第3話:出戻り兄さん

 午後5時前。校門をくぐった菜那ちゃんが、俺の車を見つけて微笑んだ。助手席に乗り込む前に、彼女はサイドミラーで自分の髪を確認する。前髪を整え、満足したのか、助手席のドアを開けた。


「おかえり」


「ただいまです」


「今日も生徒会?」


「はい」


 妹は生徒会の書記をしている。直接確かめたことはないけど、恐らく内申のため。あと、帰りを遅くして、夜勤明けの俺を少しでも長く寝かせてやろうという妹心。


「……なんか」


 アルコール臭に気付いたのか、小さく鼻を鳴らして、車内のニオイを嗅ぐ菜那ちゃん。


「……職場の人達と、残念会を開いたんだ」


「え!? 飲酒運転!?」


「いやいや、俺はノンアルしか呑んでないよ」


 流石にそこまで自棄にはなってない。今、運転免許までなくなったら、いよいよ再就職に不利すぎる。


「なら良かったです」


 胸を撫で下ろした様子。取り敢えず車を発進させた。


「後部座席……」


 妹が首だけ振り返って後部座席を見た。そこには2つのダンボール箱が。


「うん。簡単に詰めれた物からね」


 敗戦処理の続き。どうせ実家に帰るんだから、ついでに運べる物は運んでおこう、という話。ダンジョン油田のおかげで、ガソリン価格は相当安くなったとは言え、無駄遣いする余裕はない。


「やっぱ自動車関連かなぁ」


 廉価なガソリン供給が、車の売れ行きを伸ばしている。どこかが下がれば、どこかが上がる。富は概ね、シーソーのようなものか。


「再就職の話ですか?」


「うん」


「まだ兄さん21ですからね。異業種でもいけますよ」


 まあ異業種に行く以外、選択肢はそもそも無いワケだけど。


「そうだと良いなあ」


 フロントガラスの向こう。徐々にビルが疎らになり、田畑や木々が増えてきた。ウチの会社や、菜那ちゃんの学校があるのは都市部の方だが、少し車で走るとすぐにこうして田舎丸出しの風景が広がる。


「……」


「……」


「……その、さ。今更だけど、俺、家に戻っても良いのかな?」


「あ、当たり前です! あそこは兄さんの家でもあるんですから!」


 彼女にしては珍しい声量だった。そしてそんな自分の声にビックリしたように目を丸くして、それから力なく項垂れた。


「私が言う資格ないかも知れませんけど……」


 今度は真逆に、呟くような声量。けど俺の耳にも届いてしまった。


「……」


「……」


 嫌な沈黙が流れかけたところで、カーラジオを入れる。


『東京第3ダンジョンで快挙達成です。自衛隊のダンジョン特捜部隊が、新たに29階層の攻略に成功し……』


 ラジオを切って、音楽を流す。今はダンジョン関連の話題は聞きたくなかった。


「また……次の仕事が決まったら……」


 菜那ちゃんが歌の合間に言葉を挟んだ。独り言とも、俺に話しかけてるとも取れる微妙なニュアンス。俺は聞こえなかったフリをして、黙々と車を走らせる。


 彼女が飲み込んだセリフの続きは……

 またウチを出ていくんですか? だろうか。













 荷物を家の中に運び入れる。廊下を進み、突き当たりの階段を上る。古い家だが、よく手入れされてる。父さんたちも草葉の陰から喜んでくれてるに違いない。まあ俺は何もしてないから、菜那ちゃん1人の手柄だけど。


 俺の部屋も綺麗なままだ。ここも頻繁に掃除してくれてるんだろう。


「ありがとう。いつも綺麗にしててくれて」

 

 長期の休みに帰った時なんかも、キチンと伝えてるけど、改めて。妹は控え目に、だけど嬉しそうに笑った。


 衣類をテキパキと衣裳ケースにしまっていく菜那ちゃん。悪いけどあっちは任せておいて、俺の方はもう1つのダンボール箱を開けた。目覚まし時計やノートパソコンなどを順に取り出していく。


 作業は2人でやると、ものの1時間程度で済んでしまった。もう後、あの寮に残ってるのは食器や調理器具だけだ。


「ミニマリストって言うんでしたっけ?」


「いや、そこまでじゃないつもりだけど」


 ただウチの経済状況を思えば、余分な物など持てるハズもないというだけで。


「片付け終わったら、お父さんたちに……」


「あっ! そうだった。忘れてたな」


 連れ立って階段を降りる。仏間へ入ると、菜那ちゃんが少し離れた。俺は仏壇の前の座布団に座る。2つの位牌を前に、ゆっくりと瞑目した。頭を下げ、鼻の前で手を合わせる。


「ただいま。それと、ゴメン」


 仕事なくなっちゃった。でもさ。菜那ちゃんは守るから。何としてでも。


「……」


 1分ほど黙祷して、俺は目を開けて立ち上がる。後で線香もあげとこう。


「兄さん……今日は2日分の食糧を使って、兄さんの歓迎会をしようと思うんです」


 俺の黙祷が終わるのを待っていたのか、やや急いたような口調だ。或いは俺が今からでも寮に帰ると言い出さないか不安なのかも知れない。


「歓迎会かぁ。朝に送別会&残念会したばっかりなのにな」


「い、良いじゃないですか。ウチはウチ、他所は他所です」


 微妙に使い方が違う気もするけど、拗ねたような慌てたような妹が可愛くて、どうでもよくなる。


「今日、泊まっていきますよね?」


 これが血の繋がった妹でなければ、きっとドキッとしたんだろうな。


「うん。そう、だね」


「今から戻るのは危ないですよ。暗くなってきましたし」


「う、うん。じゃあお言葉に甘えて泊まろうかな」


 菜那ちゃんは嬉しそうに笑う。身内であり、見慣れたハズの俺でも思わず見惚れそうになる。美人ってすごいなあ。


 






 

 


 


 


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