天空の流しそうめん

まにゅあ

第1話

 今日、七月七日は、七夕に加えて「そうめんの日」でもあるらしい。

 そのことを私が知ったのは、つい昨日のこと。今年の四月に親の仕事の都合で引っ越してきた面荘村めんそうむらは「そうめんの村」として知られ、七月七日は村全体で流しそうめんをする風習があると、担任のまりこ先生が教えてくれた。

 日が暮れて夜空に星々が瞬き始めた頃、村人たちが続々と学校の運動場に集まってきた。

「さあみんな、受け取って。――佐倉さくらさんも」

 まりこ先生が取り皿とお箸を私たち生徒全員に配ってくれる。全員と言っても、村にいる生徒は私、佐倉千鶴ちづるを含めて四人だけなのだが。

 小学二年生の柚香ゆずかちゃんと、小学三年生の隆弘たかひろくんと、中学一年生の春香はるかちゃん、そして中学二年生の私。

 全員が同じ教室で日々授業を受けている。授業は半分自習のようなもので、配られたプリントに各々が取り組んで、分からないところをまりこ先生に訊くという形だ。

「まりこ先生、流しそうめんの台がどこにもありませんけど」

 私は辺りを見回しながら言った。運動場の真ん中に大きな焚火があるだけで、例の竹でできた細長い滑り台のようなものはどこにも見当たらない。

 まりこ先生は夜空を指差すと、

「よーく見ていて。もうすぐやってくるから」

 やってくる?

 意味が分からずに首をかしげる。まさか流しそうめんの台が空から降ってくるとでも?

「……え」

 そのまさかだった。

 空高くに見える天の川から私たちのいる運動場へと、すーっと一筋の光が差し込んできた。その速度はゆっくりで、やがて地上に近づいた光は弧を描き、地上に対する傾斜角を小さくした。そのまま運動場の端から端へと斜めの線を引くように光は地上に降り立った。

 よく見れば、その光の筋は流しそうめんの台だった。竹は薄緑色で半透明、表面がきらきらと光を放っている。まるで地上と空を繋ぐ架け橋のようで、とても神秘的だった。

 驚き言葉を失っていた私に、まりこ先生が言う。

「ほら、並んで並んで。そうめんが来るよ」

 何が何やら分からないが、これから流しそうめんが始まることだけは分かった。みんなに習って流しそうめんの台に近づき、お箸を構える。

 周りを見れば、台の左右に村人たちが列をなして並んでいる。みんなホクホク顔でお箸を構え、台の上方に目をやっている。

「一年ぶりじゃからの。毎年この時期は楽しみで夜も眠れんわ」

「子どもかいな。あんた、もう今年で八十やろう。まあ、そういうわしも楽しみで昨日の夜は小躍りしてもうたけどな」

 台の向かいに立つ老夫婦が、ガハガハと楽しげに笑っている。

 上方ではすでにそうめんが流れてきているのか、村人たちの満足げな声が聞こえてくる。

「佐倉さん、そろそろよ。気合い入れなさい」

 隣に立つまりこ先生が、私の耳元で囁く。

 たかが流しそうめんで気合い入れろって、いくら何でも大げさな……。

 私が胸の内で肩をすくめていると、上方からそうめんが流れてきた。純白の絹糸のような美しいそうめんである。

 さて、村人たちの舌を満足させるそうめんとは如何ほどの味か。

 私が目の前に来たそうめんをお箸で掴もうとしたとき、――そうめんが消えた。

 顔を上げれば、私が食べようと思っていたそうめんは、向かいのおじいさんの口の中に入っている。

「旨いの~!」

 頬を緩ませているおじいさんに、おばあさんが言う。

「わしが食べようと思っていたのに、よくもやってくれたの。今度はわしの番じゃ! ほれ!」

 おばあさんは目にもとまらぬ速さでお箸を扱い、流れてきたそうめんをあっという間にすくって、自身の取り皿に盛ってしまった。お年寄りとは思えないお箸捌きである。

「……すごい」

 私の口から思わず感嘆の声が漏れる。

「千鶴お姉ちゃん、もっとがんばらないと、食べられないよ」

 私より六歳年下の柚香ちゃんも、小学校低学年とは思えないほど巧みにお箸を使って、そうめんを口に運んでいる。

「オレらは生まれたときから毎年これやってるからな。朝飯前だぜ。――う~んっ! マジで旨いぜ!」

 隆弘くんは胸を張ってそう言い、そうめんを美味しそうに啜った。

「千鶴さん、焦ることはありませんよ。一人が口にできるそうめんの量は限られています。いずれ千鶴さんにもチャンスがやってきます」

 年下の春香ちゃんにそう諭されつつ、私はそのときを待った。

 ――来た!

 周りの村人全員は、食べるのに夢中になっている。今なら私を邪魔する者は誰もいない。

 流れてくる純白のそうめんに向かって、私は意気揚々とお箸を伸ばした。

 けれど、私の脇の下から突然ぬっとお箸が伸びてきて、私のそうめんを搔っ攫っていった。

 まだ村人がいたの!?

 私は恨みがましい気持ちでその“人物”を見た。

 ……ん?

 幻覚を見ているのかと思い、目をこする。

 それでも目の前にいる“それ”は消えてくれない。

 私は戸惑いつつも“それ”の名前を口にする。

「ペンギン……?」

 私とまりこ先生の間に割って入るようにして、ペンギンが立っていた。先ほどお箸に見えたのは、ペンギンのくちばしだった。ペンギンは次々と流れてくるそうめんを器用に嘴ですくって食べている。

「おー、来よった来よった」

「待っておったぞ。食べなされ皆さん」

 おじいさんおばあさんをはじめ、村人たちは台の周りを譲った。

 見れば、ペンギンだけではない。

 どこからやってきたのか、虎、鷲、イタチ、リスなどの多種多様な動物たちがいた。

 彼らは台に近づくと、流れてくるそうめんを美味しそうに食べ始めた。

「まりこ先生、これは一体……」

「みんな、私たちと同じよ。そうめんを食べに来たの」

「食べに来たって……」

 何から訊けばいいのか分からなかったが、取り敢えず頭に浮かんだ問いを口にした。

「なんでわざわざここまで?」

「そりゃ決まってる。『天空の流しそうめん』を食べられるのは世界で唯一ここだけだから」

「天空の流しそうめん?」

「私たちの村では古くからそう呼ばれてる。昔、私たちが住む面荘村は度重なる自然災害で飢饉に見舞われたそうなの。そうして迎えた七月七日、村人たちが全員死を覚悟したそのとき、天の川から流しそうめんの台が降りてきて、村人たちにそうめんを恵んでくれたと言い伝えられている」

 まりこ先生は取り皿に残っていたそうめんを一本お箸でつまんで、口に運んだ。

「これほど美味しい流しそうめんは世界中のどこを探しても食べられない。年に一度の天の川からの贈り物。世界中の動物たちは今日のために海を越え空を渡り、ここまで足を運んでくるの」

 言葉は通じなくても、彼ら動物たちが満足げに舌鼓を打っているのが分かった。

 一体どれほど美味しい流しそうめんなのだろう。

 食欲が刺激され、口の中で唾液が分泌される。

「……まりこ先生、私まだ食べてなくて」

 私が何を言いたいのか察したのだろう。まりこ先生は親指を立てて、

「幸運を祈るわ」

 そう言って私を流しそうめんの台へと送り出してくれた。

 台の周りは動物ばかりで、割って入るのには勇気が要った。

 だけど、一口でいいから私もあの流しそうめんを食べてみたかった。

「ごめんなさいっ!」

 私はそう言って、彼らの間に飛び込んだ。

 動物たちが一斉に私に目を向けた。

 緊張でドクンと心臓が鳴った。

 虎やワニもいた。襲われたらひとたまりもない。

「――ありがとう!」

 けれど、彼らは私のための場所を空けてくれた。彼らが私のほうを一斉に見たのは、私が単に大声で言葉を発したからだったのだ。

 そうめんが次から次へと流れてくる。

 周りの動物たちは嘴や手を巧みに使ってそうめんを食している。

 場所を譲ったからと言って、私にそうめんまで譲る気はないようだ。

 負けていられない!

 彼らに混じっての、そうめんの争奪合戦が始まった。

 動物たちの俊敏な動きに負けじと、私もお箸を動かした。お箸の使い方が段々と上手くなっている実感があった。

 よし、このままいけば私もそうめんをゲットできる!

「佐倉さん! 頑張って!」

 まりこ先生の声が聞こえ、振り返る。

 まりこ先生だけじゃない。柚香ちゃんと隆弘くんと春香ちゃん、それに村の人たちも私に「頑張れ!」と声をかけてくれている。

 村に引っ越して三ヶ月。慣れない環境に戸惑うこともあったけれど、村の人たちに支えられてここまで何とかやってこられた。私はお箸を掲げて、彼ら彼女たちの声援に応える。

 必ずチャンスはやってくる。

 ――今だ!

 私は過去一番のお箸捌きで、流れてくるそうめんを捕らえた。私のお箸のすぐそばには、嘴、手、脚など、様々な動物たちの“お箸”が接近していた。一瞬でも私のお箸が遅れていたら、このそうめんは彼らの餌食になっていただろう。

 私のお箸が最初にそうめんを捕らえたのを見ると、彼らは潔くその“お箸”を引き下げ、次なる獲物へと向かっていった。

 ようやく私はそうめんを手に入れたのだ!

 あまりの嬉しさに、食べる前から頬が緩んだ。

「いただきます。――美味しっ!」

 びっくりするほどの美味しさだった。味はもちろんのこと、舌触り、食感、喉ごし――どれをとっても美味しくて、私が今まで食べてきた流しそうめんとは比べ物にならないほどだった。これは村人や動物たちが夢中になるのも分かる。

 私はそれからも何度かそうめんをゲットすることに成功した。

 とても満足だ。

 しばらくすると、そうめんは流れてこなくなった。どうやら流しそうめんは終わりらしい。

 動物たちはこれからまた長い距離を移動して、故郷へと帰っていくのだろう。

 彼らの旅路に幸あれと、心の中でエールを送っていると、またもや信じられないことが起こった。

 流しそうめんの台が十メートルほどの長さで細切れになり、独りでに大きな筏を形成したのだ。

 筏に動物たちが乗り込んでいく。

 すべての動物が乗ると、筏は宙に浮いた。

 そのままゆっくりと上昇し、夜空の彼方へと飛んでいく。筏の通った跡が、きらきらと光る線になっている。

 流れ星みたいだ。

 彼らは、空飛ぶ筏に乗って故郷へ帰るのだ。

 私たちは流れ星に手を振った。

 きらり、と一際大きく星が光った。

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