第22話 出発前夜

 その日の夜も、俺と萌香は同じベッドに入って眠りにつこうとしていた。


 二人して仰向けになり、豆電球でうっすら見える天井をただただ眺めている。


 しかしその日は、俺も萌香も一向に寝つける気配がない。


 その理由は明白だった。


 「……ついに明日ですね」

 「……ああ」


 萌香の呟きに、俺は相槌を打った。


 ……そう。ついに明日、萌香の実家がある鳥取に赴くのだ。


 行くと決めてから今までの期間、一応それなりに心の準備はしてきたはずだったのだが、いざ目前となるとその緊張感はどうしても拭いきれなかった。


 「でもまあ、とりあえず明日は観光だし、楽しむことを考えよう」

 「そうですね。明るくいきましょう」


 そう言う萌香の声は一見明るく聞こえるが、どこか不安を孕んでいるようにも思えた。


 今のところ予定では、明日は鳥取を観光してホテルに泊まり、その翌日に萌香の実家に行くということになっている。別にわざわざ観光する必要はないのだが、目的が実家だけではどうしても気が乗らなかった。俺としては鳥取に行ったことは一度もないので、少なからず楽しみではあった。


 ……とは言ってもやはり、お互い不安な気持ちはあるわけで、今日に限っては俺も萌香も心なしか口数が少なかった。


 だからせめて、お互い不安な気持ちを一人で抱え込むことはせず、ちゃんと共有することだけは意識していた。


 「もう今更、思い悩んでもしょうがないですよね」

 「そうだな。ありのままの俺たちで行こう」

 「はい」


 こんなような会話を、今日だけで一体何度しただろうか。それほど俺たちの不安は増大していた。


 それでも時間は刻一刻と過ぎ去ってゆく。


 俺たちがベッドに入ってから、体感ではすでに十五分ほどが経過していた。


 「……それにしてもこの約一ヶ月ちょっとの間、本当に色々なことがありましたね」

 「どうした急に。そのまるでもう終わるみたいな言い方」

 「いや、そういうつもりはないんですけど。振り返ってみると感慨深くて」

 「感慨深いねぇ……」


 萌香にそう言われ、俺はふと今までのことを頭の中で振り返ってみた。


 そうするとまず真っ先に、萌香がゴミ箱の中でうずくまっていた光景が目に浮かんでくる。そのあまりに滑稽な姿に、思わず鼻で笑ってしまった。


 「……今絶対、ゴミ箱に入っていた私のことを思い出しましたね?」


 萌香は鋭かった。


 「だってあんな場面、後にも先にもないだろ。一生忘れられないな」

 「私からしたら一生の汚点ですよ」


 萌香は自嘲気味にそう言った。


 「でも結局はあれが全ての始まりだったわけで、今となっちゃ俺はそんな奇行に走った萌香に感謝さえしてる」

 「どうしてそうなるんですか。圭太くんって、たまに変なこと言い出しますよね」

 「まあそうだな、たしかに俺は変なのかもしれない。でも感謝しているのは本当だ。萌香に出会ってから、俺の人生は間違いなく豊かになったから」

 「そうですか。では感謝されましょう」

 「おう」


 暗くて顔ははっきりと見えないが、確かに萌香が嬉しがっているということはその声と雰囲気で伝わって来ていた。


 「私は特に、あの日の夜に食べたカップラーメンの美味しさが忘れられません」

 「あー、そういえば食べさせたな」

 「それであの後、銭湯に連れて行ってもらいました」

 「うん」

 「おっぱいを揉む私に、圭太くんは発情していました」

 「……ん? なんの話だ?」


 俺はとぼけて見せたが、もちろんそのことは記憶に焼き付いている。そして当時の俺は、萌香のことをとんでもビッチだと思っていたのだった。


 「本当は覚えているくせに」

 「……このクソビッチめ」

 「だから私は処女ですよ?」

 「…………」


 相変わらず、萌香は言葉がストレートだ。


 すると萌香はここでプッと小さく吹き出して笑ってきた。


 「本当におかしいです。こういう圭太くんとの馬鹿馬鹿しい会話、私は好きですよ」


 その言葉に、俺も思わず笑ってしまう。


 「たしかに俺も嫌いじゃない」

 「生産性のない会話は嫌いって言ってたじゃないですか」

 「なんだよその、いかにもモテなさそうな痛い考え方は」

 「紛れもなく圭太くんが言っていたことですよ?」

 「じゃあ撤回」

 「はいはい」


 過去の自分を顧みて思わず呆れてしまった。


 ……いやでも、もしかしたらその考え自体は変わっていないのかもしれない。結局のところ、相手が萌香であることが重要な気がする。そう思うと、やはり萌香には感謝しかなかった。


 「ありがとな、萌香。こんな俺を受け入れてくれて」


 自然と口からそんな言葉が漏れた。


 「こちらこそですよ。こんな私を受け入れてくれて、本当にありがとうございます」

 「これからもよろしく頼む」

 「はい、頼まれました。もちろん喜んで」


 それから俺たちはおやすみを言い合った。


 案外、朝が来るまではあっという間だった。

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