第3話 締め切り当日

 2月1日――締め切り当日の朝4時3分。


「んーー雲海スープはやっぱうまいなぁ」

『じゃな。とても3分でできるとは思えんのう』

「確かに! ここにしか無いのが残念だよ」

『そうじゃな……ところで今日はどうするつもりじゃ?』

「んー。これまで頑張ってきたし、書くよ」

『そうか。応援しとるぞ』


 ついにこの日――締め切り当日――がやってきた。この3週間本当に幸せだった。だって、こんなに美味しいご飯を食べた事も、楽しい会話をした事も、何かに全力になった事も、誰かに認められた事もなかった。そして――



 こんなに悔しい思いをした事も。



「あとちょっとだったのに……」

『そうじゃな』


 俺はポロポロと涙を流して泣いた。こんなに泣いたのも人生で初めてだ。あとたった2万字だった。

 2万字、最初は途方もなく感じたであろうこの数字は今ならば多く見積もってあと4日もあれば達成できるだろう。でも……


 締切に間に合わせるのは不可能だった。

 胸の辺りがズキンと鳴る。


「俺必死に頑張ったのに」

『お主は頑張った。お主の生き生きとした姿かっこよかったぞ』



 干物女かみさまも俺の頑張りに触発されたのか、部屋の掃除をし、身だしなみを整え始めた。今ではゴミひとつない清潔感の溢れる部屋になっている。ボサボサだった黒髪も、神々しい煌めきを放っていて、もう干物女とは呼べない。神様にふさわしい風貌だった。




 2月1日――9時。


 俺はキリの良い所まで書き上げると、ゆっくりと筆を置いた。これ以上書いても中途半端で(いずれにせよ中途半端だが)終わってしまう。俺はこの3週間必死になって頑張った。もう十分じゃないか。最後にこんな想いができて良かった。今まで生きてきて良かった。



「神様ありがとう」

『なんじゃ改まって』

「こんな必死になれたのは神様のおかげです。最初は干物女が出てきてびっくりしたけど」

『おい』

「でも小説のコンテストに出せって言ってくれなかったら、俺、こんな幸せな想いできなかったから……神様、本当にありがとうございます。間に合わなくて、ごめんなさい」

『ニツキ……』


 深々と下げた頭をゆっくりと上げると神様の目は真っ赤になっていて、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。陽の光が反射し、頬を伝った軌跡がキラキラと輝いている。


 あぁ、この美しい光景を書きたかった。


 声が震えてしまわぬよう深呼吸をして気持ちを整える。


「残りの時間は、そうだな〜。今応募されてる先輩たちの作品を読んでみようかな。きっと面白いんだろうなぁ」


 そう言って、俺は小説が投稿されているサイトを見た。書く事に精一杯で、しっかり見た事はなかった。なるほどコンテストに応募してある作品がジャンル毎にランキング形式でずらりと並べられている。


「わぁすごいなぁ」


 面白そうなタイトルがたくさん目に飛び込んでくる。残された時間でどこまで読めるだろうか。ズキンッ……また少し胸が痛んだ。

 俺は未練がましくもコンテストの特設ページを開く。


 応募方法そこにはしっかりとと書かれていた。


 これに出たかった。

 大賞が取れるなんて思ってない、ただただ出たかった。

「うっ……」

 こんな時に限って涙腺が仕事をサボる。泣くな、泣くんじゃない。大丈夫、深呼吸だ。落ち着け、落ち着け……。


「ニツキ、本当によく頑張ったな」

「っ……」


 こぼれ落ちていくものをもう我慢することはできなかった。俺は嗚咽まじりの声を上げながら、子どものようにわんわん泣いた。

 悔しくて悔しくてどうしようもなかった。俺、生まれて初めてこんなにも努力して、こんなにも頑張ったんだよ。やっとこの先の人生でやりたいことが見えてきたんだよ。


 それなのにダメですか?

 僕はこのまま死にますか?

 ねぇ神様。もう本当に他に手はないですか?

 お願いです。何でもします。

 ダメですか……?


「神様……」


 すがるような想いで視線を上げようとしたその時――


 ぼやけた視界に一筋の光が差し込んだ。



 同時開催!

 Web小説短編賞



「ほへぇ?」

『どうしたのじゃ?』

「俺は小説のコンテストに出せれば良いんですよね?」

『そうじゃ』

「じゃぁ短編でもいいって事ですか?」

『まぁ······短編部門でもあれば良かったんじゃがな』

「これ……同時開催のとこ」

『なっなんじゃとっ‼︎ コンテストに出られるのか!』

「やったぁ! やったよ神様! これで俺」



 生き返れ――



「……」

『今度はなんじゃ!』



 



「1万字以内って書いてる。しかも完結した作品」

『……お主の作品は今』

「もう8万字。7万字オーバーしてる」


 無理だ。7万字も削った上に完結なんて、あと3時間弱で出来るわけがない。


「くそ……ここまで来たのに」

『まだ諦めるでない。きっと何かあるはずじゃ。何か……』



 何か――他に作品は、


じゃ……』

「……?」

『ニツキ! 日記じゃ!』

「……はい?」

『お主の日記じゃ! 今まで書いて来た日記を少しだけ小説風にアレンジして出すのじゃ!』

「いや、あれはただの日記ですよ?」

『違う。ここでの事はこの世の人間にとってファンタジーに等しい』

「ファンタジー?」

『そもそもお主、神と会話しとるのじゃぞ』

「あ……」



 そうだ俺にはこの日記がある。が!



 それからの俺は文字通り死ぬ気で書き殴った。タイトルは考える時間もなく、元々書いていた「ただの創作日記」の最後に『のはずだった』を付け加えた。それよりも文章だ。この日付毎に完結している文章の羅列を何としても1つの物語にしなければならない。


(あと最後にあの文章は消さないと)


 必死で筆を走らせること約3時間。気付けば締め切りまであと5分と迫っている。プロローグがまだだ。


「プロローグってないとだめなんですか?」


 そう呟いたものの神様からの返事はなかった。俺の死が近づき魂の維持が難しくなったのだろう。さっきから何やら祈りを捧げている。


「うわ!」


 よく見ると俺の体が光輝いている。そろそろしめきりが近い。俺は焦った。


 プロローグは必要なのか? 小説には絶対に入っているものなのか? コンテストには必要なのか? 募集要項にあるのか? 素人故の無知と、この状況での焦りが俺をギリギリまで追い込んでいた。


「えーい。もう超てきとうに書いてしまえ」


 俺は急ピッチでプロローグを仕上げた。

 読み返してみると、我ながらひどい。謝罪から始まるのはどう考えてもおかしい。もしかするとコンテスト始まって以来の混沌カオスなプロローグになってしまったかもしれない。


「まずいあと2分」


 通読の時間がない。誤字脱字はこの際良いとして、何か重大なミス、例えば募集要項に関わるようなミスがあったらどうしよう。ミスをしたら死んでしまうのだろうか?



「その時はその時だ!」



 俺は【】のボタンを押した。



 そして――




 2月1日――11時59分。


「ギリギリ間に合った……。神様、間に合ったよ!」

『ニツキよくやった! おめでとう!』

「ありがとうございます。神様のおかげです!」

『いや、お主自身の力じゃよ……おっと、そろそろ時間じゃな』

「え?」

『あと数秒もすれば、お主は生き返る。わしとはお別れじゃ』

「そんな……」

『お主、生き返るのが目標じゃろ。ここにはずっとおれんよ』

「だけど」

『大丈夫。わしは天界からお主のことをちゃんと見とるから』

「……」

『泣くでないニツキ』


 いつからこんなに泣き虫になったんだろう。俺は涙を拭いて神様をしっかりと見つめた。



「ちゃんと見ててくださいね! 今度は長編に出して、大賞をとって小説家になりま……なりま……」



 一番大事なことを忘れていた。


「あのさぁ」

『何じゃ?』

「天女は?」

『ん?』

「天女だよ! 最初それ目当てだったんだぞ!」

『あー。ぬ! もう時間じゃ。ニツキ達者でな……ホイッと』

「おい待て、この干物女!」



 突然目の前が真っ暗になり、の光景が視界に飛び込んできた。やはり消毒の匂いがきつい。それに加えて、今後は身体の節々がじんじんと痛む。



「ニツキ!」

「母さん……」

「ニツキ! 良かった……本当に良かった……」

「母さん、いきなりで悪いけど、やっとやりたい事が見つかったよ。俺、小説家になりたい。信じられないと思うけど、俺さっきまで……」





 ――完――


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