第11話 夢
頼まれた撮影も終わるべくして終わり、萌香はその後ベッドに座りながらタブレットにペンを走らせていた。萌香が実際にイラストを描いている姿を見るのは、これが初めてのことだった。
器用に画面を操作しながら描くその姿は、もう完全にその世界に入り込んでいるようで、俺がそこに割り込む余地はまるでない。
俺はしばらく適当に文庫本を読みながら時間を過ごしていた。
結局萌香がタブレットから目を離したのは、撮影から小一時間ほどが経った頃だった。
「できました!」
萌香は嬉しそうにそう言うと、俺にタブレットの画面を向けてきた。
そこにはさっき撮影した萌香の女の子座りとそっくりなポーズをした美少女のイラストが描かれている。その出来栄えは目を見張るものがあり、ツイッターのタイムラインに流れてくる美少女イラストと遜色ないように見えた。
「うっま」
俺が誉めると、萌香ははにかんだ。
「ありがとうございます。やっぱり実際の人間をモデルに描くのが一番ですね。これは我ながらに傑作かもしれません」
そして萌香はしばらくの間、自分の描いたそのイラストをじっくりと眺めていた。
「萌香の言うイラストっていうのは、そういうアニメチックな感じのやつなんだな」
俺はそういう類のイラストについて特段詳しいわけではないが、少なくとも萌香のイラストは素人目でもうまいとわかるほどだ。
「そうですね。可愛いキャラを描くことが大好きなんです!」
俺はてっきりそういう可愛い女の子のイラストは男が描くものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。萌香のような若い女の子がそういったイラストを好き好んで描いていると思うと、これまた感慨深いものがある。
「なにか可愛いキャラを描きたいと思うきっかけでもあったのか?」
ふと気になったので尋ねてみた。
「そうですね……一つには兄の影響があります」
兄……? まず萌香にお兄さんがいるということ自体初耳だった。そしてなにより、これだとお兄さんはそういう美少女キャラが好きということになるわけだが、許嫁を用意するような威厳ある家に、そういうお兄さんのキャラはあまりにも似合わない気がする。
「もしかしてお兄さんはオタクだったり?」
尋ねてみると、萌香は首を横に振った。
「オタクではありませんよ。いたって普通の人です。でも男の子にはあるじゃないですか、そういうものに興味が湧く時期が」
「まあたしかに、可愛い女の子には世の男子の誰もが憧れる」
「そうです。それでうちの兄にもそんな時期があったようで、中学生の頃、兄の部屋に行ったら一冊の本を見つけたんです」
「本……?」
「はい。タイトルは『トモダチキス』というものでした。いわゆる百合ってやつですね」
「お、おぅ……」
さぞかしお兄さんはその本を見つけられた時、死にたくなっただろうに……。
「その本を見つけた時は、さすがの私もドン引きしましたしたけど、なんとなく興味をそそられたんでこっそり自室に持ち帰って読んでみたんです」
どうやらお兄さんはその本が妹に見つかったことを知らないらしい。知らなくてもいい事実があるとはまさにこのこと。萌香も兄と気まずい空気にならないように気を遣ったのだろう。
「それで、読んでみてどうだったんだ?」
「それがどハマりですよ! なんといっても、女の子のイラストがめちゃくちゃ可愛くて、初めて女の子に惚れました!」
「そりゃまた、ある意味運命的だな」
「……でもやっぱり、女の子がそういうのを読むというのは少なからず背徳感があって、最初は自分で自分の欲求を制御していたんです」
たしかにそうなってしまうのも無理はないかもしれない。だってそれはつまり、俺がボーイズラブを読んでニヤついているのと同じようなものなのだ。
「でも中学の修学旅行の時です。私たちの班は自由行動の時間に秋葉原に行ったんですけど、そこでとあるイラストレーターがサイン会をやっていたんです。そのイラストレーターはとても綺麗な女性の方だったんですが、描いているイラストは美少女もので、私はその事実を知ってとても衝撃を受けました。あんなに綺麗な女の人が美少女のイラストを描いているんだって」
「なるほどな。それで触発されて、萌香も美少女のイラストを描くようになったってわけか」
「そういうことです。もともと絵を描くのは好きだったんですけど、それからというもの、私は可愛い女の子を描くことに全てを捧げるようになりました。このタブレットも、アルバイトでお金を貯めてなんとか買ったものです」
どうやら萌香は想像していた以上に美少女キャラを描くことに情熱を滾らせているらしい。でもそれはとても素晴らしいことのような気がする。何かに夢中になれることほど、幸せなことはない。
「じゃああれか、萌香としては例えばライトノベルの挿絵を描くとか、そういう風になるのが目標なわけか」
萌香はコクコクに頷いた。
「ですです! 自分の担当作がアニメ化なんてされようものなら、もう死ねます!」
「たしかにそれは死ねるな」
これでも俺だってその手の文化にはある程度の理解がある。オタクと名乗れるほどではないが、人並みかそれ以上にアニメは見るし、一般文芸と並行してライトノベルもたまに読む。なので本棚にも実家から持ってきた諸々の本が並んでいる。
俺はふと本棚から一冊のライトノベルを手に取り、挿絵のページを開いて萌香に見せた。
「これとか超エモくない?」
そのイラストは一巻完結のライトノベルのもので、海岸の無人駅にヒロインが佇んでいるという絵面なのだが、俺は特にそのイラストで描かれている背景の海が好きで気に入っていた。
萌香はそのイラストを見ると、またしてもコクコクと頷いた。
「たしかに素晴らしいイラストですね。特に背景がすごいです」
「わかってるじゃないか」
「でも、私の好みではありません」
萌香はそう言うと本棚をざっと見て一冊のライトノベルを手に取り、挿絵のページを開いて俺に見せてきた。
「こういうのですよ! 私が好きなのは!」
そのライトノベルはタイトル的にも明らかに萌えを売りにしているもので、挿絵のイラストは少女が服を剥がされた状態でベッドに押し倒されているという絵面だった。
俺はどちらかと言えばさっきのようなノスタルジックなイラストの方が好みなのだが、こういうエロティックなイラストだってもちろん嫌いではない。ていうかそもそも、そのライトノベルを買ったのは俺だし。
「つまり萌香は、いかがわしい美少女のイラストが好きなんだな?」
「いかがわしいっていうのはちょっと語弊があります。美少女の可愛らしさを最大限引き出そうと思ったら、いかがわしくなってしまうことがあるんです」
「……そ、そうなのか」
正直萌香の言わんとしていることはあまり理解できなかったが、ここはつべこべ言わずに頷いておく。
「なにがともあれ、こうやって好きなことを見つけて情熱を注いでいる萌香はかっこいいと思う。少なくとも、俺はもうすでに萌香のファンだ」
俺が言うと、萌香ははにかんだ。
「ありがとうございます。こうなったら、夢は大きくコミケの壁サークルですね!」
「お、おう……! 頑張れ……!」
コミケの壁サークル? ちょっと何を言ってるかわからなかったが、とりあえず萌香が楽しそうだったので何もツッコまないおく。
これから先も、夢を追い続ける萌香を側で見守っていきたいと、そうつくづく感じさせられた夜だった。
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