第16話 相談と決心

 母が週末に家へやって来るという事実を知らされ、俺と萌香はすぐさまその週末をどう乗り切るかについて話し合った。


 なんとか導き出した結論としては、二人が同棲しているという事実は隠し通そうということになった。実際のところ、同棲している事実を隠し通すことはそんなに難しい話ではない。母が家に来ている間、萌香に外出していてもらえばいいのだ。萌香もそのことについては理解を示してくれていたので話は早かった。


 萌香の顔色が良くなかったことだけが気がかりだったが、そうなるのも無理はない。萌香としてはやはり俺の両親に無断でこの家に住まわせてもらっていることについて、少なからず罪悪感を抱いているのだろう。俺がすべきことは、萌香がそういった罪悪感をなるべく抱かないよう気を配ることだろう。


 その日はそれで終わった。


 ————そして翌日。


 今日は萌香のバイトの研修がある日だ。その日は俺もたまたまシフトが入っており、俺のシフトが十六時からで、萌香の研修が十三時からだった。


 俺は萌香に少し遅れてから家を出てバイト先のカラオケ店へと向かう。


 向かっている最中、研修を終えた萌香とちょうどすれ違った。どうやら研修は二時間半ほどで終わったようだった。


 その日は同僚の池田くんもシフトに入っており、休憩の時間がたまたま被ったので少しばかり話をする機会があった。


 「そういえば、ついさっき女の子が一人研修に来てたんだけど、圭太の紹介なんだって?」


 二人きりの休憩室で、池田くんはそんなことを言ってきた。


 「なんで知ってるんだよ」

 「その子が言ってたんだよ、圭太の紹介だって。一通りスタッフに挨拶して回ってたから、その時にね」

 「そういうことか……」


 てっきり俺が萌香を紹介したことを知っているのは社員さんだけかと思っていたが、萌香自身がスタッフに俺の紹介だと言ってしまったらしい。だからと言ってなにかあるわけでもないのだが、特段池田くんに関してはそのことを知って余計なことをツッコんできそうな予感しかしない。


 「それでそれで、どういう関係なのさ? ええ?」


 案の定、池田くんは顔をニヤつかせてながらそう尋ねてきた。俺はついため息を漏らす。


 「親戚だよ。この近くに住んでて、バイトを探してるって言うから紹介した」


 俺は当然のように嘘をついた。まさか同棲しているなんて言えるわけがない。


 「親戚? 本当かなぁ? だって圭太、実家は愛知でしょ?」

 「……きょ、京都にたまたま親戚がいるんだよ」

 「へぇ……」


 池田くんは疑っているようだった。俺は池田くんから目を逸らしつつ、お茶を口に含む。


 「つかぬことを聞くけどさ、もしかして一緒に住んでたりする?」

 「ぶほッ……!」


 あまりに的を得ている池田くんの発言に、俺は口に含んだお茶を吹き出しそうになった。


 「な、なんでそうなるんだよ!」

 「いやまあ、なんとなく?」

 「なんとなくでそういう発想になるか!」

 「……じゃあ一つ、そういう発想に至った根拠を教えよう」

 「根拠……?」


 池田くんが何を言おうとしているのかさっぱり見当がつかない。根拠も何も、池田くんと萌香はついさっき初めて顔を合わせたばかりだ。どこからどんな根拠を仕入れたというのだろうか。


 「匂い」

 「は……?」


 何を言い出すのかと思ったら、池田くんの口から発せられたのはたった二文字の言葉だった。俺は思わず目を丸くする。


 「もっと正確に言えば、柔軟剤の匂い」

 「……どういうことだよ」


 俺はまるで理解できていないかのように言ったが、実際のところ池田くんが言わんとしていることはもうすでになんとなく理解していた。恐ろしい推察力だ。


 「簡単さ。つまり、圭太とその子から発せられる柔軟剤の匂いが完全に一致していたんだよ。気がついていないかもしれないけど、圭太の柔軟剤の匂いは結構鼻に残るからね。大丈夫、別に嫌な匂いとかそういうわけじゃない。むしろ自分はその匂い好きだよ」

 「…………」


 正直引いた。たかが柔軟剤の匂いで同棲していることを見抜く池田くんはエスパーか何かなのだろうか。


 「柔軟剤の匂いが同じ。これはつまり一緒に暮らしているからじゃないの? たまたま柔軟剤が被ってたのかな?」

 「くっ……」


 俺は完全に追い詰められていた。


 しかし実際のところ、ここで誤魔化すことはいくらでもできる。ただ否定し続ければいいだけだ。難しいことではない。


 ————でもどうしてだろう。


 同棲していることを打ち明けてしまおうか悩んでいる自分がいる。


 というのも、俺だって正直なところこのことを誰かに相談したかった。この問題を一人で抱え続けるのはあまりにも荷が重い。それに一人で抱え込んでいたらいつかどこかのタイミングで誤った方向に進んでしまう可能性だってあるような気がする。だったら誰かと問題を共有しておいた方が、俺のためにも、萌香のためにもなるのかもしれない。俺の中にはそういう思いがあった。


 ……俺は考えた末に、決心する。


 「……わかった、本当のことを言うよ」

 「そうこなくっちゃ。言ってみ言ってみ」


 期待の眼差しを向けてくる池田くんに対して、俺は真実を打ち明ける。


 「俺はその子と同棲してる」


 真実を知った池田くんは、ですよねと言った感じで案外驚きを見せなかった。さすがと言えばさすがなのかもしれない。少なくとも、変に騒ぎ立てるということはなかった。


 それから俺は、池田くんに萌香のことを話した。


 ゴミ箱での出会いから、今までのことまで全て————。


 池田くんはいたって冷静に、時折ツッコミも入れながらその全てを親身になって聞いてくれた。


 やがて一通り話し終えると、池田くんは背伸びをしながら「なるほどなるほど」と言って一つ息を吐いた。


 「なんて言うか、圭太はお人好しだね」

 「しょうがないだろ、あの状況で見捨てることはできなかった」

 「そうかいそうかい。えっと、なんだっけ……萌香ちゃんか。萌香ちゃんも、圭太に拾ってもらって幸せ者だね。これが圭太じゃなければ、今頃おじさんたちの餌だよ」

 「それに関しては……そうかもしれない」

 「とはいっても、圭太だって全くヤル気が湧かないわけではないんだろ?」

 「それは……」


 こればっかりは言葉に詰まる。


 たしかに萌香は魅力的な女の子だ。そういう気持ちが全く湧かないと言ったらそれは嘘になる。でも……。


 「そういう気持ちもなくはないけど、そういうことをしたら関係が崩壊する。それだけは避けたい」


 俺が言うと、池田くんはなぜかニヤついた。


 「なるほどねぇ。つまり圭太は、今後も萌香ちゃんと良い関係を築いていきたいと思ってるんだ。随分と惚れてるんだね」

 「惚れてるとかそういうのじゃ……」


 ……いや、もしかしたら池田くんの言う通り、俺は萌香に惚れているのかもしれない。少なくとも、これからも一緒にいたいと思っている。こういう気持ちはなんと表現すればいいのだろうか。


 「なんでもいいけどさ。でも、圭太の親は同棲していること知らないんでしょ?」

 「うん、まあ……」

 「それはどうなんだろうね。本当に今後も同棲を続けていきたいと思うんなら、親にはそのこと言った方がいいんじゃない? 萌香ちゃんのことをまだ十八の圭太が全て抱え切るのは、さすがに無理があると思う」

 「それはそうだけど……」


 池田くんの言っていることは正しい。だが、同棲していることを親が知ったらどう思うだろう? そもそも未成年を家に泊めていると言う時点で、法律的に怪しいところがある。そんなことを親が快く許してくれるとは到底思えない。


 「多分このままだと、圭太と萌香ちゃんの関係はいつか破綻するような気がする。だって所詮は十八と十六のガキだよ? そんな簡単にことが進むわけない。少しは大人の力も必要だと思う」


 池田くんからそう言われ、俺はハッとさせられた。


 「……それもそうだな。俺は現実から目を背けようとしてたみたいだ」


 するとここで、池田くんの休憩時間終了を告げるタイマーが鳴った。池田くんはおもむろに席を立つ。


 「じゃあ自分は戻るよ。まあ、上手いことやりな。大抵のことはなんとかなるさ。ゴミ箱にいた女の子を拾うくらいの行動力が、圭太にはあるんだしねっ」

 「うるせぇ」

 「事実でしょ? それじゃあ」


 池田くんは意地の悪い笑みを浮かべながらそう言い、颯爽と休憩室を後にしていった。


 一人残された俺は考える。


 今後萌香と関係を築いていくためには、どうしていくのが最善なのか。


 ————そして俺は、一つの結論を出したのだった。

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