第5話 決心
その日の放課後、恵介は昇降口で帰ろうとする琴音を捕まえた。
「琴音先輩、話があります。」
「え?なに?愛の告白か?こんな目立つところで、情熱的過ぎるんじゃね?」
「ふざけないでくださいよ。用件は分かってますよね?」
「うん、まあ、そりゃ、ね?うーん……。ま、帰りながら話すかあ。」
琴音は、下駄箱から靴を取り出しながら考える。この週末に祖父平十郎から剣道部との他流試合の話をされた。曰く、校長から勝負の申込みがあり、恵介を代表にして受けたいとのこと。琴音はいったんは断ったが、平十郎がなおも食い下がったので、最終的には、恵介に勝負を引き受けさせ、剣道部に勝利すればプレイステーション5を買ってもらう、というところで話をまとめた。
話は既にその方向で動いているのだが、肝心の恵介を説得するのを忘れていた。いつもは何でもいうことを聞いてくれる恵介だが、根が真面目なので、他人に迷惑がかかるようなことは断固として拒否してくる。今の恵介はそういうときの顔をしている、と琴音は感じていた。
二人は連れ立って校門を出た。遠くからブラスバンド部のトランペットの音が聞こえる。古い洋画でで流れていたメロディ。少し調子が外れている。
「今日は美咲先輩は一緒じゃないんですか?」
「一人で帰るから先に帰ってて、って言ってた。っていうか、またそれかよ。こんな美女が一緒に下校してやろうってのに言うことかなあ、んん?」
「確認しただけですって。今日は剣道部の練習がある日だし、置いてっちゃうと悪いかなって。」
美咲は文化祭の実行委員に選ばれてしまい、裏方であれこれ面倒な作業に追われている。思った以上に大変で、琴音に対し「マジで泣きたい」と愚痴をこぼし、遅くなりそうだから一人で帰る、先に帰ってて、と言っていた。彼氏なんだから、渡辺が美咲の作業を代わりにやってあげたらいいのに、と琴音は思った。
「それで、用件っていうのは、剣道部との他流試合のことか?」
「そうです。掲示板見ました?あれって琴音先輩はどういうことか聞いてます?」
琴音は聞いているし、何なら祖父とともに剣道部&校長との間で試合の細部について話し合いを始めているくらいである。恵介の性格からして、しらばっくれるのは得策ではない。琴音は、ここで説得することにした。
「話すのが遅くなって悪かったけど、爺ちゃんと私で話を受けた。恵介には剣道部の渡辺と戦って、勝って欲しい。以上だ。」
「いや、なんでそんなの受けちゃうんです?木刀対竹刀ってのも危ないですし、こっちに何のメリットもないですよね?」
メリット、琴音にとってのそれはプレイステーション5なのだが、それを言ってしまっては説得に失敗しそうな気しかしない。恵介の考え方は充分に分かっている。
「爺ちゃんがどうしてもって。『月星の決闘』を否定されて、このまま引き下がっては背月一刀流の先達に申し訳が立たない、流派の名誉のためにも引き下がれない、って。」
琴音は平十郎の言っていたことを思い出しながら、恵介に伝えてみた。プレイステーション5のことを除けば、概ね正確な内容である。
「いやいや、師範と
正論である。琴音も平十郎に全く同じ話をしたくらいである。
「爺ちゃんがいうにはさ、専門家である爺ちゃんが出ていって勝っても剣術部が勝ったことにはならない、剣術部の部員が勝たなきゃダメだ、っていうんだよ。」
「それ、言っちゃっていいんですかね………。『月星の決闘』も何かそんな感じじゃないですか。」
彼らの流派、背月一刀流にとって栄光の御前試合「月星の決闘」は、その師範が、江戸で北辰一刀流を齧ってきた免許皆伝でもなんでもない若者と対戦して勝った、という構図だった。
「うーん、以前、私が爺ちゃんにそこのところを指摘して煽りまくったことがあって、そのせいもあるかもしれん。そこは正直すまんかった。」
「それに、他流試合となると、木刀と竹刀の違いとか、防具の問題もありますよね。」
背月一刀流では稽古に木刀を使うが、竹刀で木刀を受ければ竹刀は折れてしまうだろうし、竹刀を前提とした防具で木刀を受ければタダでは済まない。逆に、背月一刀流では防具はない。防具を着けても同じように技を繰り出せるかという疑問もあるし、一方で、防具をつけなければ竹刀での打突も危険なものとなる。
「もし、間違って渡辺先輩を怪我でもさせたら、美咲先輩に申し訳が立たないというか、その、」
「またそれか。いいか、恵介、これはチャンスなんだ。美咲を賭けて渡辺と勝負するんだ。そして、渡辺をボコる。お前は美咲をゲット。な?めでたしめでたし。」
そして、私はプレイステーション5をゲットというわけだ、めでたしめでたし、でいいんじゃないかな?と琴音は心の中で呟いてみた。
「いや、そういうんじゃないんですって。」
琴音は、ふぅっ、とため息をついた。美咲が疲れてるのは文化祭の作業を遅くまでやってるからだ。彼氏だっていうなら、渡辺は美咲を手伝うべきだ。もし恵介が彼氏だったら手伝うだろう。琴音はなんだか腹が立ってきた。
「なあ、恵介、美咲って今も渡辺と付き合ってるのかな?」
「え、急に何を言い出すんです?」
「昨日も、美咲は一人で帰ってるんだ。」
恵介は、今朝、ちらりと見かけた美咲の顔色があまり良くなかったような気がした。何かあったのだろうか。
「あの、美咲先輩、渡辺先輩との間で何かあったんですか?」
「まあ、なんていうか。うーん、私にも分かんねえよ。」
「昨日とか今日とか、どんな話しました?」
「ばっかやろう。女同士の話をお前に聞かせられるかよ。デリカシーのないやつだな。」
「す、すみません。」
恵介は話を逸らされたように感じた。美咲と直樹との間に何かあったのかもしれない。それは同じ女性で親友の琴音には言えるが、自分には言いたくない、あるいは、言う理由もないのかもしれない。
心配ではあるが、自分は唯の後輩に過ぎない。悔しいけれど、そうなのだ。
「ただ、そうだな。美咲、疲れてる感じだった。泣きたい、って言ってたし。」
文化祭の実行委員が大変だから、だが。琴音はその点は伏せておいた。
「そう、ですか。」
恵介は立ち止まった。
何があったのだろう。自分にできることはないのだろうか。恵介は、自分が美咲にとって何者でもなく、何もしてあげられないと思い、もどかしさに手が震えるような気がした。
「悪かったな、恵介。無理にとは言わねえよ。お前が嫌だってんなら、他流試合には私が出る。私が、あの似非イケメン野郎の脳天に木刀をブチ込んでやんよ。」
琴音は立ち止まり、少しだけ背の高い恵介の顔を上目遣いで覗き込み、笑ってみせた。目線が少し震えている。
恵介は思う。琴音は何かを隠している。他流試合は危険なものだ。相手の渡辺は剣道部のエース。琴音が挑むのは無理がある。それでも琴音は挑もうとしている。なぜだ。琴音は何かを隠している。琴音が美咲から何を聞いたのかは分からない。渡辺に木刀をブチ込まねばならない事情があるのか。自分は何もできないのか。美咲のために、琴音のために。ぐるぐると頭の中で思考が巡る。しかし、まとまらない。分からない。感情的になっているのは分かっている。美咲に対する感情が何なのか自分でも分かっていない。立ち止まって固まっている自分は変だ。でも、もしも、他流試合に琴音が挑み、竹刀で打たれるようなことになってしまったら、その時、自分は……。
「………、琴音先輩、俺がやります。」
「ん、なに?」
「他流試合、俺が出ます。」
「いいのか?無理しなくていいんだ。私がやれば、それで済むんだし、」
「いや、琴音先輩は見ててください。ヤツは俺が倒します。」
琴音は、心の中でガッツポーズをした。
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