回転式
國枝陽
回転式
ある日、友達の恵美子がぐるぐると回転していた。私が思わず、なにしてるのって尋ねると、恵美子は体を回転させながら(その瞳さえも右回りにぐるぐるさせて)こう言った。
「回転!千絵は知らないの!流行ってるんだよ!回転!」
あははは、って笑うのは、同じく回転するクラスメイトだった。彼女も恵美子と同じようにぐるぐる回転している。私は、そうなんだ、と苦笑いを浮かべて、自分の机に戻った。
しばらくすると、教室に先生が入ってきた。先生もなぜかぐるぐるしていた。しかも両手を遠心力で時折浮かばせて「最新式!回転の最新式を開発したの!最新式!」と口をぱくぱく動かす。
その言葉に恵美子だけでなく、みんなが尊敬の眼差しを送った。回転に身を任せて腕をパタパタするのが先生の言う最新式らしく、誰もが感銘を受けていた。
私はその光景がなにかおかしい気がした。でも、世界なんてそんなもんか、なんて思い、あまり気にすることなく、その日を終えた。
恵美子は帰りの間もずっとぐるぐる回転していて、手に持っていた
傘すらも、指の上で回転させていた。ぐるぐる。ぐるぐる――。
次の日、クラスの半分の人が回転式の椅子を持ってきた。そして授業中も回転するようになった。私はさすがにおかしいと思ってネットで「回転」と調べたら、私の知っている有名人たちが、みんな恵美子と同じように回転していた。回転式!これがいまのトレンド!回転式!みんな口を揃えてそう言う。
「千絵もそろそろ回転しなさいよ」
お母さんがある朝、ぐるぐると回りながらそう言った。私は考えておく、と言うけれど、お母さんは矢継早に「回転しないと、乗り遅れるわよ。回転しないと、就職にも困るんだから。回転しないと、回転しないと」とツバを飛ばす。
「わかったって!もうやめて!」
私が怒鳴ると、お母さんはきょとんとした顔をして、なにに怒っているのかしら、千絵らしくない、さ、回転回転、と呟いてキッチンに戻っていった。お母さんはその日のうちに回転式の机を買った。中華料理店なんかにある、あの机で、いまはみんなに大人気だから、生産が追いつかないんだってお母さんは言う。私は気がおかしくなるような思いでいた。しかし、その流行は止まらない。
「いいですか!いまは回転式の時代なんです!教育にこそ回転を取り入れないと駄目なんです!みなさんで回転する世の中を、子どもたちに素晴らしい回転を!どうか!我が党、回転党に清き一票を!」
一大ムーブメントになった回転式に、日本の政権を、回転党が取った。彼らはすべての国民に回転を推奨し、教育に回転を取り入れることを推し進めた。反発するものはおらず、いまや回転しないで歩くと、怪しまれる一方だった。私はよく回転する警察に囲まれた。最新式回転術を身に着けた警官は、私にこう尋ねる。
「すみません、通報があったんですよ、怪しい高校生がいるって。回転してないから、病気なんじゃないかって。大丈夫ですか?」
私は首を横にふる。
「じゃあ、なんで回転しないの?」
「わかりません」
「えっと、不思議な子だね。回転しないだなんて」
私は道行く人々に指をさされて、おかしな人だと笑われた。肩身の狭い思いに、私は駆け出した。部屋の鏡で回転の練習をしてみたりもした。でも駄目だった。すぐに気持ち悪くなる。なんでみんなはあんなに回転したがるのかがよくわからなかった。
クラスでは恵美子に裏切られ、いじめられるようになった。
「回転しない千絵は厄介者、回転しない千絵は馬鹿野郎」
そんな罵詈雑言の歌が作られた。そうなると、家にまでイタズラする人が現れた。
同じクラスの男子生徒が、私の家に忍び込もうとして、捕まった。その子は回転しない私にムカついたと供述し、自分が逮捕される意味がわからないと暴れた。そして世間も同じことを言って、彼の釈放のための署名が何十万と集まった。ネットでは私の写真が晒されて、回転しないだけなのに、そこは私の誹謗中傷で溢れた。
「なんで回転しないの?千絵」
回転椅子に座るお母さんがぐるぐるしながら、私に問い詰める。私は泣きはらした目をこすり、首を横にふるばかりだった。なんで誰もわかってくれないのだろうか。私はそう思う他なかった。回転しないこともいいじゃないか、私は回転できないんだ、しかし、お母さんは回転しなさいと半ばヒステリックに怒鳴りつけ、私の頬を回転の勢いで殴った。
引きこもる日々が続いた。ネットでは私が引きこもったことを喜ぶ人たちでいっぱいで、まるで正義が執行されたかのように彼ら彼女らは勝ち誇った。私はますます気をおかしくしていった。
だけどある日、私の家に男が尋ねてきた。彼との出会いが私を変えた。その男の人は私と同じく回転しない人だった。まだ年若い起業家の人らしく、高そうなスーツを着て、高そうな車に乗って、私の家までやってきた。怒鳴るお母さんを立ち退けると、パジャマ姿の私をリビングにまで呼んで、私と彼は向かい合った。私は思わず回転しない人を見て、涙した。まさかまだこの世に回転しない人がいるだなんて思いもしなかった。彼は「辛かったね」と声をかけてくれた。
そして、「もう大丈夫だ」とも言った。
「どうしてです?世界は回転式なのに」
「僕はいま、とある組織を運営しているんだ。その名も非回転式社会党。いまの政権への抵抗軍、レジスタンス」
「レジスタンス……」
「そうだ。それに、いまの回転式社会を破壊するために君の力が必要なんだ」
「私の力?」
「ああ、君にはレジスタンスとして、戦ってほしい。これからはじまる回転式聖戦のジャンヌ・ダルクとしてね」
戦争がはじまったとき、私はその先頭にいた。
回転する人々と、回転しない人々による、真正面からの戦い。
私は人々に、二十一世紀のジャンヌ・ダルクと呼ばれた。
回転式政府は、私たちの抵抗にみるみる間に押されていき、ついに「降参します」と白旗をあげた。私たちレジスタンスは新しい政権として立ち上がり、回転することを禁止した。人々も回転することの恐ろしさや、自分たちのあやまちに気がついていった。私はシン・日本の女性初首相になった。
ジャンヌ・ダルク効果は凄まじかった。誰もが私を救世主とあがめた。私は回転しないことの素晴らしさと私が受けてきた屈辱を世界に知らしめた。
その結果、私にはノーベル平和賞が与えられた。
教科書のページをめくると、私がでてくるようになった。回転時代と、非回転時代。その節目である回転革命を起こした私は圧倒的な支持を得た。
あれから何年と経って、かつて私をいじめていた恵美子が泣きながら謝りにきた。
彼女は回転しないことに細心の注意を払い、回転しないドアノブ(スイッチ式ドア)をゆっくり開けて、首相官邸の客室に入ってきた。このドアは世界中で義務付けられ、日本ではあの忌々しい回転式ドアノブを悪魔の発明と呼んだ。それは回転がこの世から消え去った証でもあった。恵美子もそのことを喜んだ。それに、彼女にはもう子供がいるという。私はいいわね、と彼女の成長を褒める。
しかし、恵美子はその子がまるで恐ろしい子であるかのように、こう言った。――あなたにそっくりなの。
「私にそっくり?」
「ええ、そっくり」
私は興味深くなり、日を改めて、彼女の住まう団地に向かった。
私たちの乗る車はタイヤをなくし、宙に浮いている。これも私たち日本国民が作った新しい技術だ。ムーブメントは、こうして新しい技術を生み出すのだ。
団地には公園があった。私が車から降りてそこを通るとき、なにやら男の子たちが騒いでいるのが聞こえてきた。それは聞き馴染みのある悪口の歌だった。
「回転する梨子は厄介者、回転する梨子は馬鹿野郎」
そして、私を案内する恵美子が、震えたような口で「私の子は恥よ、いまでもずっと回転しているんだもの」と言った。でも、私はその子を見たときに、全く違う印象を受けた。そこにいたのは美しい少女だった。
大衆の真ん中で、スケートフィギアのアクセル、あるいはバレエのダンスでも見ている気持ちにさせるような回転をする女の子。彼女は涙を流しながら、華麗に回転をし続け、私を忌々しそうに睨んだ。まるで私がすべての元凶であるかのように。辺りの人々が野次を飛ばす。みんなして悪口を言い合う。私はかすかにあの日々を思い出してしまう。かつての記憶がよぎってしまう。私は気がつくとその大衆を退けるように少女のもとに駆け寄っていた。少女は私に驚くように後ずさる。
だけど、私は思い切り、彼女を抱きしめた。そして、私と少女は、ともに回転をした。
はじめての回転だった。それはとても心地よく、哀しかった。
悲鳴と怒号があがる。日本の首相が女の子と一緒に回転しているって叫ばれる。
でも、私はそれでもいいと思った。だって、彼女は私だもの。
「辛かったね」
私はそう言ってから涙をこぼした。
彼女は「どうして……!」と驚いた声を吐き出す。
人々の群れた公園の中央で、私と少女は抱きしめあい、回転し、踊る。そのうち、人々は私たちに唖然とし、なにかに気がついたように涙を流し始めた。
おかしな光景だ。私は思わず、あははって笑ってしまって、それがとても久しぶりな気がした。少女も私につられ、嫌われ者の二人は、時代を超えて涙して、笑い合った。
「ねえ、これからだよ」私はささやく。少女は顔をあげる。「これから、あなたの、あなただけの世界が訪れる。だから、大丈夫。あなたは回り続けるの。この世界が回るように、回転しつづけるの。あなたは、あなたの信じたことを貫くの。さあ、回転しましょう!」
こうして世界には、回転時代、非回転時代、その果てに自由回転時代が訪れるのだった。
回転式 國枝陽 @ifharuka
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