第23話 気持ちを抱いて
京都から鳥取まではJR特急のスーパーはくとで約三時間である。
在来線を使っても行けないことはないが、それだと約五時間もかかってしまう。ちなみに萌香が家出して鳥取から京都へやって来るときは、在来線で来たらしい。
午前十時頃に家を出た俺たちは、バスと電車を乗り継いで午後二時に鳥取駅に到着した。
移動時間はそれなりに長かったものの、特急の快適なシートのおかげでそこまでの疲労は感じなかった。
鳥取の天気は雲一つない快晴で、気温は京都ほど高くはないが、それでも電車を降りた瞬間にはそれなりの熱気を肌に感じた。
昼食は電車の中で済ませていたので、鳥取駅に着いた俺たちはさっそく観光をすることにした。
そうなるとやはり、欠かせないのは鳥取砂丘だろう。
ということで俺たちは、鳥取砂丘行きのバスに乗って鳥取砂丘を目指すことにした。
「約一ヶ月ぶりですけど、もはや懐かしさを覚えますね」
バス停でバスを待ちながら、萌香は鳥取駅の駅舎の方を見ながら感慨深そうに呟いた。
「実家はここからどれくらいなんだ?」
そういえば聞いていなかったので、尋ねてみた。
「電車で四十分くらいです。ガチの田舎です」
「そうか」
鳥取駅の周辺でも俺からしてみればすでに田舎という印象だったので、萌香の実家の周りが真の田舎であろうことは容易に想像することができた。
やがてバスがやって来ると、すぐに車内は満席になった。いかに鳥取砂丘が観光地として名を馳せているかが伺える。
鳥取砂丘までは二十分ほどで到着した。
バスを降りるとそこはもう完全に観光地といった雰囲気で、鳥取駅前とは比べ物にならないほど人で溢れていた。海が近いからか、風も強く感じられる。
「思ってたより人多いなぁ」
俺が呟くと、萌香は「こっちです」と得意げな顔をして腕を引っ張ってきた。
どこに連れて行かれるのかと思えば、萌香は俺の腕を引っ張りながら駐車場の端の方へと歩いて行くのだった。
「こっちからでも砂丘行けるのか?」
尋ねると、萌香は「もちろん」と言って頷いた。
「一応私も何度か来たことがあって、良い抜け道を知ってるんです」
「なるほど、それは頼りになる」
そうして萌香に連れられてやって来たのは、駐車場の端から砂丘方面へと伸びる小道だった。
「ここです」
小道に足を踏み入れると、そこからすでに足元には綺麗な白い砂が広がっていた。左右には背丈の低い草木が生い茂っており、時折前方を異様にでかいバッタらしき昆虫が飛び交っていた。
そして少し進むと行く手の小道が大きく開き、ついに砂丘がその姿を露わにした。
俺は目の前の広大な景色に、思わず息を呑んで立ち尽くす。周りには俺と萌香の二人しかいない。
「これが……鳥取砂丘」
自然と口からため息が漏れる。体に染みた汗は、海から吹きつける強風で直ちに乾いていった。
「私も相当久しぶりに来ましたけど、やっぱり綺麗ですね」
しばらく二人してその場所から景色を堪能していると、突然萌香が走り出した。
背負ったリュックを左右に揺らし、着ているワンピースの裾を大きくはためかせながら、萌香は颯爽と走って行く。
「圭太くーん! 早く来てくださーい!」
向こう側からこちらに振り向いて手を振ってくるその姿は、辺りに広がる白い砂も相まってか、とても眩しく見えた。
俺は全速力で走ることさえしなかったが、小走り気味に砂の坂を下っていった。
「童心に帰るってこういうことなのでしょうか」
萌香の元へ辿り着くと、笑顔でそんなことを言われた。
「そうだな。今日くらいはいいんじゃないか」
「はい!」
すると、萌香はすぐさまこちらに背を向けてまた走り出し、次は目の前にそびえる砂の山を登っていく。
萌香の着ているワンピースは比較的丈が長いのでまだいいものの、斜面が急なだけに下から見上げると色々と危ういものがあった。幸い辺りに人はいないので、特に注意はしなかった。
俺も萌香の後に続いて砂の山を登り、やがて頂上に着くと、目下には青くて広大な日本海が果てしなく広がっていた。砂丘に打ち寄せる波は太平洋側のそれよりも強いように見える。
俺たちは頂上のところで腰を下ろして、肩を寄せ合いながら海を眺めた。
「圭太くんは、奇跡って起きると思いますか?」
「奇跡……?」
何の脈略もなくそんなことを聞かれたので、俺は思わず首を傾げた。
「この砂丘ができたのだって、奇跡のようなものじゃないですか」
「まあ……」
この場所に砂丘が形成されたのは、あくまで自然的な要因が偶然重なったからであって、それを奇跡と呼ぶのかどうかは正直何とも言えないところだろう。だがここで萌香の意見を否定するのは野暮な気がしたので、特に何も反論はしない。
「私は奇跡を信じます」
「そうだな、俺も信じる」
萌香の言わんとしていることはわかっていた。
つまり明日、俺たちは奇跡に近い何かを起こそうとしているのだ。
「もうすでに奇跡は起こっているようなもんだけどな」
俺はなんとなくそう言った。
「どういうことですか?」
不思議そうにこちらを見上げてくる萌香を横目に、俺は少しの間を置いてから答える。
「俺たちがこうして出会えたことが、もはや奇跡だってことだ」
言うと、萌香がぷっと笑った。
「臭いですね」
「せっかくいい感じで締め括ったのに、もうちょっとそれらしい反応はないのかよ」
「しょうがないです。臭いと思ってしまったことは事実ですから」
「大体奇跡がどうのこうのって話を振ったのはそっちだろうが」
「それもそうですね」
萌香は楽しそうに笑っていた。
目下に広がる海は、どんな思いも寛大に受け入れてくれるように思えた。
鳥取砂丘の景色に浸った後、俺たちは鳥取城を見物してから鳥取駅に戻り、予約していたホテルのチェックインを済ませた。
夜ご飯は鳥取駅の近くにあった定食屋に入り、現地直送の海鮮が使われている定食を食べた。
それから俺たちはホテルに戻り、明日に備えて支度を整える。支度と言っても、それはほとんどお互いそれぞれ明日の段取りを頭の中で確認し、気持ちを平常に落ち着かせるというものだった。
やがてやることが何もなくなったので、俺たちは早くも二十一時頃にはベッドに入って寝る体勢に入った。
ちなみに今回取ったホテルのベッドはダブルベッドなので、自宅のシングルベッドで二人横になるよりは随分と余裕があった。
電気を消し、さあ夢の中へ……といきたいところだったが、そんな簡単に寝付けるはずもなく、俺たちは時折体を右に左に動かしながら、もどかしい時間を過ごした。
すると痺れを切らした萌香が突然体を起こした。
「寝れない!」
萌香の声に、俺は思わず身震いした。
「とりあえず今は目を閉じているしかないだろ。あれこれ考えてもしょうがない」
俺が言うと、なぜか萌香はこちらに体を近づけてきた。
「急で申し訳ないんですけど、ちょっと抱きしめてもらってもいいですか?」
「は?」
あまりに唐突なことだったので、開いた口が塞がらなかった。
「だから、抱きしめてって言ってるんです」
「なんで」
問うと、萌香はしばらく黙り込んでから口を開く。
「そんなの、理由はなんだっていいじゃないですか……」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんなんですよ、きっと」
「えぇ……」
この状況には、さすがに俺も戸惑うしかない。もしかしてこれが深夜テンションというやつなのだろうか。でもそれにしては時刻が早い。
「不安とか恐怖とか寂しさとか、いろんな感情がごっちゃになってて、今の自分を制御できないんです。だから……」
萌香は必死に言葉を紡ぎ出そうとしている。
こうなると俺もただ黙っているわけにはいかなかった。
「わかったよ」
これ以上、萌香には何も言わせなかった。
俺は体を起こして萌香の方を向き、そっと背中に腕を回してその小さな体を抱き寄せた。そうすると、萌香の体温や感触が確かに肌を通して伝わってくる。ほのかにリンスの甘い香りが鼻をつついてきて、自分の腕の中に萌香がいることを実感する。
「……これでいいのか?」
「……はい」
それから俺たちは十秒間ほど抱き合った。
やがて俺が萌香の体を引き離そうとすると、萌香はそれを拒むように俺の方へと体重を乗せてきた。
「……もうちょっと」
仕方なく、俺は解きかけた腕を再び萌香の背中に回した。
そして再度、十秒間ほど抱き合った。
今度こそお互いの体を引き離すと、俺たちはベッドの上で向き合った。
目の前にいる萌香の表情はよく見えないが、顔を俯かせていることだけはわかった。
「これでよかったのか?」
尋ねると、萌香はコクリと小さく頷いた。
「もう寝れる?」
「はい」
剥がされたシーツを元に戻し、二人して再び寝る体勢に入る。
それから俺たちはそっと目を閉じた。
俺の体には、萌香の体温が確かに残っていた。
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