大正乙女と藁人形

あんみつ

吉乃紬

第1話

青々とした葉桜が曙光しょこうに照らされて煌めく、

大正6年の初夏のこと。


花も恥じらう十二の乙女。

吉乃紬よしのつむぎは、甘味処の近くに真紅の自転車を停めると、山吹色の くくりばかまを颯爽と翻して自転車を降りた。


ーーの暖簾をくぐると


「おーい君!こっちだ、こっち」


「お父様!」


肩の辺りまで伸ばした艶のある黒髪を無造作に流しているのは、紬の父、吉乃薫よしのかおるである。涼し気な紺地の浴衣姿で、扇子を煽っている。



父は怪談師をしているので世界中を旅している。

毎月のように色々な国を駆け回って忙しそうだ。

色んな国に行くのに、自分が洋装をするのは未だに慣れないらしく、浴衣を着ていることが多い。


青白い肌に、細身の体躯。爵位持ちであるお母様とは、身分違いの駆け落ち結婚だったらしい。許されざる禁断の恋なんて、すごくローマンチック!


「どうだ、向こうの生活は慣れたか?帝都は風情のあるいいところだろう」


「えぇ。来年の春には東京市の女学生ですもの。とっても楽しみで仕方なくってよ」

こちらに越してきて半年。故郷のお友達とお別れするのは寂しかったけど、まさか東京の女学校に通えるなんて夢みたい!


お母様とお父様には仲直りしてほしいけれど、私はこの帝都での暮らしもちょっぴり気に入ってしまったのです…なんて。

やっぱり、嘘。

お父様の不可思議なコレクションに囲まれたあの部屋が好きだもの。



お品書きを手に取ると、ぜんざい、白玉あんみつ、アラモード、クリィムソーダなどと書かれていた。


「僕ぁ、珈琲とアラモードを」

お父様は大の甘いもの好きである。


悩んだ末、紬は白玉あんみつを頼むことにした。


木の机に備え付けてある渋茶色の茶器で、湯呑みにお茶を注いで一口飲む。ここのお茶はいつ飲んでも心がほっとして癒される。


カウンターからは、炭酸で氷が割れて溶ける音と、僅かながら風を送っている扇風機の音が聞こえている。


ぱきん。


ぱきん。




「先月は”霊呪会”《れいじゅかい》の特集で台湾へ取材に行っていたな。一番安い宿を選んだんだが、その宿が”出る”と噂でね。期待していたけど夜中にベッドの周りを歩く足音がしたぐらいだったよ」


「まあ、それはとっても残念だわ…。それだけではポルタアガイストに合ったという気がしないでしょうね…」

”出る”と謳っているのなら異星人や未来人の一人や二人出してくれてもいいのにと、紬は思う。


「残念だったが、収穫もあったよ。台湾で珍しいものを見つけてね。」

父は鞄から漫画雑誌を取り出した。外国語で書かれているので何と書かれているのかは読めない。


「これぁバーツコミックといってね、地元では大衆娯楽として人気らしいよ。所謂いわゆるオカルト雑誌というやつだな」

父はメガネをクイッと指で押し上げる素振りをした。ちなみに、これは伊達だてらしい。


「そうだ。すっかり忘れていた!君にこれを渡そうと思っていたんだ。ふっふっふ…」


父は懐から取りだした品物を紬にむんずと見せる。



「…藁人形!?」



「藁人形って…」



「藁人形って…?」



「なんて可愛らしいのかしら!」


「君ならそういうだろうと思ったよ!流石私の娘!」

「この藁人形は台湾の骨董店で求めたプレミア品でね。私もまさかこの取材で出会えるとは思わなかった!」

いつになく嬉しそうにしている。

お父様は普段は自分のことを僕というのだけれど、感情が高ぶったときには一人称が私になるという癖がある。不思議な人。


藁人形や河童の剥製はくせいが好きなんていうと、大抵の女の子は気味悪がるかもしれないけど、紬はこういった気味の悪い物が何よりも好きだった。この世に人間の英智では及ばない存在がいくつもあると考えるだけでわくわくするもの!


ーー白玉あんみつ、それから珈琲とアラモードを盆に載せて、着物にエプロン姿の女給さんがやってきた。


ゆったりと、冷えた白玉あんみつを口に運び、お子様のように目を輝かせアラモードを突ついている父、吉乃薫を見る。



「あの人は、どうしている…?」

彼は、とろんとしたプリンを頬張りながら、そう問う。

別居中とはいえ、彼は彼なりにお母様の事を気にかけているらしい。

あの人なんてかしこまったいい方をしなくてもいいのになぁ。


菜穂子なほこさん、僕のことを忘れてしまっていやしないだろうか…」


「そんなわけなくってよ!お母様は、お父様を気にかけてらっしゃるわ。ただ…」


「ただ?」


「ううん、なんでもないわ」



「…お父様がお手紙を出されたら、お母様もきっとお喜びになるわ。ねぇ、どうしてそんなに意地をお張になるの?」


母も父も不器用な人だから、きっかけを掴めないで意地を張っているだけだとは紬は思っている。紬の母、吉乃菜穂子よしのなほこは爵位まで持っている生粋のお嬢様だけど、不器用なところは父とそっくりだ。


「お父様、私も渡したい物があるの」


「はい、これ!御守りよ。」


「いつも遠い所へ行って半月は帰って来ないんだもの。私だってお父様がなにか危ない事に巻き込まれやしないか心配しているのよ」

父は少し意表を突かれたような顔をして、眼鏡を指でクイッと押し上げた。


「そ、そうか…君は実に優しい。うん…実に優しいな…。うん…受け取っておくよ。ありがとう」

父は結構分かりやすく動揺するタチだ。


「君は今年の春で尋常じんじょう小学校を卒業するんだな。晴れ姿を見ることが出来ないのが残念だよ。次こそは長期取材でね」


「えぇ、来年からは女学生よ。素敵な柄の袴を履いて、帯には” 桜花浪漫おうかろうまん高等女子”の徽章きしょうベルトを付けるの!」


「はは。取材から帰ったらすぐにでも見たいものだな。…代わりに便りを送るとしようか」


「旅のお土産も、楽しみにしているわ!お便りもお忘れにならないでね、きっとよ!」


「ああ」


父は、最後にとっておいたシロップ漬けの

さくらんぼを一口で平らげると、満足気に微笑んだ。


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大正乙女と藁人形 あんみつ @sevruslove

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