第13幕.『革命のグランギニョル』

 醜く太った少年は、籠の中に囚われて、鎖されていた。白百合に囲まれながら、綺麗な王冠をかぶって、籠の中にいた。牢獄ではない。見上げても天井が見えないくらい高い、細長い籠の中で、少年は小さな目を瞬いた。咲き誇る白百合が、不穏に揺れていた。百合の群れの中に、赤い薔薇が一輪だけ、肩身が狭そうに小さく咲いている。少年──ルイは籠の柵に近づいた。籠の外には、内側と同様に白百合が咲いている。濛々と濃い花粉の匂いで満ちている。ルイは別に花を愛でるような気質はなかったが、自分に釣り合わない匂いに心臓がざわざわするのを感じた。小さく咲いている赤薔薇が、自分が吸うには鉛のように重い空気の不穏な景色を、不思議と和らげていた。外では丸い時計が空に浮かんで、太陽のように光を放っている……何もかもが、自分の身には重いような気がしていた。今何かを強いられているわけではないのに、籠の中にいることが心地よかった。籠の中が、自分にふさわしい場所のように、外にあるもの全てが自分には似合わない高貴を持っているような、得体の知れない卑屈に襲われる。

 ルイは高速で針を回している太陽のような時計を見つめていた。太陽の中で、針はぐるぐると回っていた。外に咲いていた白百合が腐っていく。時間が流れていた。時間が流れてゆりが腐るにつれて、赤い薔薇が、水脈を掘り当てたように溢れていった。薔薇が増していくと、ルイは別の不安に襲われた。百合は自分にとって重荷の象徴だったが、薔薇は増えていくことで侵略の象徴となっていた。

 不穏が消えないまま、ルイが瞬いたときだった。目を閉じて、開いた短い睫毛の擦過という一刹那のうちに、柵の向こうに黒い服を着て仮面をつけた背の高い少年が立っていた。大輪の薔薇が咲いた枝を一本、しなやかな指先でつまんで、胸に手を当てている。美しい少年だった。仮面をしていても、目の穴から覗く本当の瞳が美しいことが、明らかだった。ルイとそう年齢が変わらない美しい少年は、黒い蝶の群れを纏い、白い小鳥を肩に乗せていた。黒緑色の、柔く結いた長い髪と、凛々しい眉、生まれながらにして他者を見下して生きねばならないことを強いられる血筋を感じる長い睫毛──ルイは息を飲んだ。ルイは自分が不格好な外見をしていることは分かっていたが、目の前の少年に対して畏敬の念を抱くことしかできなかった。自分の醜さを忘却するほど、日頃自分と比較して嘆いていた美がいかに凡庸なものであるかを、雷に打たれたように全身で感じていた。

 太陽についた文字盤の上で、二本の針が回転していた。時計の音が大きくなり、少年の姿だったルイは青年の姿へと成長していた。ルイが青年になると、見えない天井から何かが降ってくる。悪臭を放ちながら落下してきたのは、小鳥の死骸だった。他にも、落下と同時に腐敗しながら、柔らかい虫や腐乱した小鳥はルイに降り注いだ。ルイは恐ろしくなって、狭い籠の中を逃げ回った。逃げ惑う傍らで外を見やると、黒衣の美少年は麗人と呼ぶことがふさわしい貴公子となって、仮面をつけたまま口元だけで微笑んでいる。籠の中にも外の世界にも、最早百合は存在していなかった。侵略の象徴たる薔薇が、そこかしこに蟠って咲いている。百合の死骸はその体液の最後の一滴まで、骨の髄まで薔薇に啜られていた。

 ルイは柵にしがみついた。黒衣の麗人に、泣き叫ぶような声で誰何する。この出来事の全てが、霊神の悪意から生じているもののように思えたのだ。


「君は誰だ!」


 麗人は静かに答えた。


「貴様と、血を、分けた者。遥か昔に、血を分けた者……とでも、言っておこうか」

「助けてくれ!」


 かぶっていた冠は、いつの間にか崩れて、蛆虫と虱(しらみ)になりながらぽろぽろとルイの肩や顔に落ちる。

 麗人は見かねたように笑って、籠を閉ざす錠に、持っていた薔薇で触れた。金属の鍵は炎に投げ込まれたように溶けてしまう。麗人は籠を開けた。ルイは泣きながら外へまろび出る。

 誘われたようにして逃げ込んで、出た先はオペラ座の舞台だった。冷笑、失笑、爆笑に迎えられたルイは、ただただ間抜けに目を瞬くしかできなかった。顔を上げると、文字盤がついた太陽だけが籠の中から見ていた景色にあったものの中で唯一残っている。王家の歴史の象徴として太陽を象っていた時計は、薔薇に絡みつかれて、侵されていた。

 舞台には麗人に従う役の兵士たちが何人もルイを囲んでいた。自分が主役の舞台ではないことがすぐに分かった。この舞台装置上で、ルイは、悪役だった。誰もが麗人に従っていた。美しい主演は、黒い麗人だった。麗人は仮面を外した。歴史の主演たる美貌は残酷で、ルイの醜さを嗤う声がどっと響く。

 兵士役の役者たちは、麗人の号令で一斉にルイに剣先を向けた。ルイの服は知らぬ間に襤褸(ぼろ)布になっていて、舞台の何処からも百合の気配はなかった。自分の力の後ろ盾や、味方となる存在全ての消失を意味していた。

 ルイは自分が生を享けた百合の一族の、愚かさを知った。この舞台が夢なのか現実なのかは、どうでもよかった。百合の王家が権力を醜く肥えさせている間に、薔薇の王家は何代もの人間が何百年もの時間をかけて、捨て石という名の亡骸を築いては、舞台を整えていたのだと悟った。美しい主演を、薔薇の英雄を舞台に迎えられるように、悪意と悲劇の系譜を彩り続けていたのだ。それは来るべき支配者の到来であり、首謀者の登場だった。

 権力から煌めきや輝き、そして嘘も真実さえも奪い取る美貌が、ルイを見下ろした。革命と事変の舞台で、熱を含んだ役者の声と観客の声が、皮肉な熱狂となって重なった。


「「Vive Le Roi(ヴィーヴ・ル・ロワ=国王陛下万歳)!!」」


 国王陛下万歳──その歓声と共に麗人が振り下ろした赤い薔薇は、黒刀となってルイの、腐乱した権力の心臓に刃を向けた。

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