第19幕.『マスカレードルージュ』

 壁に薔薇が咲いていた。近づきながらよく見ると、咲いているのは仮面だった。薔薇で出来た精巧な造りの仮面がずらりと壁にかけられて、近づく者を無言で見つめていた。全部で十一の仮面がある。

 そこは魔都の土の下で眠る地下廟だった。表向きに存在する墓所ではない。此処に亡骸はなく、儀式的で象徴的な聖域として、ひっそりと隠れ佇んでいる。魔都を支配してきた公爵家の歴代当主、その死面を飾り祀り、華麗なる一族の絢爛たる歴史に登場することなく葬られてきた不具の人々を葬る地下墓地は、公爵家の爵位とともに継承される秘密の中でのみ生きていたのであった。

 麗人は仮面が掛かった壁を見上げた。薔薇の仮面は十一しかない。本当ならば、もう一つ仮面は飾られているはずなのであった。歴代の当主は、先代まで数えると十二人いる。十二代目の当主の仮面は、ない。

 麗人は仮面の目の穴から注がれる視線を、言葉なく何かを訴える眼窩をの虚ろを、ぼんやりと見つめていた。死顔を象ってつくられた仮面はもう、時間の経過が生白さを乾かして恐ろしさはなかった。だが目の穴に不気味は残っていて、期待とは違う、寂しい圧力に似た視線を感じた。

麗人は長い睫毛を怠そうに半分伏せた。鋭い毛先まで傲慢の気色が通う睫毛は、感傷に浸るために此処にきたわけではない事を物語る。

 此処は運命の墓地なのだ。十二代目の当主、自分の父親の仮面が飾られるはずだった空白を見て、麗人はこの場所を秘蹟ではなく礎の一つと思った。

 十二代目の当主は、麗人の遺伝状の父親だった。薔薇の死面がない理由は、最期に顔が残らない終焉で人生の幕を下ろしたからである。幕を引いたのは、誰であったのかは、もう、昔の話だった。

 壁で眠る死の歴史は、華麗なる一族が血の定めに穿ち続けた捨て石であり、悲劇的系譜に積まれた悪意であった。普通に生きていたら、麗人も死んだ後にその美貌の型をとられて眠ることになっていたかもしれない冷たい墓。

 麗人は十一の仮面を見据えて、囁いた。乾ききった神聖に飾られるグロテスクなイコンの群れに、唾を吐くような言葉だった。その言葉に悪意はないのに、公爵家の歴史という摂理に反するという意味において、その言葉は冒涜であったのだ。


「僕は此処に、眠らないだろう」


 知らない美しい顔、自分の内側に流れる名も知れぬ海に沈む歴史に、呟く。麗人は繊細で長い指を、明眸を隠していた青いレンズの色眼鏡に伸ばした。そっと色眼鏡を外して、過ぎたる美しさが禍々しい美貌に凄絶な憂愁を翳らせる。


「僕は死ぬ、僕は、死ぬ。でも、ゆっくりと休むことは、僕には許されない」


 誰よりも美しく生まれて美しくおぞましい人生を歩み、誰よりも激しく残酷に美しく散ることが麗人の運命だと、麗人は自らに定めていたのであった。麗人が定めたことは、同時に世界の意思でもあった。麗人は自らが一族と世界に望まれていることを知っていた。自らが深紅なる残酷の人生を往くにふさわしい、高貴の青い血を持つことを分かっていた。

 戯れな哀悼の想いが此処に足を運ばせるときは、自分が美のイデアであることを確かめるときだった。顔は知らない美しい人々、美しいけれども麗人の足元にも及ばない美貌を見ては、夥しい命と流血を引きずって歩いている自分の幻を見るのであった。麗人の美貌からは、禁忌と背徳の血が滴っている。悲劇の脚本も青ざめて朽ち果てるほどに、不気味なほど夥しい命と謀略を屍の山として踏みながら生きていることを、確かめるのは心地よかった。本物の骨を組んで築かれた地下墓地、死の匂いのない死臭は、罪深さから漂っている。どんな薔薇よりも、馥郁として魔物めいた、誰もが酔わざるを得ない魔性の香りだ。

 麗人は仮面が掛けられている骨の壁に左手を置いた。麗人を麗人という存在にして世界に送り出した悪意たち、物言わぬ影の群れ。薔薇の死面は、麗人の手が触れた壁ごと、崩れていく。麗人の目は仮面の中に眠る構成要素を視た。

 夥しい命、輝石よりも高貴な血液、緻密に構成された謀略、摂理に反する禁忌、神と絶縁した果てにある背徳、移ろうことのない美しさ……

 麗人の手のひらで、全てが、仮面を作っていたものの構成要素が練り直されていく。混ざり合う薔薇が黒みを帯びながら、一つのものを形作る。

 練り直されたものは、一つの仮面だった。麗人が様々な悪意と悲劇を練り直して再構築したものは、血のように艶めいた薔薇の仮面だった。血というおぞましい歴史が滴る、美しさの過ぎる素顔を隠すにはふさわしい死の群れだった。

 麗人は練り直した悪意によって美しくなった薔薇の仮面で、禍々しく美貌を飾る。長外套をひらりと翻せば、骨で築かれた壁は崩れていて、その向こうでは仮面をつけた人々が怠惰な時間を過ごしている。

 血脈に刻み込まれた悪意を纏い、薔薇に彩られた麗人は仮面舞踏会の闇に消えていった。

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