いつもと同じ7日前の朝

広之新

第1話 7日前の朝

「おはようございます。世界の終末まであと七日になりました」


 ニュース番組の音声が聞こえてくる。俺はそれでベッドから起き上がる。いつもように様々な思いが心に浮かんできている。


「あなた、起きて」


 妻の声が聞こえてくる。俺はその声に導かれるように立ち上がって寝室から出て行く。静まり返った家の中は心なしか冷え冷えとしている。俺は少し震えながらそのままダイニングキッチンに向かう。


「あなた。子供たちを学校に送ってきますね。朝ごはんは自分で作って食べておいて」


 妻の声が聞こえてくる。


「パパ! 行ってくるね」

「パパ! またね!」


 小学3年生の娘と小学1年生の息子の声も聞こえる。


「行っておいで! 気をつけてな!」


 俺はそう声をかける。


「じゃあ、帰ったら片付けるからそのままにしておいて。行ってきます」


 妻の声がして玄関のドアを閉める音が聞こえる。俺はパンを焼き、野菜と卵を皿にのせて、コーヒーを淹れて朝食をとる。いつもしていることで手慣れている。もちろんそのままにせずに後片付けもするし、昼食のサンドイッチの弁当も作る。


「今日は何をしようか・・・」


 俺は考えながら外に出る。外の空気は澄んでおり、いつも新鮮だ。家の外には畑もあるし、牧場もある。小麦や野菜も取れるし、牛や豚や鶏も飼っており食う分には困らない、自給自足の生活だ。町に行けばスーパーで何もかもそろうが、食べるものだけは自分で作りたい。そうでもしないと生きている気がしないからだ。


 この山奥の暮らしは、最初は何の苦痛もなかった。電気も水もすべてオートメーション化されて家に送られてきた。俺は好きなように畑で作物を作り、家畜を育てればよかった。後は機械が何もかもしてくれた。あくせくと働く必要もなかった。こんな山奥で生活をしようとしたのは、やはりこの文明世界に嫌気がさしたからだった。少しでも心を癒してくれる自然に囲まれて生活したかった。


 ただし子供たちには苦労をかけた。山奥だから学校には通えない。だからオンラインで授業を受けさせるしかなかった。家では気分が出ないだろうと、少し離れたところに小屋を作って学校と称してそこに通わせていた。妻もそこでリモートで仕事をしていた。


 とにかく畑と牧場の仕事は俺に何もかも忘れさせる。時間がたつのに気付かず、日が暮れかけて初めて一日が終わるのを知る。そういう毎日だ。

 俺は家に帰る。すっかり辺りは暗くなったが、家の明かりは赤々とついている。


「ただいま」


 俺が家に入ると、


「パパ! お帰り!」

「あなた! お帰りなさい!」


 と声が聞こえてくる。俺は家が少し冷えているのに気付き、少しエアコンの設定温度を高くする。このままにいていると心までが冷えてしまうようなので・・・。

 冷蔵庫には俺の食事が用意されている。いつものように俺はそれを温めて食べる。


「今日、学校ではね・・・」

「友達の・・・」

「会社の友達が・・・」


 妻と子供たちの会話が聞こえる。これに耳を傾け、俺はうなずきながら合の手を入れる。これが一日の楽しみだ。いつものように俺の心が温かくなるのを感じる。

 その後はシャワーを浴びてゆっくりとベッドの横になる。疲れているせいか、すぐに眠りに落ちる・・・。


 次の日も俺はベッドで目を覚ます。今朝もスピーカーから聞こえてくる。


「おはようございます。世界の終末まであと七日になりました」


 俺はそれを聞いてベッドから起き上がる。いつもように様々な思いが心に浮かんでいく。


 もう3年目だった。こんな生活をしているのは・・・。


 それはあの病原体のせいだった。10年前、それは人類の前に突如、姿を現した。霊長類を死滅させる未知のウイルスだった。多くの学者が集まり研究し、感染しないように人々を隔離し、様々な方策がとられたがすべて無駄だった。どんな手を尽くしてもそのウイルスは人類に広がり死滅させていった。ただわかるのは人類滅亡までの日だけだった。これだけはスーパーコンピューターで計算したから間違えるはずはなかった。


 人類はバタバタと死んでいき、その数は幾何級数的に増えていった。人類滅亡と言われた日の7日前がテレビ放送の最後の日だった。俺は録画し、ついでにその日の家の様子も録音した。


 町では自暴自棄になった人々が暴れており、止める者もなく、すべてが破壊されていった。中には静かに最期を迎えようと悟り切った人たちもいた。とにかくすべてが死んでいった。しかし俺は希望を持っていた。この山奥ならウイルスは来ないだろう。俺たち家族だけでも生き残れるのではないか・・・


「あなた、起きて」


 妻の声が聞こえてくる。その声で俺は思い返すのを止め、ベッドから起き上がる。エアコンの設定温度を上げているせいか、今日は寒くない。心の中は別として。


「あなた。子供たちを学校に送ってきますね。朝ごはんは自分で作って食べておいて」

「パパ! 行ってくるね」

「パパ! またね!」


 その声はいつもと同じスピーカーから聞こえている。あの日の録音の音だ。あの7日前の次の日の朝、・・・


「どうして! どうしてなんだ!」


 俺は泣き叫んだ。ウイルスはこの深い山奥まで来ていたのだ。そして俺だけが生き残った。人類滅亡の日を過ぎても俺は生きていた。どこかの学者が言っていた。まれにこのウイルスに抗体を持っている者があるそうだ。それが俺だったのか。


「なぜ、俺なんだ! 俺だけなぜ生き残らせたんだ!」


 俺は叫んだ。いっそのこと妻子とともに死んでいたらこんなに苦しまずに幸せだったのに・・・。俺は神を呪った。


 それから俺は妻や子供の埋葬をした。俺以外いなくなった家の中はひっそりと静まり返った。だが俺にはまだ妻や子供たちが出てくるような気がしていた。だがいつまで待ってもそうなることはなかった。


 孤独になった俺はどこかに他に生きている者がいないか、通信したり、ネットで呼びかけたりした。しかし返事はなかった。人類は滅亡してしまったのだろうか・・・。


 そんなある日、あの7日前の録音のデータが目についた。幸せだった最後の日の日常だ。それを聞いて涙を流しているうちに俺は思い立った。あの日に戻すと・・・。

 魔法使いでも、天才科学者でもない俺にできることは、録画したテレビと音声データを毎日、再生するしかなかった。それで俺はタイムリープできる、いやそう思い込めた。心の中で妻子の死を受け入れられない俺にとって。

 こんな生活を続けて俺もいつかは死ぬだろう。それが数十年先か、明日かはわからないが。それまでは家族とともに居られる。

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