと、カップを持ち上げ口を付けた。


「……ヨタ様もどうぞ。ああ、お砂糖は?レモンもありますが?」

「いや、僕はコーヒー派だから……コーヒーってわかるかな?」

「ええ。存じております」

「そりゃそうか。レモンが通じるんだ。同じ物があるのかな?」


 ハチロウはゆっしりと顔を上げると、大きく深呼吸をして椅子にもたれるように座り、少し迷ってから口を開いた。


「ええと……」

「ああ、失礼しました。転生者案内受付担当のエレティアです」

「そう。エレティアさん……お綺麗な方で……」

「ありがとうございます。コーヒー、ご用意しましょうか?」

「いや、いいよ。本当は炭酸とかの方が好きなんだ」

「左様でございますか。用意は出来ますが……あ、よろしいですか……それで、まあ、こちらで今後のご説明なんかをさせていただいてるんですが……」


 エレティアはカップを置くと再びバインダーを抱え込み目を通す。ペンを右手に持って、器用にくるくると回した。


「お聞きになられたいことも多いでしょうから、質問にお答えする形にしましょうか」


 書類からハチロウへ視線が移る。ハチロウの顔が少し赤くなった。


「その……この世界は剣と魔法の世界だって聞いてきたんだけど?」

「ああ、そうですね……捉えようによっては概ねその通りかとは思いますよ」

「エレティアさんは使えるんですか?」

「はい、魔法はからっきしですが、剣は嗜んでおります」


 エレティアはそう言ってにっこりと笑顔を浮かべた。


「意外だなあ……」

「そうですか?」

「魔法とかを使いそうかなって」

「これでも剣に関してはなかなかのものなのですが」


 ハチロウは驚いたように眉を上げた。


「じゃあ冒険者なんかもいるの?」

「ええ、いらっしゃいます」

「冒険者ギルドとかがある?」

「そうですね……」


 ペンを回す手が止まり、資料のページが何枚か繰られる。


「ギルドというか、組合ですね。意味合いは一緒ですけど」

「じゃあ、僕もギルドに入ってS級冒険者になれるよね」


 ハチロウは急に明るい表情になった。が、エレティアは不思議なものを見るように少し眉をひそめた。


「……級ですか……級とかはないですね」

「……ないの?」

「ええ」

「なんで?」

「私の経験上、おそらく、冒険者の……その……技術とか強さのようなもので級を付けるというお話のことかな……と思うんですが」

「そうそう」

「こちらに転生される方の元の世界の物語なんかでよくあるとお聞きします……」


 エレティアは、今度はペンの柄の方で頭の横を掻く仕草をした。


「あったよ。ラノベでいっぱい」

「その『らのべ』というのがどんなものかは存じ上げませんが……」


 ハチロウが眉をひそめる。


「……ハイランドでのお話ですが、そもそも組合ですから検定的なものはあるかもしれません。ですが、商取引と一緒で、信用の積み重ねで依頼などの取引をしますから、そもそも級分けをする必要がないのです。それほど大きなギルドもございませんし」

「それって冒険者自体、少ないっていうこと?」

「ええ、多くはありませんね。ですが、需要と供給のバランスは成り立っているようです」

「冒険者ってメジャーかと思ってたんだけど」

「メジャーですよ。ですが、非合法すれすれなイメージですね。だからこそ、組合……ギルドですか……とは信用で取引をするんです。小売店がよい品物を卸す実績のある問屋から品物を仕入れるように、冒険者も信用を積み重ねて依頼を貰うんですね。だから、新規参入は難しい状況のようです」

「そっか……」


 ハチロウはうなだれてしまった。


「それに、冒険と言っても、実際には護衛だったり、たまに洞窟や遺跡の調査がある程度で、どちらかというと市民の依頼を受けて雑用をこなすようなイメージかと」


 エレティアの声が少しずつ小さくなっていったが、頭は真っ直ぐのまま辺りを見廻した。 いつもと変わらない風景だ。宮殿の大広間のような造りは変わらず、白に統一された壁面と天井。床には赤く大きな絨毯が敷き詰められていて、大きな大理石の柱がいくつか天井を支えている。

 柱の並ぶ先には大きな木製の扉が一つ。そして、あちこちにソファや小さな台が置かれていて、その上に豪華な花瓶とお花が飾られていた。向かい合う二人の座っている椅子と木製のテーブルの素朴な味わいが、かなり浮いてしまっている。

 エレティアの視線の先には大きな窓があるはずだったが、レースの付いた白く分厚いカーテンに覆われていて、外は見えなかった。

 ただ、巨大なシャンデリアにともるランプの明かりだけが、部屋と二人を照らしている。

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