第9匹 この前も、言いましたが。
生前、人族に戦力を良いように使われ、出し抜かれた記憶通り、ナイラコウ渓谷には豊富な資源が眠っていた。
魔法が使える魔族には必要のない資源だが、人力で開発を進める人族にとって、目の色を変えるほどの物である。
武力行使ですっかり従順になった軍隊に、採掘の指示を出し数日。
俺はオリバーとテイラーを共に連れ、バース大陸にある勇者の屋敷を訪れていた。
小刻みに震える使用人たちに、応接室へ通される。革張りのソファーは光沢を帯び、猫足のローテーブルも重厚だ。しかし派手好きな妻や、姫でも夢見る女児がいるせいか、窓の装飾やテーブルクロスなどの小物は華やかさがあり、ややチグハグな印象を受ける。
それでも魔族とは違う発展を遂げた、明るい屋敷だった。
誰もいなくなった応接室で、オリバーが周囲を見渡し、隣にいるテイラーに耳打ちする。
「見てください、あの高そうな壺。触れたら落ちそうなのに、なんでなんの対策もしてないんでしょう?」
「専門家が直してくれるんじゃねぇか?」
「魔法も使えないのに?」
二人の会話を聞き流しつつ、俺は胃のむかつきを抑えるべく、コーヒーに角砂糖を数個落とす。
小さなピッチャーに入れられたミルクも、最後の一滴まで加え、極限まで苦味を消してから喉の奥に流し込んだ。
背後から、珍妙なものを見る眼差しを感じるが、知らん顔である。
ただでさえ今朝は、慣れない交渉に行く緊張状態で、食事も喉を通らなかったのだ。このままコーヒーなど飲んでは、漏れなく嘔吐する未来しか見えない。
俺は無言でテーブルを睨んでいると、扉を叩く小さな音と、ルチアの声が聞こえた。
それに応えると、彼女が扉を開けて俺に一礼し、横に数歩ずれる。
そして入ってきたのはアードベンと、その妻子だった。
「エンド殿。今回はちゃんと、話し合いの場に来てくれて嬉しい。よく来てくれた。先日も聖女たちに助力頂いたと聞く。ありがとう」
「いいえ」
素直に礼を述べ、頭を下げるアードベンとは対照的に、妻子の態度は憤然としている。
人族の流行りだという、セットされた短めの髪に、膝丈のツーピース。生前の記憶と同じ印象だった。
彼女たちは向かいのソファーに座るまで、値踏みするかのように、不躾にこちらを眺めている。座ってからも娘の方は鼻で笑って、足を組んでいた。
相変わらずの態度のデカさに辟易しつつ、俺は壁際に立つルチアを一瞥してから、話を切り出した。
「それで、アードベン卿。貴方が欲しがっていた資源ですが、我が軍であらかた回収しました」
「ああ、事前に貰った手紙で聞いている」
「なら俺がここに来た理由は、分かってますよね」
オリバーに目配せすると、彼女は上機嫌で、抱えていた封書をテーブルの上に置く。
アードベンが紐を解いて中を確認し、僅かに表情を強張らせた。
「…………随分、法外な金額じゃないか? 魔族側では、使わない資源だろう?」
中身はこの数日、財務大臣に作らせた資源の売買契約書である。椅子に座ってふん反り返る初老の大臣を、文字通り腕力で容赦なく屈服させ、作らせたのだ。
金額の記憶は少し曖昧だったが、反応を見る限り上々だろう。
この交渉条件を飲めば、アードベン家に入る利益は、ほぼ皆無に等しいのだ。
予想通り、アードベンの手元を凝視していた妻が、鬼の形相で俺を睨みつけた。
「お待ちください! こんな高値で取引など、言語道断です!」
「そうですか」
「当たり前でしょう! 所詮は魔族が採掘した資源、どのみち粗悪品です。あなた、こんな交渉などするまでもありません!」
「まぁ不満があるなら、別に構いません。あの場に聖女は他二人いましたし」
俺は多少、演技がかった仕草で頬杖をつく。
書類に記された金額を凝視していたアードベンは、聖女に反応して顔を上げた。
実際、魔族側の利益を考えるなら、スーリエという聖女が住まう国と、交渉した方が良いのだ。
助け出したスーリエに話を聞いた際、彼女の国は渓谷と近い関係で、魔境と風土が似ている所があるという。それに領土の一部が海に面しているため、内陸にある魔境では食すことが難しい、海産物を仕入れることができるのだ。
言外にそれを匂わせれば、アードベンは渋面で再び書類を見下ろした。
彼には妻子と違い、交渉役を任された手前がある。
一度、魔王エンドに追い返されたという評判は、少なからず彼に影を落としていた。もし勇者が解役されれば、交渉権は別の人間に移る。アードベンにとって、そうなっては困るのだ。
二度目の生を迎えた、今なら分かる。
この男は勇者という役に固執している。
誰にも疑問を持たれずに、
「……この前も、言いましたが」
俺は静かに口を開き、ルチアに視線を向ける。
両手の指先を腹の前で組み、俯いていた彼女は、俺の視線に気がついて顔を上げた。
柔らかなスミレ色の瞳に笑いかけ、ルチアも目を細めて微かに笑みを浮かべる。
「助けて欲しいなら、俺に差し出せばいいんです」
「……」
「聖女ルチアを、この俺に。そうすれば、売買金額についても考えましょう」
男の顔色が、みるみる無くなっていく。
ソファーの後でテイラーが、揶揄い混じりに小さく口笛を吹いた。オリバーが横腹を肘打ちするが、アードベンにはしっかり聞こえていたようである。
男は四白眼を歪め、己の感情を抑えるように、長い息を吐き出した。
「それならいいじゃない。ね、お父さま、聖女ルチアは結局、使えなかったんでしょ? 魔族に売っ払えばいいのよ。あ、違うわね。お家に帰してあげたらいいのよ」
「そうだわ、あなた。ナンシーの言う通りです。あんな薄汚い子供、我が屋敷にいても使えない奴隷ですもの」
様子の変化など気にも留めない妻子が、両脇からアードベンに縋り付く。
しかしアードベンは俺を見つめ、契約書をテーブルに戻し、備え付けのインクペンを手に取った。
「……サインは、ここでいいのか」
「あなた!!」
「大陸にとって、これだけの資源は価値あるものだ。金銭的な問題ではない。それに魔族側は、魔物を撃退したどころか、採掘まで行ってくれている。これだけの量、重機を持ち込んでも人族では採掘できない。売買の席を設けてくれただけでも、恩恵だ」
相応しい理屈を並べて諭すアードベンに、妻子は瞠目して閉口する。迷いなく書かれた筆跡は、微かに震えていた。
しっかり書かれた内容を確認し、オリバーが封書に契約書を戻してから、俺はソファーを立つ。
テイラーが先に動き出し、扉の前に来たところで、俺は脇に避けたままのルチアに近寄った。
「……ペンダントの防御魔法は、常に発動するようにしていて欲しい」
「陛下……」
「……今はまだ、無理だけど……、きっとここから連れ出す。信じてほしい。……俺はいつでも、君に守られているから」
交えた視線を名残惜しげに離し、俺は応接室へ振り返る。
見送りの為か席を立ち、緩慢な動作でこちら近づいてくるアードベンの双眸が、揺れ動いてルチアを凝視していた。
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