第4話 癒してラグーソース(3)
「こちら、ラグーソースのパスタです」
シェフよろしく提供する。
薄黄色のフェットチーネに茶色い牛スネ肉のソースがかかった、絶望貧乏アパートに似合わない一皿。
「いただきます……」
海斗くんは敬虔な信者の如く手を合わせてから、静かにパスタを巻いて口に入れる。
(はわわわわ……♡ これはしゅごい……! 事件ですわよ奥さま!)
始まったぞ……!
仏頂面から放たれるお嬢様言葉に、今度こそ反応しないように、覚悟を決める。
びっくり加減で言えば、少しばかりホラーに近い。
(平麺に濃ゆい肉ソースがよく絡んで……パスタの茹で加減も間違いないですわ。そしてなにより、この
外見上は、カッチカチに真顔である。
が、蕩けているらしい。
私は、ほぼ初めて、心の声が聞こえることに感謝した。
この特性がなかったら、きっと彼の寡黙さに挫けていたに違いない。
(うますぎですわ……これはもうパスタ改め食べる幸せですわね……)
新しい褒め言葉が生まれていた。
冷食のキャッチコピーにつけたら、そこそこ売れそうな気さえする。
(青葉お姉ちゃんは天才ですわ……!)
ひとまず、好評らしい。
私はちょっと口元がにやけそうになるのを抑える。
しかし、度を越しておしゃべりな脳内に反して、相変わらず彼の実際の喉からは、何の声も発されなかった。
本当に、無口な子である。
自分もパスタに手をつけながら、食べ続ける彼をみて考える。
そもそも、この子こんなに無口だったっけ、と。
十年前、よく絢辻家に行っていた頃は、もっと活発なイメージがあった。
お母さんにくっついていて、内弁慶で、イタズラ好きの悪ガキで。
よく虫のカードゲームの相手をさせられたけど、全然わからなくて。
見た目も随分変わった。
昔は私が屈んで目線を合わせていたのに、今は見上げないと視線が合わない。
その上に、顔が小さいからモデルさんみたいだ。
黒髪を上げたら、まさに王子様タイプ。
随分……大人の男性になった。
「海斗くん、あのさ」
私の呼びかけに顔を上げて「なに?」とばかりに目で尋ねる。
涼やかな瞳でみつめられ、少しばかり胸の奥が動くのをごまかせない。
「えっと、いつもなに食べてるの? いつもお腹空かせてるみたいだけど……」
お金はあるはずである。
タワマンなんだから。
「……お菓子、とか」
彼は、恥ずかしげに呟いた。
「……それだけ?」
「あの、でも、コンビニの弁当とか食べます……あと、宅配……たまに頼む……」
敬虔な信者の懺悔するが如く。
「どうして? 食べるの好きそうなのに」
「え、そう見えます……か……?」
「あ、なんとなくね。なんとなく」
見えるというか、きこえてるんだけどさ。
(やっぱり不思議な人だな……)
彼は頭のなかでポツリと呟くと、
「一人だと、あんまりどうでもいいっていうか……食欲とかなんか湧かなくて……」
と告白した。
私の視線は彼の容姿の上を滑る。
骨ばった手首。
成長に栄養が間に合っていないような、細長いシルエット。
この子、ろくなもの食べてないのね。
そう理解した。
確かに、たったひとり男子高校生が暮らしていたら至りそうな生活ではある。
ただ、食事は楽しむためだけではなく、生きるためにするものでもある。
このままだと、彼は痩せ細った上に、体を壊してしまうだろう。
再びパスタを巻き巻きし始めた彼を遠目に見つつ、私は口をへの字に曲げて考える。
事情は知らないが、最近たった一人で暮らし始めた男子高校生が目の前に一匹。
さらに、ろくな食生活を送っておらず、腹を空かせているときたもんだ。
私は深く考える。
おせっかいおばさんになってしまうだろうか。
でもしかし……これくらいしか、私が絢辻家にできる恩返しはない。
「海斗くんさえよかったらだけど……」
ええいままよ。
「よかったら、いつでもおいで。ご飯くらいしか作ってあげられないけど。お腹が空いたら、いつでも」
私は小さな勇気で持ってええいままよした。
ええいままよされた相手の男の子は、皿から目をあげて、ポカンと視線を漂わせる。
そして、
(いつでもって……毎日空いてるとか言ったら、怒られるかな……)
私は、つい笑いそうになってしまった。
そうだよね。
高校生だもん。
いつでもお腹はペコペコだ。
「なんなら毎日来てもいいよ。私の帰りが遅くないときなら」
そう言ってあげる。
「い、いいの……?」
「もちろん。昔はキミのお母さんにご飯食べさせてもらったし」
「お姉ちゃ――青葉さんは迷惑じゃないの。その、彼氏とか、そういう……」
わざわざ言い直す彼に、ついに笑ってしまった。
「お姉ちゃんでいいよ」
昔みたいに。
「あと、彼氏はいません」
不満げな顔をして付け足しておく。
彼は申し訳なさそうに、空になりかけたラグーソースパスタの上に視線を落とす。
そして、呟いた。
「ありがとう……」
いじらしく、清潔で、無垢。
私は不意に、彼から怒りや恨みのような暗い感情が一度もきこえていないことに気づいた。
こんなに穏やかな気持ちでいられるのは、本当に久しぶりだ……
「おかわり、いる? もう少し茹でようか」
私は彼の皿を示しながら立ち上がる。
食べ盛りの男の子が、一皿のパスタで足りることもないだろう。
見越して、ソースも多めに作ってある。
「あ、うん……」
彼は素直に頷いて、残ったパスタを平らげ始める。
鼻歌を歌う気分でキッチンに赴き、お湯を再び沸かし始めたとき、背後から彼の心の声がきこえてきた。
(料理上手だし、優しいし、美人だし……お姉ちゃんやっぱり好き♡ 大好き♡)
麺を茹でているという口実があってよかった。
そうでなかったら、きっと真っ赤な顔でキッチンを出ないといけなかっただろうから。
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次回、ほっこり肉じゃがです。
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