除夜の鐘を聞きながら
ヤン
第1話 レストラン・ファルファッラ
東京の有名なオケと共演した後、大学時代の恩師である
「ファルファッラでいいですよね」
一応こちらに確認してくれている風だが、僕が何と答えても、たぶん先生の意思は変わらない。例え僕が、「嫌です」と言ったとしても、「そうですか。じゃあ、行きましょう」と言って、僕の意見は耳にしなかったことにされて終わりだろう。宝生先生とは、そういう人だ。
そんなことを考えてみたものの、反対する気持ちは別にない。僕は先生に頷いてみせると、
「いいですよ。家に近いですし、店長にも久し振りに会いたいですから」
先生は微笑みを浮かべ、
「そう言うと思ったので、予約しておきました」
「先生。僕が嫌だと言ったら、どうするつもりだったんですか」
思わず溜息を吐いてしまった。とても先生らしい行動だ。
「
「はい、その通りです。では、行きましょう」
先生は、僕の肩をポンと叩き、
「そうですね。行きましょう」
そう言って、一人で歩き出した。僕もその後をすぐに追いかけた。
ここへ来るのは、どれくらいぶりだろう。大学時代は、学校が終わるとここへ来て、ピアノを演奏するアルバイトをしていた。ここで働いている人たちがみんないい人で、やめる時は寂しい気持ちになった。
でも、一生ここでアルバイトをしているわけにはいかない。決断して店長に伝えると、
「わかってたよ。君が出て行っちゃうこと。だって、君は才能があるからね。ここにずっといるわけには、いかないからね」
「店長……」
「君のピアノの音、好きだったな。前に弾いていた子も当然上手かったけど、何かが違った。その子は、大学卒業後に音楽をやめてしまったみたいなんだ。風の噂。詳しいことは知りようがないからね」
遠い目をして語る店長の顔が思い出される。
「君は、ずっとピアノを弾いていくよね。職業にするよね」
「します。その為に、ここをやめるんです」
そう言いながら、心臓が速く打ち始めるのを認めるしかなかった。自信があるかないかで言ったら、ない。でも、やめられない。何度も何度も考えたけれど、やめる選択は出来なかった。やめられないなら、進んでいくしかない。
「僕は、プロのピアニストになります」
声が震えたけれど、宣言をした。そして、今がある。僕は宣言通りプロのピアニストになって、今日有名なオケとの演奏をする機会を得た。自分としては、上出来だったと思う。ベストコンディションではなかったのに。
ドアを開けて先生と中に入って行くと、店長たちが僕たちの方へ駆け寄ってきた。そして、店長が僕をぎゅっと抱き締める。びっくりして、思わず背筋を伸ばしてしまった。店長は、僕が驚いていることに気が付くとすぐに離れ、
「ごめん、吉隅くん。つい、嬉しくって。大成功だったみたいじゃないか。みんなでネットで調べて……」
「ありがとうございます。そうですね。自分としては、よく出来たと思います」
「聞きたかったな。でも、先生が予約入れて来たから、店を開けない訳にはいかないし。まあ、君を労いたかったから、いいんだけど。でもさ、やっぱり聞きたかった」
本当に残念そうな顔をしているように見える。嬉しいことだ。こうして、僕を応援してくれる人がいることは、本当にありがたい。
「さ。中に入って。ピアノのそばに席を作ったよ」
「ピアノの……そばですか?」
僕が店長に訊き返すと、隣の宝生先生が顔をしかめ、
「
店長は、責めるように言う先生の言葉を気にした様子もなく、口の端を上げて微笑むと、
「もちろん、弾いてほしいよ。本当は、大きな会場でオケと演奏しているのが聞きたかったけどね」
「君、しつこいですよ」
顔をしかめたままの先生が、店長に訴える。店長は、やはり先生の言葉をさらっと受け流し、
「じゃあ、案内するよ」
先頭に立って歩き始めた。
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