あたしとキャリアコンサルタントと広がる世界

はねくじら

第一章 第一節 少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましい

「はあ……」

 思わず、メルツの口から小さな溜息が漏れた。

 メルキュール歴四〇〇年四月一日、午前六時四〇分。十六歳の誕生日まで、あと二日の今日。メルツは、孤児院内での朝の買い出し当番に当たったため、ヘゼ市場へ足を運んでいた。

 メルツが暮らすエルガファル孤児院は、メルキュール王国の王都、メルクリウスの最南端に位置し、五歳から十六歳までの身寄りのない子どもが暮らしている。メルツもその一人だ。

 そして、「子どもたちの自立のため」ということで、家事は基本的に当番制となっている。

 朝の買い出し当番に当たった者は、最南端にある孤児院より北側にある、へゼ市場まで行って、食材の調達を行う。

 市場は、南北に役割が分かれている。北側は、青果店などの出店区域となっており、通りに沿って店が並んでいる。また、朝の時間帯は買い物客で賑わいを見せ、市場にいるほとんどの人がこちらに集中している。南側には広場があり、休憩スペースとなっている。広場の中心には白い三段噴水。その脇には茶色のベンチが置かれている。外周には、椅子と机も設置されており、買い物客が一休みできるようになっている。しかし、メルツがよく当番に当たる平日の朝は、利用客が少ない。恐らく、今日も少ないのだろう。数回、お昼時に訪れたことがあるのだが、その際は賑わいを見せていた。そのため、広場がメインで使われる時間帯は昼頃か、それ以降なのだろう。

 北側の通りで買い出しを終えたメルツは、買い物袋を左手に持ち、孤児院へ帰るため、南の広場の方へ向かって通りを歩いていた。

 天気は、清々しい秋晴れ。辺りは、元気な客引きの声や、楽しそうに世間話をする人の声で満たされている。活気溢れる様子だ。

(痛い……。もうやだ……。鏡で見た自分の顔が忘れられない。こんなことなら、鏡を見なければ良かったわ)

 しかし、明るい周囲の様子とは反対に、メルツは、まるで背後に雷雨でも背負っているかのような気分で、足取り重く歩いていた。悲しみと怒りが同時に押し寄せてきて、ぐちゃぐちゃな気持ちだ。思考も、纏まりにくいように感じる。

 その原因は、現在の顔の状況と経緯にある。特に、鏡を見てしまってからはずっと最低な気分だ。

 今のメルツは、左頬が大きく腫れ、鈍い痛みを継続的に感じている。そして、腫れている影響により、人から「大きくて綺麗な空色の瞳」と言われる目も、開けることができない。右目だけで見ているが、普段とは違う視界に、少しだけ落ち着かない気持ちになる。

 そんな顔を隠すため、今日のメルツの格好は、可愛さやオシャレとは無縁だ。

 お腹の辺りに大きなポケットが一つ付いた、藍色のパーカーワンピース。靴は、こげ茶色の編み上げショートブーツ。ここまでは普段の格好。

 だが、その上から、フード付きの茶色のマントを羽織り、小柄だと言われるその身体をすっぽりと隠している。顔を見られないようにフードも被っているので、フクシャピンクのボブヘアも綺麗に隠れている状態だ。

 自分でもショックを受けた顔を、他の人に見せないための対策としては上手くいっている、と思う。しかし――。

(この状態は……、他の女の子たちとは真逆だわ。キラキラじゃなくてぼろぼろ。ただでさえみんなが遠かったのに、もっと遠くなってしまったわ)

 フードを被ったメルツの視野は限られている。しかしそれでも、市場に居る女の子たちがきちんとオシャレをしていることは、スカートや靴からわかる。彼女たちは、朝が早くても、いつも可愛くてファッショナブルな装いだ。

 孤児である自分と比べても仕方がないとわかってはいるが――少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましい。

 それを考えると、やはりフードを被ってきたのは正解だった。その下に隠したこの姿を彼女たちに見られてしまったら……。向けられる感情がどんなものであれ、きっとメルツは、現状に耐えられなくなってしまうだろう。

 そもそも、当番を代わってもらうことができれば、見られる心配も無かったのだが――メルツの孤児院内での立場上、それは難しい。

 それに、こうして買い出しも終えたのだから、今更だ。

 あとは帰るだけ。与えられた役目なのだから、やり遂げなくてはならない。

 しかし、足取りは依然として重いまま。とてもじゃないが、軽快に歩く気にはなれない。沈んだ気持ちの分だけ、足に重りをつけられているようだ。

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