20「Sense Of Distrust」

 レロワ・シュルツ・マルティネス。ドイツとの国境沿い、ストラスブールに構える東部教会の主で、元総司祭。娘のアデル・マルティネスを聖女に輩出した。

 ミドルネームからも判るように、ドイツとの縁が深く、今でもドイツの教会とは一定のパイプを有する。

 アデルが聖女の資格を剥奪されたことで、総司祭の座を失脚した。そして、東部教会のトップの座も追われた。肩身は狭くなったが、今でも教会の上級職に就き、常駐しているのは、隣国とのパイプの賜物だ。

 その元総司祭が死去した……?

「ブリーシュ水門に、死体が引っ掛かっていたらしいわ」

とアリシアは言う。パリ北部の19区、ラ・ヴィレット付近を起点とするセーヌ川支流、サン・ドニ運河の、セーヌ川との合流地点の水門のことだ。

「ブリーシュ?サン・ドニか」

と言ったアルスが思っていることを読めているかのように、アリシアは言葉を重ねる。

「……マルティネスは何故、サン・ドニに行ったの?」

「失脚に不服なら、行き先はダンケルクだよな……。ただ、もう半年以上が経ってる。今更過ぎるが」

「シャンゼリゼか、あの施設に突撃したか……」

とアリシアは言う。世界一美しい通りと称されるシャンゼリゼ通りの界隈に、中央教会が有る。

「その結果死体になった、と……」

と言ったアルスに、2人の目が向く。

 「……仮に殺されたとしても、フリュクティドール家が殺す理由は無いわよ?」

「確かにな」

とアルスは言った。あの一家が殺す理由は見当たらない。

 ……フランスから爆弾を落とされた感覚がする。しかし、2人に黙っているワケにはいかない。問いたいことは有ったが、今は後回しでいい。

 「そろそろ移動しないと。また夜話す」

と言って通話を切ったと同時に、セバスが

「元総司祭が死んだのか!?」

と問う。

「サン・ドニで、水死体で発見された」

「マルティネス家が何故……」

と言ったプリィに、アルスはストレートに言葉を放った。

 「……フリュクティドール家に、マルティネスを殺めるべき理由が有る」

「私の一家が犯人だと言うの!?」

と、反射的に言葉を被せたプリィは、怒り心頭だ。しかし、アルスの意図は違う。

「それが犯人の狙いだ。サン・ドニから最も近い中央教会が、殺害に関与している。真偽は別として、そう思わせることがな」

 「何故そうする必要が有る?」

とセバスが問う。

「関与を理由にフリュクティドール家に捜索が入れば、次第によっては当局に一家の秘密まで知られることになる。クローンのオリジナルと云う情報もな。それが切り口となり、聖女の秘密に到達すれば、メスィドール家は終わる」

そのアルスの言葉に、プリィは言葉を失う。殺害が一種の罠だとは、想像だにしなかった。

 「だが、そうしても一度失脚した聖女の座に、同一人物が返り咲くことはできない」

「姉妹がいるなら話は別だろ?いるのかは知らんが」

と、アルスはセバスに言葉を被せる。姉妹、その言葉に軽く頭を殴られたような感覚がしたプリィは、軽く深呼吸して言った。

「……1人いるわ。マルグリット・ヴァーグナー・マルティネス」

 「マルグリット?」

とセバスは問う。初耳のようだ。

「数年前に養女として、ドイツ西部、シュトゥットガルトの孤児院から引き取られてるわ。戸籍上は、アデルの姉よ」

とプリィが答える。

 本来の名はマルガレーテ・ヴァーグナー。ストラスブールへ移ったと同時にフランス語のマルグリットに改められ、マルティネスが名字として与えられた。修道女として過ごしていたが、聖女に就任したのはアデルの方だった。

 「マルグリットを聖女にすることで、総司祭に返り咲く気だったか?」

「可能性としてはゼロじゃないだろう」

とセバスが答えると、再度スマートフォンが音を立てる。今度は短い。

 「鎮魂の儀、正午から。日本でも同時に」

アリシアからのメッセージには、そう書かれていた。日本だと19時か。

「……19時、シブヤか」

とアルスは呟き、ルナへのメッセージ画面を開いた。


 「元総司祭が、逝去したようです」

と言ったセブの声に、漸く落ち着きを取り戻したアリスの顔が、再び戦慄に満ちていく。

 聖女のために宛がわれた個室の椅子に座りながら、ダンケルクからの一報に眉間に皺を寄せる。

 この件は、既に日本の司祭にも伝わっているだろう。マルティネスの死に対する鎮魂の儀を、今夜このトーキョーで執り行うことは、アリスがこの場にいる以上明白だ。

 ……元総司祭のことなど、アリスにとってはどうでもよい。面識も無いからだ。しかし、教団としては大々的に弔う必要が有る。逆に、メスィドール家との関わりしか持たないミヤキの死は、教団からすればどうでもよいことなのだ。

 ミヤキの死を悲しむ暇など無い。気丈に振る舞わなければならない。それが唯一、聖女として果たすべきこと。

「総司祭は、日本時間19時から鎮魂の議を執り行うと発表しました」

とセブが言うと、アリスは

「判ったわ。準備を始めて」

とだけ言った。

 ……今回、儀を取り仕切るのは大聖堂にいる総司祭。時を同じくして、日本ではアリスが執り行う。そして、その様子を全世界へライブ配信する。やはり、そうなったか。

 マルティネスのための原稿を仕立てなければ。今の彼女に、元総司祭を弔うのに相応しい言葉は見つけられないのだ。

 アリスがタブレットを開くと、一度退室したセブがノックせずドアを開けた。

「聖女アリス!」

その焦燥感に満ちた声と表情に、アリスは

「何事です!?」

と声を上げる。

 「……エルンストがいません」

「いな……!?」

「連絡も通じません」

その言葉に、アリスの目は怒りに満ちていく。

「大至急、エルンストの身柄を確保しなさい!!」

「はい!」

セブは命じられたままに、再度部屋を飛び出す。

 「そもそも、何故同行を命じたの……?」

とアリスは言った。それは初めて抱く、総司祭への不信感だった。


 エルンスト・ギョーム。ドイツ西部のケルンで生まれ育ち、かつては東部教会で活動していた司祭の1人。仕えていたマルティネス家がダンケルクを去った後、レロワの推薦も有ってメスィドール家に仕える形で、大聖堂に残った。

 20代終盤と若いが、司祭としての評価は高い。そして、10代のアリスとセブの補佐として、日本に同行することになった。それは本人の強い希望だった。

 不安は有ったが、総司祭に押し切られた。それがまさか、こう云う形で現実のものになるとは。

 ……最高位の立場なのに、実態は総司祭の傀儡でしかない。血の旅団信者が言ったように、教会と云う檻に囚われているだけの象徴でしかないのか。ならば聖女とは、何なのか。

 アリス・メスィドールにとって禁断の問いが、胸に突き刺さった。


 「元総司祭殺害。19時、シブヤで鎮魂の儀」

と書かれたアルスからのメッセージに、流雫はオッドアイの目を見開く。その様子を見逃さなかった女子高生2人は

「流雫?」

「元総司祭が殺害された……」

と同時に反応した。

「19時、渋谷で儀式らしい」

と言った流雫の答えは、既に決まっていた。

 「……澪と伏見さんで行くといいよ。僕は残る」

「え?」

と澪が声を上げる。

 「プリィとセバスは行くワケにはいかない。でも2人を置き去りにはできない。伏見さんは信者だし、澪なら聖女も受け入れると思う」

そう言った流雫に、詩応は言葉を返す。

「……アンタたち2人で行ってきな?2人にはアタシがつく」

「でも、僕はテネイベールと同じ……」

と言った流雫に、詩応は言葉を被せる。

「元総司祭の件で、教会は慌てているだろうか。今は誰も目の色など気にしないさ。それに、一度は礼拝堂に行ってみるのも悪くないよ」

 流雫に、不安が無いワケではない。しかし、詩応が言うことは一理有る。突然の想定外の事態、その対応に追われていて、誰も流雫には見向きしないだろう。

「……伏見さんがそう言うなら」

と流雫が言うと、

「あたしもいっしょだから」

と澪が続いた。

 鎮魂、つまりは追悼の儀だ。デート感覚は毛頭無い、しかし流雫といることは安心する。何が起きても怖くない。

「あの2人はアタシが護るから」

と詩応は言い、凜々しい微笑を浮かべる。

 「あ、ところで」

と澪が話題を変えた。

「アルスの来日理由、何なの?」

「アタシも聞いてない」

と詩応が続く。

 流雫だけは、レンヌにいる時に聞いていた。黙っていたのは、アルスから話すだろうと思っていたからだ。ただ、彼は未だ話していなかった。話す時間が無かった、と言った方が正しいか。

「簡単に言えば、偵察だよ」

と流雫は答えた。


 ……レンヌの司祭からの指示。詳しく言えば、アルスとアリシアが通うリセ……日本で云う高校……は教団系で、この司祭が校長を務めている。

 そして、短期海外学習の名目で、太陽騎士団の偵察を任された。偵察と云っても、渡航先における教団の立ち位置や現状と課題を確かめるほどのものだ。確かに面倒な任務ではあるが、費用は全額教団持ちだし、特別に単位が付与されるし、メリットは大きい。

 アルス自身は、来日したのが自分でよかったと思っている。3人とのネットワークが有るからこそ、突然の事件に立ち向かえるし、真相に少しずつ近付いて行ける。当然、アリシアの尽力も有る。他の同級生だと、こう云うワケにはいかなかった。

「……アルスのこと、尊敬するよ」

と詩応は言った。ただ、尊敬するどころの話ではない。

 日本での尽力を目にする限り、彼には教団の幹部まで上がってほしいと思える。その時、2つの教団は初めて、本当の意味で溝を埋められるだろう。


 「……何か飲むかい?」

と詩応は問う。流雫が代わりに行こうとしたが、ボーイッシュな少女は制した。スターダストコーヒーに並ぶ間の短い時間だけでも、2人きりの時間をプレゼントしたかったからだ。やはり、澪の隣にいるべきは流雫なのだ……。

 小さくなる詩応の背中を目で追う流雫のことが、澪は気懸かりだった。流雫に罪はない。全ては犯人が悪いのだから。それは彼自身判っている。

 「流雫は、あたしの誇りだから」

と澪は言った。

「流雫がいなきゃ、あたしは誰も助けられない。あたしも、もっと強くならなきゃ……」

その言葉に、流雫は唇を噛んだ。

 ……澪がいたからこそ助かった、死ななくて済んだことは何度も有る。だが、それは澪が銃を手に戦ったことを意味している。そして、助けたい人のために泣いたことすら。

 そうしなければ、真相に近付けないことは流雫も覚悟している。しかし理想論だけを言えば、最愛の少女には平穏なままでいてほしい。

「……あたしの想いは、流雫と同じ。誰も殺されない」

と言った澪の声は普段通りながら、確かな強さを含ませていた。

 澪の言葉は、人の背中を押す。それも、無意識に。だから詩応も澪を慕うし、流雫はその恩恵を誰よりも受けている。

「サンキュ、澪」

とだけ言った流雫は、数時間後の事に意識を切り替えた。

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