ねえ、何を願ったの?

まにゅあ

第1話

「これから初詣に行かない?」

 そう香織かおりから連絡がきたのは、大晦日の夜に家でだらだらとテレビを見ているときだった。香織は高校の頃から付き合っている彼女で、今では三年の付き合いになる。

 俺も香織も人混みが苦手なタイプだから、これまでに初詣に行こうという話になったことは一度もなかったのだが……俺は違和感を覚えつつ、混んでるんじゃね、と暗に行きたくないことを伝えるメッセージを返した。

 すぐに既読が付き、返信があった。

「穴場の神社なんだって」

 なるほど。人混み嫌いの俺たちにピッタリの神社というわけか。

 待ち合わせ場所と時間を決め、俺はアパートを出た。

 冬の夜は冷える。両手に息を吹きかけながら足早に歩いた。手袋をしてこればよかったか。

 大学入学を機に始めた一人暮らし。家賃や光熱費などのお金は、実家からの仕送りですべて賄っている。入学当初はコンビニのバイトをしていたが、店長と反りが合わず、一か月で辞めてしまった。次のバイトを探そうかとも考えたが、実家からの毎月の仕送りは充分あったし、無理にバイトをする必要もないかと思い、結局それから一年以上もバイトをせず、だらだらと大学生活を過ごしている。親のすねを思い切り齧っているわけだ。

 よく宝くじで大金を手にすると金遣いが荒くなり、最終的には破滅的な人生を迎える人がいるという話を聞くが、俺の場合、死ぬまで働かずにだらだらと生きていくために、全額貯金という選択をしそうだ。まあ、実際宝くじが当たったら、金に目がくらんでしまうものなのかもしれないが……。

 そんな実りのないことを考えつつ、待ち合わせ場所である公園に辿り着く。

「明けましておめでとう、拓哉たくや

 公園のブランコに座っていた香織が、俺に気づいて駆け寄ってくる。香織はもこもこのダウンにロングスカート、首にマフラーを巻いた格好だ。

 俺は腕時計に目をやって、

「まだ来年になってないぞ。あと五分ある」

「もう拓哉ってば、細かいって」

 香織は笑いながら、手袋をはめた手で俺の腕を軽く叩いた。

「その『穴場の神社』とやらは、どこにあるんだ?」

「こっちこっち」

 香織は腕を絡めて、俺を引っ張るようにして歩き出す。

 公園を出て、住宅街を進む。

「近いのか?」

 隣を歩く香織は人差し指を顎に添えて、

「うーん、歩いて十五分くらいだと思う」

「思うって?」

「私も行ったことないから。その筋に詳しい人から話を聞いただけだし」

 その筋に詳しい人? 神社などに詳しい人という意味だろうか。

 香織に導かれるまま、住宅街を抜けた。両側に田畑の広がる砂利道に足を踏み出す。

 この先に本当に神社があるのか? と小首を傾げたくなるような閑散とした道である。

 ぽつぽつと辺りを照らしていた街灯が、次第に少なくなっていく。俺たちは携帯のライトを点けて、道の先を照らした。俺たちの他に歩いている人は見当たらない。

 寒気を感じるのは、気温のせいだけではないだろう。

「……道、合ってるのか?」

 腕を絡めて隣を歩く香織に、思わずそう訊いた。

「もちろん!」

 香織の元気で明るい返事が、俺の緊張を幾分かほぐしてくれた。

 香織は世界的に有名な大手企業の社長令嬢だ。親に金銭的に甘えている俺が言えた義理ではないが、香織は幼い頃から親に相当甘やかされて育ったのか、かなり我儘な性格をしている。自分の欲しいものは何が何でも手に入れたがると言うか……。

 この前も、香織お気に入りのアニメキャラクターのキーホルダーを買うためにイベント会場で列に並んでいたとき、ちょうど俺たちの前の人で目的のキーホルダーが売り切れになったことがあった。「欲しい欲しい!」と香織はひどく駄々をこねた。幸いにも前に並んでいた人が購入権を譲ってくれたが、そうじゃなかったらどうなっていたことやら……。おそらく香織は札束を片手に、キーホルダーを譲ってくれる誰かが見つかるまで、会場を歩き回っていただろう。

「霧が出てきたな」

 瞬く間に霧は濃くなって、数メートル先も見えなくなる。これじゃあ携帯のライトも当てにならない。

「大丈夫、もうすぐだよ」

 香織の声に背中を押され、歩を進めた。

 どれくらい歩いただろうか。急に視界が晴れたかと思うと、目の前に大きな鳥居が現れた。左右を見渡せば高い木々がどこまでも連なっている。ちょうど深い森の入り口に位置するようにして鳥居は建っていた。

「到着だよ」

 どうやらここが目的の神社らしい。

「行こう」

 香織に手を引っ張られるままに鳥居をくぐった。左右が高い木々で覆われた参道を歩く。

 他の参拝客と一切すれ違うことなく、社殿に辿り着いた。社殿にも人影はなかった。穴場と言うのは本当らしい。

「お参りしよ」

 さて何をお願いしようか、と思ったところで、隣に並んだ香織が声をかけてきた。

「ここ、恋愛に強い神社なんだって。今年も二人で楽しく過ごせるようにお願いしようね」

「……ああ」

 俺は目を逸らしつつ答えた。正直、香織との日々にうんざりしている自分がいた。香織は我儘で、俺はいつも振り回されてばかり。付き合い始めた頃は、そんな彼女を可愛らしいと思っていたけれど、今では面倒だと感じることが増えた。最近、大学で他の女の子と仲良くなったし……香織とは潮時かもしれないな。俺が「別れたい」と言ったら、香織は間違いなく猛反発するだろう。何とか穏便に別れる方法はないものか……。

「拓哉? どうしたの、ぼーっとして。お参りしないの?」

「……ああ、悪い」

 二礼二拍手一礼――俺は目を閉じて、何を願おうかと考える。

 香織と穏便に別れられますように? いや、年初めだし、もう少し前向きな願い事がいいだろう。

 新しい彼女とうまく行きますように? いやいや、まだあの子とは彼氏彼女の関係じゃない。願うなら、あの子への告白がうまく行きますように、とかだろう。うん、そうしよう。

「帰ろっか」

 香織は一足先に願い事を終えていたようで、俺が目を開けると、そう声をかけてきた。彼女は俺の目をまっすぐに見つめて訊いてくる。

「拓哉は何を願ったの?」

「……今年も香織とずっと一緒にいられますようにって」

 本当は俺が何を願ったかなんて、香織に分かるはずもない。

「そっか!」

 香織はパッと笑顔を浮かべた。罪悪感がちくりと胸を刺したが、俺は動揺を悟られないように平静を装い、「帰るぞ」と拝殿に背を向けた。

 笑顔で腕を絡めてくる香織とともに、来た道を引き返す。

 いつまで経っても鳥居は見えてこない。こんなに参道は長かっただろうか……。

 内心で首をかしげていると、隣を歩いていた香織が「ねえ拓哉、こんな話知ってる?」と唐突に話題を振ってきた。

 彼女の話は、とある神社についてだった。

 その神社は縁結び神社ならぬ縁保ち神社と呼ばれ、すでに縁を結んでいるカップルに永久の縁を授けることで有名らしい。初詣でカップルがともにパートナーのことを想い拝むことで、永遠の縁が成就する。けれど、もしカップルの片方でも違うことを願ってしまえば、二人は永遠に神社の境内から出られなくなると言う。

 俺は道の先を携帯のライトで照らした。……参道はどこまでも続いていて、出口にあるはずの鳥居は見えてこない。


「拓哉は、何を願ったの?」


 香織がぐいと顔を近づけて訊いてくる。その顔は無表情で、目は真剣そのものだ。

 背筋がぞっとした。

 香織は俺を試したのだ。本当に俺が香織のことを好きでいるのか。

 俺は努めて香織に対するマイナスの感情を隠してきたつもりだったが、どこかに綻びがあったのだろう。香織を騙しきることはできなかった。

 香織はこの神社のことを「その筋に詳しい人」から聞いたと言っていたが、「その筋」と言うのは単に神社を指しているわけではなかったのだ。おそらくは、もっと恐ろしい何か……。

 神社の話が本当なら、これから俺は永遠に香織とこの神社で過ごすことになる……。

 自分が欲しいものは、何が何でも手に入れる――香織は、俺が考えていたよりも遥かに危険な彼女だった。

「――ねえ、何を願ったの?」

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