あの日、海岸にて

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第1話 かつての「私」と、内側の住民


--- プロローグ -------------------------------------------------------------------------------------------


 あの日、私は海を眺めていた。

 まだ年が明けたばかりだったが、非常に暖かな日だった。

 青く広大な海は、

 太陽の光を浴びて実に穏やかに揺らめいていた。


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 私は、海に囲まれた島で生まれ育った。

 たとえ、どこにいたとしても、

 島を覆う大海原を、いつでも簡単に眺めることができた。

 私の見る世界には、いつも海が在った。


 海を、私は巨大な墻壁(しょうへき)であると感じていた。

 私にとっての海は、

 私の在る世界の内側と、外側とを隔てる壁だったのである。


 私は、海の内側の世界を知っているが、

 海の外側の世界は知らない。


 外側の世界へ行くことは決して簡単なことではない。

 それは、物理的な意味でも、精神的な意味でもある。


 海を渡るだけでも一苦労なのだが、

 海の内側の世界を生きる住民にとって、

 海の外側の世界に渡った後には、

 安全基地のない、

 全く新しい未知の世界が待ち受けているのである。

 それは、決して楽なことではない。


 私は、海の向こうにある未知の世界を考えるたびに、

 巨大な砂漠の中に一人取り残されてしまっているような状況を想像した。


 私は、内側の世界にいる限り、

 世界のあらゆる存在を何一つ理解することのないまま、

 生涯を全うするのだろうと幼いながらに思った。


 それは、「世界を知りたい」という、

 極めて純粋な欲求をもつ者にとっては、

 悪夢以外の何ものでもなかった。


 そして、この欲求をもつ者は、

 あまり多くはいないようだった。


 内側の世界の住民は、

 「この世界でずっと生きていたい」

 という願いを大事に抱き締めているようだった。


 いつからか私は、内側の世界の人々は、

 幻想の中を生きているのだと思うようになっていた。


 内側の世界の人々は、

 世界の外側に目を向けることなく内側だけを見つめて、

 平穏と幸福の煙を吸って生きて死ぬ、

 そのような人生を疑うことなく、

 望んでさえいるように見えていた。


 それが、私には分からなかった。

 だから私は、外の世界へと飛び出したのだと思う。

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