第21幕.『青い血と昼間の亡霊』

 交差点の一帯には、白い闇が蟠っていた

 歪んだ現実の中で、歩く人々から闇が匂い立つ。喪服のような外套から、霧よりも細かい闇がほどけている。濃密な白っぽさが、黄昏とは違う色で、すれ違う人々の顔を隠していた。麗人は細かい闇に包まれた雑踏に紛れていた。何処にも存在しない、交差点だった。

 麗人は目を凝らした。闇の霧に隠れた人々は、透けて見える。粒子は細かいのに血のように濃密な霧の中に居ながら、灰色の影は重複していた。存在が希薄すぎるあまりに、麗人のすぐそばを歩いているひとの向こうにいるひと、さらにその後ろに立つひとの影が、透けて何重にも虚しい存在感が重なっていた。酷い哄笑のあとに訪れる、目眩が見せる景色のように、雑踏の人々はぼやけている。哄笑に揺れる脳が視界を歪めて頭痛をもたらすときと似た感覚だ。湿り気のない霧には害意がぴりぴりと漂っていて、すれ違う風に頬が焼けつくようだった。すぐ近くをすれ違うひとの顔も見えないのに、じっとりとした視線を感じた。

 麗人はふと立ち止まった。影が道を塞いでいた。眼球だけを動かして、見える範囲を哨戒した。麗人は囲まれているようだった。影は闇が凝ったような刃を手に手に麗人に襲いかかる。囲まれていた麗人が、逃げることは不可能だった。麗人は甘んじて屹立したまま、回避しようともせずに傲岸な表情を美貌に佇ませる。全方向から放たれた刃は、麗人を貫いた──だが全く痛みがない。麗人は色眼鏡の下で、長い睫毛をしばたたく。


(ああ、そういうことか……)


 麗人は無言のうちに、この雑踏の人々が何であるかを理解した。蟠るしかない闇の中で、麗人は色眼鏡を外し、黒革の長外套の襟に差し込む。


「……生きている者は、いないのかい」


 麗人が問いかけると、存在の色が薄い人々は、麗人を貫いていた凶器をおずおずと引き抜いたのだった。殺意も害意も確かにあった凶器には、誰かを殺すような単純な元気が死亡していた。あるのはただ、疲弊の亡骸だった。刃はこの白い闇と同じ色になって、細かい霧になって消えてしまう。刺し傷だった箇所からは、青い薔薇が咲き出していた。麗人は傷口に咲いた青い薔薇を一つ、手に取った。手のひらの熱で、青薔薇はとろりと青い血に変わる。麗人は青い血に高圧をかけると、麗人を囲んで悄然としていた影の群れに青い血を放った。手を横にかざして、文字を掻き消すように、麗人は青い血を塗り落とす。青い血液を喰らった影はばらばらに散った。存在の色が希薄だった影は、青い血の照射をその背後にいる別の影たちへの伝播を続けて、いつしか雑踏から影が消滅していた。麗人が青い血の滴る手を見つめる頃には、白い闇も晴れていて、恐ろしいくらい残酷に青い空を仰ぐことができた。影の正体は、虚ろに存在しているだけの、生きることをしていない者たちだった。痛みのない傷に咲いている青い薔薇が、静かに散った。

 白い闇の蟠り、その跡地に忽然と現れたバス停には、バスが停まっていた。行き先は分からなかったが、麗人はバスに乗った。

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