6「Articles Not Delivered」

 「……私は、聖女アリスの身代わり」

そう言ったプリィに、澪は

「……え?」

と声を上げる。

「身代わりって……」

 「アリスは私を元に生成された。ただ、クローンは不測の事態が起きやすいもの。その時は、私がアリスになる。本来はそうだった」

「本来は?」

澪は問う。今は違う?

「でもアリスは安定期に入った。だから私の、身代わりの役目は終わった」

と答えたプリィに、詩応が問う。

「じゃあ、そのネックレスはもう……」

「……」

プリィは何も言わない。

「アタシは、太陽騎士団信者であることを誇りに思います。だからこそ気になる。本国フランスで何が起きているのか……」

と詩応は続くが、聖女の装束を纏った少女は沈黙を守る。

 ……誰にも言えないだけの理由が有るのか……。そう思った澪に、プリィは言った。

 「ルナは何処……?」

その言葉に、先に反応したのは詩応だった。プリィは自分より断然上位で、信者である詩応にとっては敬愛すべき存在。だが、今はただ我が侭な少女にしか見えない。

 「この前は拒絶したのに今になって……!」

「詩応さん!」

澪は咄嗟に詩応を宥める。言いたいことは判る、しかし今は冷静でなければ。本質を掴むためには冷静さを欠かないこと、それは流雫から学んだ。

 「……ルナに会って、一体何をする気ですか……?」

と、澪は問う。冷静だが、声色は穏やかではない。

「……ルナの目を見て、咄嗟に破壊の女神を連想した。それほどまでに敬虔な信者なのは認めます。だからこそ、理由が判らない以上は……」

 「セバスチャン」

と詩応が口を挟む。見開かれるプリィの目を、詩応の目線は外さなかった。

「面識が有ったルナになら、弟のことを話せる。だから会いたいんじゃ?」

詩応の言葉がもたらした数秒の沈黙の後、プリィは頷く。

「その通りよ」

その英語に、今度は澪が数秒黙り、そして言った。

 「……ルナを二度と威嚇しないと、約束できるなら」

その言葉に、プリィは再度頷く。

「澪?」

と詩応が問う。何故会うことを認めたのか気になる。

「……今の彼女にとって、流雫に会うのは絶対に果たすべきこと。それなら、威嚇しないことぐらい簡単でしょ?」

と言った。

 ……仮に、プリィがライトノベルで有りがちなパーティークラッシャーだったとしても、澪は心配していない。その意志を悉く粉砕するのが流雫だからだ。


 「流雫!」

と少年を呼んだ澪の隣、詩応に挟まれる形でプリィが歩いてくる。かつての面影を残しながら、更に美しくなっているのが判る。

 3人がほぼ同時に止まると、澪は流雫に

「……あたしと詩応さんは少し離れるわ」

と言い残し、詩応と2人で去って行く。

「俺も」

と言って、アルスも続いた。……血の旅団とバレないためにではなく、折角の再会だから邪魔者は消えるのみ。

 そうして、流雫とプリィだけがその場に残された。

 ……レンヌで最後に会って12年、まさか再会したのが東京だとは。

「プリィ……12年ぶりかな」

「ルナ……この前は」

と言い掛けた少女を流雫は

「無事でよかった」

と遮る。自分を威嚇した理由も知っている、だからどうでもよかった。

 そして流雫は、本題を切り出す。

「……プリィ、どうして日本に……」

「……現実逃避」

とプリィは答える。

「……セブは……もう私の弟じゃない。だけど私の弟」

「それって……」

と言った流雫の頭に、疑問が浮かぶ。プリィは言った。

「……セブはメスィドール家に売られた。教会の政治的道具として」


 1年前、セブはメスィドール家に買われた。プリィからすれば、人身売買でしかない。大事な弟を100万ユーロで売られたことに対する憤りは、今でも大きい。

 フリュクティドール家が弟を売ったのは、財政的に困窮していたからではない。

 アリスに何か有った時、瓜二つのプリィがアリス・メスィドールを名乗る取り決めを、家族が秘密裏に交わしていた。そしてその時のために、セブをメスィドール家の長男だとして置くことにした。それは、メスィドール家の基盤が西部だからだ。

 ブルターニュとペイ・ド・ラ・ロワール、2つの地域圏を基盤とする西部教会。特に中心となるレンヌは昔から血の旅団が強い。今でこそ2つの教団で歩み寄りは見られるものの、メスィドール家をはじめとする西部教会の上位には、血の旅団を拒絶する人だって少なくない。

 日本で太陽騎士団が狙われ続けた事件の解決に尽力したのが、レンヌに住む血の旅団信者だった。それが知れ渡ると、血の旅団への評価が高くなった。それに対する焦燥感から、メスィドール家から聖女を輩出し総司祭一家となることを、西部教会全体の至上命題に定め、実現させた。


 そのレンヌに住む血の旅団信者こそ、アルスとアリシアなのだ。

 太陽騎士団の仕業に見せ掛けたテロを、日本で次々と起こした宗教テロ集団がいた。正しくは、日本で生まれたカルト教団の総司祭が、自身と関係が有った政治家が所有していた不法難民を駒として、太陽騎士団の仕業にみせたテロを起こしていた。

 目的は、社会的評価が高い太陽騎士団を排除し、支持する政治家を日本の政治の舞台から引き摺り下ろし、自分たちの教団が政治を牛耳るため。しかし、その目論見は流雫たちによって打ち砕かれた。

 アリシアの父リシャールの署名入り記事が、そのターニングポイントになったことで、2組の一家の功績とされるようになった。それが逆に、西部教会の顰蹙を買った。

 だから、レンヌで自動車爆弾テロに遭遇した時も、太陽騎士団の連中はアルスを険しい目で見ていた。そして、一緒に戦っていた……つまりはグルだとして流雫も。


 「教団にとっては、これが最も安全な形。でもアリスは安定期に入り、もう万が一の事態は起きないと言われてる。それでも、セブは戻ってこない。だから、セブを取り戻したい」

と言ったプリィは、コンクリートとガラスに囲まれた地上から、狭い東京の空を見上げる。

 「……セブは、フリュクティドール家に戻る。そして、セブが望んだ人と結ばれる。それが私の願いよ。私には、それができないから。聖女候補とされた者には、愛する人を選ぶ権利そのものが無いもの。だから、セブには自由であってほしい」

そう言ったプリィの顔には、諦めと寂しさが漂っている。

 それなりの立場の一家に生まれ、或る程度未来を決められた身。そして、ただでさえ少ない選択肢は様々な外的な都合が重なり合って、やがて消える。だから愛する弟には、自分が望む未来を手に入れてほしい。

 流雫は何も言えなかった。プリィに比べれば、その意味では断然恵まれているからだ。

「……でも、取り戻す、なんてできるワケない。そのために犯罪を犯すなんて、それこそやってはいけないことだから。だから、現実逃避したいの」

「だから日本に?」

「そう。まさかルナに、あんな形で会うとは思わなかったけど」

とプリィは言う。そして、自分が狙われるとは。もし、あの場に偶然流雫がいなければ、咄嗟に足下のタオルを顔に当てていた。そして、今頃は棺に寝かされて飛行機でパリへ帰国していただろう。

 見知らぬ地、東京で命を救われたのは、やはり女神ソレイエドールの導きなのか。プリィはそう思った。

「……現実逃避しようにも、上手くいかないものね」

と言ったプリィは、寂しげに笑いながら流雫を見つめた。


 「……でも」

と澪が言った。シンジュクスクエアは2フロア構造で、そのアッパーデッキに3人がいる。女子高生2人は、階下の2人を見下ろしていた。その端でアルスは1人、フランス語が並ぶスマートフォンの画面と睨めっこだ。

 「何故プリィが狙われたのか……」

「猛毒を塗られそうになったんだっけ?」

「ええ」

と、澪は詩応に答える。

「教団にとっての重要人物を殺そうとする……」

「聖女アリスと間違えたのか」

「最初からアリスではなく、プリィを狙う気だったのか……」

そう言葉を重ねる2人の隣で、

「……待てよ……おい……」

と呟くアルスの目つきが険しくなる。それに気付いた詩応が名を呼ぶ。

 「アルス?」

「……どうなってんだよ……!?」

とだけ言ったアルスは、スマートフォンを握り締めると

「プリィに話が有る!」

とだけ言って、地面を蹴った。


 「ルナ!」

と名を呼ぶ声が聞こえた。

「アルス!?」

「……プリィに話が有る」

そう言って、階段を駆け下りたブロンドヘアの少年は、流雫の隣に立つ。突然の邪魔者に、プリィは怒りを湛えた瞳で問う。

「誰ですか!?」

「俺はアルス。ルナのフレンドだ」

と答えたアルスは、プリィの言葉を待たず質問を投げ付けた。一つだけの、しかし大きな質問を。

「……何故セバスチャンも2人いるんだ……!?」


 プリィの目を、驚きと焦りが支配する。そして

「セブが2人……!?」

とだけ声に出した流雫に、アルスは

「配信されない記事だ」

と言ってスマートフォンを突き付ける。

 ……アルスが見ていたのは、赤毛の恋人から朝方に送られてきていた長文の記事だった。配信されないながら、その冒頭にはリシャール・ヴァンデミエールの署名が入っている。

 パリ近郊サン・ドニの生物化学研究施設から、機密データの流出が確認された。物理デバイスにコピーされたものが持ち出されたことが、データのアクセスログから判明したのだ。

 暗号化されたデータは、しかし簡単に解読された。それには、フリュクティドール家のプリィとセバスチャンの遺伝子情報が含まれていた。

 移植手術における理想、適合率100パーセントの臓器を確保することが、クローン開発の本来の目的だったが、生成したのは全身全て。しかも生後すぐの話。何故そうする必要が有ったのかは、入手した情報からは何も判らない。

 生成された男女1体ずつ、計2体のクローンは、特に不具合を起こすこと無く、安定期にも入り順調に生きている。そして、女子のそれは人工的生命体初の聖女に選出されたが、男子は今も全てがベールに包まれたままだ。


 「セブのクローンが……いた……!?」

そう言ったのはプリィだった。アルスはその反応に違和感を覚える。

「……お前、何か知ってるんじゃないのか?」

「プリィ……何が起きてるんだ?」

と、アルスと流雫は問う。

「し、知らないわよ……!」

と答えたプリィは、しかし動揺を禁じ得ない。

「どうして、セブまで……」

「……何も知らないんだな……」

と流雫は言った。全てを知っていた上で隠している……とは思えない。隠していても、今問い詰めるのは逆効果だ。

 「アリスとは事情が違う。セバスチャンを生成する理由が何も無い」

「アリスのセブが生きてるなら、私のセブを引き取る理由も無い……」

と言い、俯くプリィにアルスは言った。

「……お前の教団の中枢で、何が起きてる?」

 「お前の?」

プリィは思わず口にする。同じ教団であれば、こう云う言い方はしない。まさか……。人形のように整った顔が、再度怒りに満ちていく。

「まさか、血の旅団……!!」

「御名答。レンヌ、プリュヴィオーズ家の末裔だ」

とアルスは言った。

 西部教会にとっての、或る意味最大の敵。それが目の前にいて、しかも流雫のフレンドとは。プリィは無意識に叫んだ。

「ルナ!!よりによって邪教なんかに……!!」

「ルナは無宗教だ。お前の敵じゃない」

とプリィの言葉に被せるアルスに、彼女を怒らせる意図は無かった。遅かれ早かれ正体を明かすことになるのなら、早い方がよかった。それだけの話だ。

 だが、上級職に就くプリィにとっては、ルナが邪教の人間と連んでいることに、戸惑いと怒りを覚えることは当然だった。裏切られた……その感覚さえ抱く。

「じゃあ何故……!」

「……ノエル・ド・アンフェル、トーキョーアタック。僕を祖国から追い出し、かつての恋人を殺した2つの事件。その真相を掴むために、僕はアルスの力を借りた。それしか無かった」

流雫の声に足音が混ざる。流雫の視界の端に、階段を駆け下りた澪と詩応が映った。

「でもノエル・ド・アンフェルは血の旅団が……!!」

「判ってる。それでもアルスに頼りたかった」

滑らかなフランス語の応酬は、2人の女子高生には何と言っているか判らない。しかし、僅かなフレーズだけは聞き取れる。

 ……アルスに頼りたかった。アルスしか頼れなかった。

「邪教に頼ってまで、恋人の仇討ち?」

その声の主を睨んだのは、流雫ではなかった。

「ルナを敵に回す気か?」

とアルスは言う。あくまでも冷静に、そしてプリィのために。

 「ルナを敵に回せば、お前の味方は日本ではいなくなる。誰一人な」

「ミオやシノは!?」

とプリィは返す。特にシノは信者、彼女は味方のハズ……。

 しかし、アルスは一蹴した。

「2人はルナの味方だ。国籍や宗教すら超えた結束に、教団内の地位如きが敵うと思ってるのか?」

「……私を脅してどうする気?」

「脅す気は無い。現実を言っただけだ」

とアルスは言いながら、2人の女子高生に目を向ける。詩応は無意識にその名を呼ぶ。

「アルス……!?」

「何でもない」

と英語で答えるブロンドヘアの少年は、あくまで2人には落ち着いた声で言う。……関わってほしくない。だが。

 「ミオ、シノ!私の味方だよね!?」

と、2人に向いて問い掛けるプリィ。その目には焦燥感が滲んでいる。

「……味方?」

「邪教と手を組んでないよね!?」

「邪教……!?」

とだけ日本語で繰り返した詩応の隣で、澪の表情が険しくなる。

 ……フランス語で捲し立て、英語で同意を求めてきたプリィは、邪教と云う言葉を使った。……血の旅団を邪教扱いした。そして、焦り気味に味方かと問うてきた。

 「……ルナに何を言ったんですか……!?」

と英語で問う澪の声は、怒りを辛うじて抑えているように聞こえる。

「ルナが、邪教と手を組んでた!仇討ちなんかのために!」

プリィの言葉に、アルスは諦めの表情を滲ませ、流雫は唇を噛む。

 「プリィ……?」

とだけ、落ち着いた声で名前を呼ぶ澪は、息を止める。青い瞳が、険しい目付きのダークブラウンの瞳を捉えた刹那……。

 「っ!!」

肉を打つ音が、新宿の空気を切り裂いた。ブロンドヘアが大きく揺れ、少女の視界が歪む。

「っ……!!」

「澪!!」

突然のことに、詩応が慌てて澪の肩を掴む。ボブカットの少女は泣き出す寸前の、詩応が苦手な表情を滲ませていた。

 「澪……!」

「流雫を……美桜さんを……バカにした……っ……!」

そう声を張り上げる最愛の少女を、流雫は無意識に抱き寄せた。その熱に感情が決壊した澪は、最愛の少年にしがみつく。

「流雫……っ……流雫ぁ……っ……!」

流雫は、泣き叫ぶ澪の頭を優しく撫でる。

 ……流雫をバカにされて、美桜さんの死すらもバカにされた気がした。我慢できなかった。

 どれだけ流雫が、寂しさを抱えて生きてきたか。彼の隣に立てるあたしは、少しは判っていると思いたい。

 それだけに、プリィの言葉を看過することはできなかった。笑って遣り過ごすことが大人の対応ならば、大人じゃなくていい……そう思えるほどに。

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