孤独な作家はSFが書けない
柏沢蒼海
僕はSFを描けない
いつものようにキーボードを叩き、ディスプレイに次々と文字が吐き出される光景を眺める。そうして描かれるのは、僕の頭の中にあった物語。
いくらか書き進め、『保存』のアイコンをクリック。これでよし。
真っ白な画面が文字に浸食されていくのは、きちんと原稿が進んでいる証拠だ。
画面が黒くなっていくことに少なからず安堵してしまう自分に、少しだけ嫌気が差す。書いた量と同じだけ読み直し、今度は削る作業が待ち受けているからだ。
――今日も書けてるな。
毎日書かなければ、いつか急に書けなくなる。
文書を書く能力というのは筋肉と同じだと、多くの作家先生が言っている。その言葉を信じて、日常生活の合間に執筆に打ち込んでいた。
今日も仕事を終えて、就寝前の数時間を執筆に注ぎ込んでいる。それも一段落したから、あとはゆっくりできる。
ふと、PCのタスクバーに視線が引き寄せられた。
SNSのアプリのアイコンに通知が追加されている。きっと、他愛の無い雑談のきっかけや投稿内容の拡散だろう。
そう思って、SNSのアプリを立ち上げる。
SNSの通知欄を開き、真っ先に目に入ってきたのは『レッドスカイ』という名前だ。
有名なSF映画の一般兵士を映し出したアイコン。真っ白でダサいヘルメットに見覚えがあった。
そして、そこに書かれている内容に僕は首を傾げる。
『お前の作品はSFじゃない』
――どの作品のことかな……?
僕は長編と短編を一緒に公開している。それ故に「お前の作品」と言われても、どれのことかわからないことがよくある。
それに、自分のカラーのようなものをあまり意識していないということもあって、作品のテーマやジャンルも様々だ。
だが、相手を苛むような内容をいきなり送り付けてくるような相手は無視するに限る。――というわけで、この投稿を見なかったことにした。
数日後、〈レッドアイ〉からメッセージが来るとは予想もしていなかった。
実際に会って、話がしたい。指定された所は僕の住んでいる場所の近所。
ネットストーカーと呼ばれるものだろうか、と警戒すべきなのだろうが、逆に強い興味が沸いてきた。
僕の作品を読んだかもしれない相手と直接対面できるのだ。これを逃す手は無い。
僕の作品を読んでいる小説書き仲間との交流会みたいなことは何度かあった。
それはあくまで同志、もしくはライバルのようなものだ。それも戦友に近い。
一方、純粋な読者――ファンというものに巡り会うのはなかなか無いものだ。
指定されていた近所のファミレス、朝一番の時間帯では客の姿は少ない。
そこにいる人達はモーニングメニューか、仕事場所を求めてやってきた人達だ。
そして、僕はメッセージに追記されている条件に合致する席を目指す。
窓際、建物の隅、そこにいたのはメガネを掛けた女性だった。
小柄で比較的短めの頭髪、真面目そうな印象を受ける。いきなり悪質な投稿をするような人物には見えない――いや、人は見かけによらないとも言う。素性というのは一見ではわからないものだ。
「どうも、レッドスカイさんですね?」
「そうよ」
端的に答える彼女の言葉に、少なからずトゲがあるような気がした。
やはり、他人に対して攻撃的な性格なのかもしれない。
僕は彼女の向かいの席に座る。
すると、彼女はそれがさも当然かのように言い放つ。
「あなたの作品、どれもSFじゃないわ」
表情は真剣そのもの。とても冗談を言っているようには思えない。
それほど熱心な……ファンという仮定で接することにしよう。
「ご指摘ありがとうございます……あと、作品も読んで頂いて」
僕は小さく頭を下げる。
その言葉が本当に僕の作品を読み込んだ上での発言だとしたら、それはそれで嬉しいところだ。
それに、彼女の指摘はある意味では正しい。
僕はSFというジャンルが好きだ。色んな映画やコミック、小説に出てくるSFギミックやガジェット、扱うテーマや世界観が好きだ。
だが、僕が書いてる作品にそうしたSFのフレーバーを差し込んでも、なかなかしっくりこない。
事実、彼女の言葉に何も言い返す気にもならなかった。
「そういうことじゃないの」
彼女は大きく溜息を吐く。落胆の表情。
きっと、僕の反応が予想と違ったらしい。何か動揺したり、怒ったりした方が良かったのだろうか?
だが、見ず知らずの他人にそうするのは社会人として問題だろう。
もちろん、相手からケンカをふっかけてきたとしてもだ。
「もし良ければ、どうすればSF作品らしくなるか教えてもらえます?」
僕の言葉に、彼女は怒濤の勢いで話を始めた。
一気に話すことをマシンガントークと表現するが、彼女の話は
これはそう……ガトリングガンだ。
しかし、僕はそう簡単に折れるわけにはいかない。
社会人ともなれば、人から教えてもらう機会というのは減ってくる。こうした機会に知識を増やすべきだろう。
『タイムパラドックス』『パラレルワールド』『ロボット三原則』『ウラシマ効果』『フランケンシュタイン・コンプレックス』『シュレーディンガーの猫』『ミッシングリンク』『テセウスの船』
彼女の口から飛び出してくる単語はどこかで聞き覚えのあるものもあった。
知らないものもある。それについて、1つずつ詳細を教えてくれる彼女の説明の要点だけを頭の中に取り込んでいく。
それはまさしく、僕がこれまでやってきた創作のそれと同じだ。
それら全ては、おそらくSF作品の中に登場した概念やジャンル、要素に過ぎない。
それが明確な形で作中に提示できていなかったからこそ、彼女は『SFではない』と判断したのだろう。
だが、そうなったのは僕の落ち度だ。
読者にそうした要素を読み取れるように書けていなかった。それは反省点として大きい。
「――そもそも、ロボットが出てくるからってSF作品だって言い張るのがおかしいのよ。そんなの、きちんとしたSF作品に失礼じゃない」
「そうですね、すみませんでした」
何度目かわからないくらいに、謝罪を繰り返している。
事実、僕はSFというのは自由なジャンルだと思っていた。
しかし、本当のSFというのは論理的かつ数多のフレームワークを網羅しているような基礎を築いていなければならないらしい。
つまり、きちんとした考察と探求が求められているようだ。
僕としては、人型兵器が登場している世界観はSFの作品として要件を満たしているように思っていたが、どうやらもっと盛り込むべき内容があったらしい。
やはり、ジャンルに明るい人でなければわからないこともあるだろう。
そこをなんとなくで書いてしまった。
ふと、疑問に思ったことがある。
彼女の言うことが正しいかどうかはさておき、僕は〈レッドスカイ〉というアカウントを使っている、この女性のことは何一つとして知らないのだ。
自称、僕のファン……にしてはやたらと辛辣なコメントが多い。
だが、クリティカルな指摘なので否定することができないのも事実である。
――聞かないわけには、いかないよなぁ。
「あなたは何か……そう、作家クラブみたいなものに所属されてるんですか?」
「そんなものには入ってない。細かいことを気にするのね」
本当にただのファン。1人の読者ということらしい。
だが、どうにも納得出来ない。
彼女の表情に、どこか緊迫したようなものがあった。
「それにしても、やたらとSFにこだわるのはどうしてなんですか?」
正直、SFというジャンルは定義が曖昧だ。
ファンタジーみたいにわかりやすいビジュアルがあるわけでもない。
作品の舞台だって、超技術の未来から現代、過去の時代ということもある。
「君に……話してもわからないよ」
そう答える彼女は、どこか遠い目をしている。
単なる冷やかしで僕と対面しているわけではないのは明らかだった。
だが、それ以上のことはわからない。
それでも、何かの縁だ。
最後まで付き合ってみるのも悪くないだろう。
「いや、話してほしい。わかるかもしれないし」
だが、彼女の表情は変わらない。
それでも、さっきとは何かが変わった。そう確信が持てる。
「あなたはこの辺りに住んでるんですか? ここを選んだのは偶然なので?」
不自然といえば、不自然だった。
僕はSNS上でどこに住んでいるかを公言している。
それでも、住んでいる市は比較的大きめだ。最寄りのファミレスを当てるのは簡単ではない。偶然にしては妙だった。
〈レッドスカイ〉の服装は傍目から見ると、どこかおかしい。
よく見ると、サイズが合っていないように見える。おまけに靴も大きい。体型に全く合っていないようだ。
「……これを」
彼女はそう言って、何かを取り出した。
小さな箱、装飾は無いがそのサイズ感からして、その用途は限られる。
これは、リングケースだ。
「どういう意味なんだ?」
リングケースに手を伸ばすべきか迷っていると、彼女が口を開く。
「この中には指輪が入ってる。けど……本物か、おもちゃか、わからない。――開けるまでは」
――この感じ、ついさっき……
手元に書いたメモを読み直す。
すると、答えはそこにあった。『シュレーディンガーの猫』だ。
箱の中にいる猫の生死は、箱を開けるまではわからない。
観測されていない以上、箱の中の猫の生死はどちらでもない……つまり、箱を開けるまでは猫は生きた状態と死んだ状態のどちらもが存在している可能性がある――というややこしい話だ。
このリングケースも開封しなければ、中身が本物かどうかはわからないということになる。
同時に、何も入ってないということもあるかもしれないが。
「そして、未来も同じよ。現在がそのターニングポイントなの」
表情は真剣そのものだ。
まるで、僕の作品の話をしているようには思えない。もっとスケールの大きい話にすり替えられているようだ――いや、変わっているのだ。
「……もしかして、君は未来人だったりする?」
何の気なしに言い放ったセリフが、彼女のツボに入ったらしい。
噴き出すように笑って、笑い過ぎて涙すら流していた。
周囲の客からの視線を感じるが、すぐに失せる。モーニングよりちょっと後の時間帯ならば馬鹿話をしていてもおかしくないだろう。そう考えてくれたに違いない。
「正解」
彼女は笑いながら言った。
「やっぱり、あなたが鍵なのかもね」
「どういう意味だよ、それ」
椅子の背もたれに身体を預け、満足気な表情を浮かべる〈レッドスカイ〉
話がきな臭い方向へと転がっているのを感じるが、逃げるつもりはない。
「未来の世界、私の生きている時代では馬鹿ばかりが子供を作ったせいで人類は愚かにも知能指数が低い社会になってしまったの。私は例外だけど――」
そんな内容の映画があったような気がするが、深刻そうな顔色はとても冗談を言っているようには思えない。
もしこれがジョークだったら、女優として芸能事務所の門を叩くべきだろう。
とりあえず――なんて冷静に見ても、疑うのは難しそうだ。
「……SFというジャンル、概念が無くなってしまうの」
「それって、つまり……?」
「創作物のジャンルや要素としてのSFは無くなるのよ!」
前のめりになり、彼女は吐き出すように言った。
「ごめん、具体的には?」
「コンテンツのジャンル表記からSFが消えたり、マンガや小説の新人賞のジャンル表記からもSFが無くなるのよ! 信じられないわ!!」
それだけ彼女はSFが好きなのだろう。
だからこそ、SFにしがみつくように生きているのかもしれない。
「ところで、僕に接触してきた理由は?」
腕を組んだまま、彼女は僕を睨む。
言うべき内容をまとめているのか、それとも感情を抑えているのか、しばらく沈黙が続く。
そして、ようやく答えが明かされた。
「――あなたが、人類最後の作家になる人間だからよ」
「なにそれ」
思わず絶句してしまう。冗談でも笑えない話だ。
「未来の世界では、誰も小説を書けないの」
「でもさっき、小説の新人賞って――」
「受かった作品をAIに学習させてアウトプットさせるの。そうすると同じ文体で複数の作品を乱造できる。それを売るってことね、似たようなストーリーの物語が並ぶだけ」
――学習? アウトプット?
AIは知っている。SF作品で人類を補助したり裏切ったりするヤツだ。
人工知能とか疑似人格とか、デジタルのそういった技術。
それに学習させるというのはどういう意味だろうか……?
「――そういえば、まだAIの技術構造が浸透してない時代だったわね。あと数年もすればAIでイラストや文章を作ったりするようになるから」
「えぇ!? じゃあ、本当にAIでなんでも作れるようになるの? クリエイター要らなくなっちゃうじゃないか!」
「――そうはならないんだけど、説明がめんどくさいから省略するわ」
未来の世界が楽しそうなんだか、そうじゃないんだか、わからなくなってきた。
少なくとも、〈レッドスカイ〉にとっての未来はよくない状況らしい。
「じゃあ、僕が最後の小説家っていうのは?」
「私が知る限り、AIを使わずに自力でアウトプットしているのはあなただけだった。そういう意味では、あなたは有名な作家だったわよ、時代遅れってね」
――悪い意味じゃないか!
モヤモヤするが、話は終わっていないらしい。
だが、話が見えてきた。
「あなたはたくさんの作品を書き残したけど、SFの名作が無かった。だから、未来にSFが残らなかったのよ」
「他の作品だってあるだろ、僕以外の……」
「ある年代から、それ以前の作品全てをAIに学習させても処罰を受けないという法案が成立して、過去の作品は価値が無くなってしまったの」
「それでもSFは残ってるじゃないか」
「――昔のSFは難しすぎるのよ! 私以外の人間が理解できるようなものじゃないわ」
――だから、僕がSFを書かなきゃいけないのか?
これだ質の悪い冗談だったなら、どれだけ良かっただろう。
目の前にいる女の真剣そのものな態度が、現実逃避を許してはくれないはずだ。
「あなたが僕にSFを書かせようとする理由はなんとなくわかった」
時代に合ったSFが無いから、SFが無くなった。
そう考えられるならば、こんなことにならなかっただろう。
彼女が求めているのは、きちんとしたSFを未来の人間に読めるようにした作品なのだ。
それが僕に書けるかはわからないが……
「でも、あなたの正体がわからない。どうして僕にこだわるんだ? 自分で書くという選択肢だってあるだろう?」
僕の言葉を否定するように、彼女は首を横に振った。
申し訳なさそうな顔をして、言い訳を零す。
「私は、君の書くSFが読みたいんだ」
未来でどれだけ僕の作品が残っているかは知らない。
だが、現在進行系で公開している作品にコメントを付けている以上、僕の作品を読んでいるということだ。
「……わかったよ、努力はしてみる。せっかく未来から来てくれたんだからね」
嘘かもしれないとは、微塵も思っていなかった。
過去に飛んでくる方法とか、現代のインターネットにどうやってアクセスしているかとか、気になる所は山のように出てくる。
だが、それは本題とは何の関係も無い。
「待って」
席を立とうとした矢先、彼女は言った。
渋々、席に着く。
ほとんど話は終わったようなものだが、それでも彼女は踏み留まる。
すると、彼女はリングケースを突きだしてきた。
「これ、必要になるから」
「開けても?」
「――絶対にダメ!」
こっそり開けようとしたが、彼女に止められる。
中に指輪が入っているかどうか、それを確認してはいけないらしい。
「開けたら、未来が決まっちゃうから」
「それはあなたが望まない方向に?」
「そういうこと」
――面倒だなぁ……
リングケースを受け取り、ポケットにしまう。
それを見た彼女は大きく溜息を吐き、安心したような様子を見せる。
「そろそろ、お別れね」
席を立つ〈レッドスカイ〉。僕も席を立とうとするが、彼女の人差し指に制されるように席に戻った。
「あと数分後、電話が掛かってくる。それまでは席を立ってはいけません」
「なんだよ、それ」
彼女は小さく笑ってから、手を振るような仕草をした。
「では、さようなら――また、未来で」
「どのくらい未来なんだ? それくらい教えてくれよ」
僕の問いに、彼女は微笑むだけで答えは返ってこない。
そのまま退店、テーブルのレシート入れに刺さっている伝票にはドリンクバーとデザートの印字が刻まれていた。
――おいおい、食い逃げかよ。
少なくとも、面白い体験ではあった。
未来人との約束――いや、宿題と言うべきか。良い意味で作品を書く理由になるだろう。
これが悪戯やドッキリだとしても、楽しめたという点では悪くない。
ふと、ポケットに入れたリングケースを手に取る。
ドラマや映画、バラエティーの再現ドラマで見るようなシンプルな箱。
その中身は、空ではないことは間違いない気がした。
――さすがに中身は確認しておかないとな。
リングケースを開けようと指先に力を入れた瞬間。携帯端末が震えた。
反射的に画面を見ると、そこには知らない番号が表示されている。
通話を開始し、端末を耳元に当てる。
そして、通話相手から告げられた言葉で――僕は、確信した。
〈レッドスカイ〉は間違いなく、未来人であること。
そして、僕が本当に作家になること。
たった今、その――僕の戦いが始まったことを、知った。
孤独な作家はSFが書けない 柏沢蒼海 @bluesphere
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