お地蔵さんと鈴の音
まにゅあ
第1話
ピコーン、とスマホが鳴った。
道路わきの電柱に肩を預け、のろのろとビジネスバッグからスマホを取り出す。
ぼんやりと霞む視界で画面に目を凝らし、受信したメールの件名を読む。
「一次面接の結果のご案内 株式会社――」
三日前に受けた企業からだ。
深呼吸をしてから、震える指先で画面をタップし、メールを開封する。
「……まただ」
全身から力が抜けた。スーツの肩口が電柱に擦れ、嫌な音を立てた。
地面に膝をつくと、冬の寒さで冷え切ったアスファルトが身に染みた。
ぼんやりと頭上を見た。
夜空に星は見えない。暗くて深い藍色があるだけだ。さっき一人で居酒屋へ行き、やけ酒をしたせいで、焦点が合わないのかも。
輝く星は、私の目だけに映らない……。
春先から就活を始めた。スタートダッシュはよかった。だけど、周りがゴールテープを切っていく中、私だけがいつまでも走り続けている。
就活は、人によって走らなきゃいけない距離が違う。すごい人はコースが五十メートルしかなくて、あっという間に内々定をゲットしちゃう。だいたいの就活生は、百メートルから四百メートルくらい走ればオーケー。
だけど私の走るコースは、最低最悪の長距離マラソンだった。
しかも現在進行形で走っているから、それが十キロなのかハーフなのか、あるいは考えたくもないけど、フルマラソンなのかが分からない。
これじゃあゴールがないマラソンを走っているのと同じだ。
エンドレスマラソン! 最低最悪! そりゃお酒だって飲みたくなるってば!
今日の面接もイマイチの感触だったし、数日後にもお祈りメールが来るのかと思うと、ますます胃が痛くなる。
「ほんと、どうしてこうなっちゃったんだろ……」
厳しい現実に苛まれながら、人影のない道路で一人、暗い夜空を見上げていると、白くて小さなものが、ゆっくりと落ちてきた。
「――雪」
今夜は雪が降るって、天気予報で言ってたっけ。
一つ、二つ――次第に雪は数えきれないほどしんしんと降り始めた。
「……風邪を引いたら、笑えないよね」
冷えて硬くなっていた体に鞭打って立ち上がろうとしたとき、それが目に入った。
「お地蔵さん?」
電柱を挟んだ向かいに、一体の小さなお地蔵さんが立っている。地面にお尻をつけている私の目線より、ちょっと低いくらいの背丈だ。顔や体つきなど全体的に丸っこく、可愛らしい。
つるりとした頭が、とても寒そうだ。このままだと、雪がこんもりと積もってしまうだろう。
「あなたも大変ね」
首に巻いていたマフラーを外し、目の部分が隠れてしまわないように気を付けながら、お地蔵さんの首と頭にマフラーをくるくると巻いていく。
「ちょっと巻きすぎかもしれないけど、許してね」
私のマフラーは、彼(何となく男の子な気がした)には長すぎたようだ。
「……寒すぎるより、暖かすぎるほうがずっといいよね」
お地蔵さんに、バイバイと小さく手を振って、再び歩き始める。
酔っていて足取りがおぼつかない。普段の倍以上の時間をかけて、住んでいるアパートにたどり着いた。
お風呂に入る気力もない。パジャマに着替えるのも面倒だ。
私はそのままベッドにダイブし、泥のように眠った。
朝、目を覚ますと、隣でお地蔵さんが眠っていた。
「……さて、顔でも洗おっと」
ベッドを下りて、洗面所へと向かいながら考える。
昨日、お地蔵さんを家に持って帰ってきちゃった?
いや、それはない。私はお酒を飲んでも記憶はしっかり残る体質だし、昨夜のこともちゃんと覚えてる。マフラーを巻いて、その場でお別れをした。
顔を洗いながら考える。
それに、昨夜はべろんべろんに酔っていたから、お地蔵さんを抱えて持ち運べる状態じゃなかった。もし運ぼうなんて無謀なことをしていたら、途中で何度も転んで、体中が傷跡だらけになっていたに違いない。
「さっきのは幻よ。幻覚、幻覚」
私はいつも以上に時間をかけて顔を洗い、居間に戻った。
――お地蔵さんは、変わらずそこにいた。
しかも、彼のいる場所が変わっている!
さっきはベッドに横たわっていたのに、今はベッドから下りて床に立っていた。
「就活で落ちすぎて、頭がおかしくなっちゃったみたい」
壁に手をつき、反対の手で頭を押さえていると、ちりーん、と音がした。
顔を上げると、さらに信じられないことに、お地蔵さんがジャンプしてこちらに向かってきていた。
ちりーん、ちりーん――。
お地蔵さんが跳ねるたびに音が鳴る。不思議なことに、ドスンといった重たい着地音は全くしていない。
六回のジャンプで、彼は目の前にやってきた。
立ち止まった彼の首元には、金色の小さな鈴がついていた。ちりーん、というのは、鈴の音だったらしい。
「えーっと」
この状況をどう呑み込めばいいのだろう。お地蔵さんはお地蔵さんで、動くなんてことはあり得ない。
だけど、今そのあり得ないことが目の前で起きている。耳も鈴の音を聞いている。
幻覚と幻聴――救いようがない。私の頭は就活のストレスでおかしくなっている。
幸いなことに、今日は予定がない。二度寝しよう。
私は足元のお地蔵さんを避けつつベッドに行き、目を閉じた。
やはり疲れが溜まっていたようで、私はすぐに眠りに落ちた。
昼過ぎに起きても、お地蔵さんは部屋にいた。私の寝顔を覗き込むようにして、ベッドの横に立っていた。
こうなると、いよいよ信じないわけにもいかない。
ベッドから下りて、床に膝をつき、お地蔵さんと向かい合った。
「あなたは、昨日のお地蔵さんよね」
お地蔵さんの首と頭に巻かれたマフラーは、私が昨日巻いたものだった。
彼はゆっくりと体を前に倒してから、姿勢を戻した。
「私の言葉が分かるの?」
驚いて尋ねると、彼は再び同じ動きをした。頷いているのだ!
「夢でも見てるみたい。だけど、どうして私のところに来たの?」
お地蔵さんはしばらく動きを止めていたが、ゆっくりと全身を前に傾け、私のほうへ頭頂部を向けた格好で停止した。
「よく倒れないね」
お地蔵さんの底は平らで、床と接しているのは前足の部分だけ。人間で例えるなら、つま先立ちして、さらに体を前に傾けた感じ? とても立っていられないはずだけど、お地蔵さんは倒れることなく、その姿勢をキープしている。
「うーん、何か伝えたいってことだよね」
彼は喋ることができないから、動きで私のところへ来た理由を伝えようとしてくれているのだろう。
「あ、分かったかも。頭がかゆいから、掻いてほしいんでしょ?」
彼は、体を激しく左右に振った。ちり、ちり、ちり、と鈴が鳴った。「違う」と言っているのだ。
彼は私のほうに体を傾け続けている。頭には私のマフラーが巻いてあって――、
「分かった! マフラーを返しに来てくれたのね?」
彼は、ちりーん、と一つ頷いた。正解だ。
「ありがとう。ここまで来るの、大変だったでしょ」
頭や首にぐるぐると巻かれたマフラーを外しながら言う。
絡まって取りにくい……。巻いた張本人は私なんだけどね。
「――よし! できた!」
無事にマフラーを取り外せた。お地蔵さんは傾けていた体を元に戻す。
「じゃあまたね」
マフラーを返しに来てくれたことに感謝しつつ手を振り、見送ろうとした。
だけど、彼はその場から動こうとしなかった。
「他にも何かお話がある、とか?」
お地蔵さんは頷いた。ちりーん、と鈴が鳴る。
話って何だろう。お地蔵さんは喋れないみたいだし、話の内容を聞き出すのは大変そうだ。
考え事は苦手だ。頭が痛くなる。
いい方法も思い浮かばないし、「はい」か「いいえ」の二択で答えられる質問をしまくることにしよう。
「元いた電柱のところへ運んでほしい?」
「お地蔵さんの仲間を探してほしい?」
「……お腹が空いて、ご飯が食べたい?」
どの質問にも、お地蔵さんは「いいえ」の反応を示した。
ダメ。もう思い浮かばないや。
「ちょっと待っててね」
こういうときはネットで調べよう。
スマホを手に取り、お地蔵さんについて検索する。
キーワードは、「地蔵 部屋に来る」にしてみた。
当たり前と言えばそうなんだけど、お地蔵さんが部屋に訪ねてくる実話なんかを書いたブログはなかった。
「――あれ、これって」
だけど、似たようなお話が、空想の物語としてならあった。
「『笠地蔵』か。似てると言えば似てるけど、違うところもあるよね。私がお地蔵さんにあげたのは笠じゃなくてマフラーだし、お話だとお地蔵さんは家に上がらないで、玄関先に色んな物を置いて行くだけだったみたいだし」
他の昔話にも目を通していると、一つの考えが頭に浮かんだ。
「もしかして、私の願い事を叶えてくれる、とか?」
昔話によくある、善行への恩返しというやつだ。
お地蔵さんは、ちりーん、と頷いた。正解だ!
「けど、願い事かー」
内々定がもらえますように?
巨万の富?
美人に生まれ変わりたい?
「願い事は一つだけ、だよね? どんな願い事でも大丈夫なの?」
お地蔵さんは頷いた。
マンガや小説でよくある展開だ。私も、羨ましいな~、なんて思ったこともある。だけど、いざこうして「お主の願い事を一つだけ叶えてやろう」と言われても、あんまり嬉しくないのはなぜだろう。現実感がないから? お地蔵さんの話を信じていないから? うーん、どれも当たっていて間違っているような……。
ああ、そうか。――私は、恐いんだ。
今の奇想天外な状況がうまく呑み込めず、現実味がなくて、お地蔵さんの話に何か裏があるんじゃないかって疑っていて、それで嬉しいと思えないんだ。恐がってるんだ。
だけど、と私はお地蔵さんを見つめる。
彼はとても可愛らしい見た目をしていて、悪い存在には見えない。
私の直感は、彼のことを信じても大丈夫、と告げている。
「……ほんと、どうかしてる」
就活で落とされ続け、誰かを信じることに臆病になっている。
自分の直感さえ信じられないほどに自信をなくしていた。
「決めた!」
背筋を伸ばして、お地蔵さんと向かい合う。
「お地蔵さん、私の話し相手になってほしいの。……私、最近うまく人のことを信じられなくなっちゃって。それに、どんどん悪いことばかり考えるようになって……。家に帰っても一人きりで、気分が落ち込むばかりなの。家にいて、こうしてお話を聞いてくれるだけで構わないの! その、お地蔵さんにとったら、私のつまらない話を聞くのは嫌かもしれないけど……」
お地蔵さんは体を横に振った。
「そう、……本当にありがとう。もちろんずっとここにいてほしいなんて言わない。お地蔵さんにはお地蔵さんの居場所があるだろうし、やりたいこともあるでしょ。私が立ち直るまでで構わないの。お地蔵さんが一緒にいてくれたら、私、きっと頑張れると思うから」
彼は、ちりーん、と頷いた。
こうして私はお地蔵さんと暮らし始めた。
就活で家を留守にするときもあったけど、家にいるときは彼とたくさんの話をした。
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