3.政略結婚?(スティーブ)

「こ、婚約を破棄された……?」


 花柄の可愛らしいブラウスに、ロングスカートを身に纏っているマエル。悲しそうに俯く彼女を前にしていた俺は、とにかく困惑した。

 ひとまず「一体、何があったの?」と訊いてみる。すると彼女は、おもむろに椅子へ腰掛けた。


「私、ポグバ子爵家のキリアンって人と婚約してたの。彼は経営を学ぶために大学へ通ってて、来年の卒業に合わせて、結婚するつもりだったんだ……」


 マエルがキリアンと婚約に至るまでの経緯を、家庭事情も含めて説明し始める――。


 カスカリーノ家は、主に農産物の仲介販売をする商会を担っていた。

 しかし、国の工業化発展によって農業従事者の人手が取られ、収穫数の減った農産物価格が高騰し、カスカリーノ家もその煽りを受けることに。

 すると、食糧価格の安定化を計った政府が関税を引き下げたおかげで、海外の安い農産物が流入してきた。


「あー、市場に珍しい野菜がやたら増えたのは、そのせいだったんか!」


「そう……でもその政策は、国内農家にとっては何の解決にもならなかったんだ」


「へ? 何で?」


「だって、国産農作物の価格自体は高いままだもん……それじゃ、みんな輸入品ばかり買っちゃうでしょ?」


 マエルの言う通り、小麦栽培を中心とした国内農家はジリ貧状態まで追い込まれていた。農家さんを客で乗せた時、ずっと重い溜息を吐いていて、葬式の帰りみたいに顔色が悪かったのを思い出す。


「それで、ウチみたいな商会を営む他の貴族達も、みんな輸入品を扱うようになっていったの。でもウチのお父さんだけは、そうしなかったんだ……。『今まで二人三脚で支えてきた農家さんを斬るような真似は、絶対出来ない』って」


「すげぇ……お父さん、めっちゃ良い人やん」


 その後、カスカリーノ家商会は“領内農家を守りたい”というマエルの父モリスさんの意向で、世間の流れとは逆い、国産品にこだわり続けた――だが、現実は厳しかった。


 モリスさんが販売網拡大や売り込みを必死にやってきたのも虚しく、商会の売上は目減りしていくばかり。そして、ついにカスカリーノ家の家計は窮地に陥ってしまった。


『使用人を雇う余裕なんてないよ? ――』


 この言葉の意味をやっと理解した俺――ところが、そこから話は一変し出す。


「そんな時だったんだ……キリアンとの婚約が決まったのは」


「え、急にッ!?」


 いきなり話が飛んで大袈裟に驚いた俺を他所に、マエルがしんみりとした顔でコクリと頷く。


「ポグバ家は食品加工会社を経営してたから元々付き合いがあって、キリアンとも顔馴染みだったの。それで、ポグバ家当主のフロリアンさんがウチの事情を知って、救いの手を差し伸べてくれた、って感じ」


「救いの手?」


「資産でいったら、ウチよりポグバ家の方が全然上だからね。ウチの商会はポグバ家の傘下に入ることになるけど、資金援助とかで、一家破産の危機を乗り越えられることになるんだよ……」


 と、マエルが終始元気のない口調で話していた時だった。

 ここでずっと感じていた違和感を解消しようと「ち、ちょっと待ってくれ」と止める。すると、彼女が怪訝そうに「どうしたの?」と首を傾げた。


「さっきから、何の話してるんだ……?」


「何のって、婚約に至るまでの話だけど」


「それはわかるよ! でも婚約ってのは“結婚する約束”のことだろ? なんか、マエル自身がキリアンのことを“好きかどうか”って部分が、全然見えてこなくてさ……」


 マエルが黙ったまま、不思議そうに俺を見つめてくる。変なこと聞いたか俺。でも、結婚は“互いに愛し合う2人がするもの”って考えるのが、普通じゃないのか。


 少しの間を置いたマエルが、ゆっくりと口を開く。


「スティーブさんは、恋愛結婚のことを言ってるんだよね? 私のは政略結婚だから、婚約者同士の恋愛感情は二の次なんだ……」


「え、でも子作りもするわけだろ? 好きでもない男からお尻貫かれるなんて、嫌じゃない?」


 急に頬を真っ赤にしたマエルが「も、もう少し控えめな表現してよッ!」と慌てる。ちと、ストレート過ぎた。


「政略的な婚約とは言っても、彼との交際は順調だったんだよ? 『愛してる』ってたくさん言ってくれてたし、私もそれに応えようと……好きになってたから」


「ん〜、そっかぁ……」


 マエル曰く、キリアンとの婚約は約1年前。イケメンのキリアンは、名門大学に通ってる優秀さも相まって、令嬢達からは憧れの的だったそう。

 そして、そんな美男美女でお似合いのカップルに、何があったのか明かされることになる。


「でも先週、突然電話で呼び出されて、ポグバ家に行ったんだ。そしたら、すごい剣幕をしたキリアンから突然『お前、浮気しただろ』って、を見せられたの」


 う、浮気〜!?


 衝撃を受けつつも「写真!?」と聞き返したら、マエルは小さく頷いて続けた。


「そう。それには……私がスーツ姿の男性とホテル前で抱き合ってるような風景が写ってて……それで……その……」


 徐々に声量が落ちていき、今にも泣き出しそうになるマエル。これは不味いと思い、両手を挙げて「お、落ち着いて」と宥める。


「ごめん、思い出すと……辛くて……」


「い、嫌だったら、もう無理して話さなくていいんだよ?」


 何てこった。マエルが写真に写ってた天使のような微笑みなんて、見る影もないほどに哀しそうな表情をしている。

 こういう時、どうしたらいいんだ。それにしても、浮気ときたかぁ。


 ……この子が? 


 と思った瞬間――また俺の頭がフル回転し始める。


 マエルは優しくて可愛い。

 それすなわち正義ジャスティス


 つまり、浮気なんかしない。


 思考を巡らせてそう結論付けた俺だったが、ひとまず彼女から話し出すのを黙って待っていた。

 マエルは落ち着いたのか、握る手を胸に当てて、再び話し始めた。


「私……私、浮気なんてしてないの」


 チラリと視線を送ってきたマエルに、俺はただ頷いた。


「キリアンが持ってた写真は……“お酒に酔って倒れそうだった男の人を、介抱してた場面だった”ってだけなのに……」


 マジかよ……。


 マエルが涙ながらに事の経緯を説明する。人を助けた彼女が浮気者扱いされたことに、俺もかなり混乱した。


 最悪なのは“彼女の無実を証明出来ない”こと。


 介抱した男は『親戚の結婚式披露宴に参加するために地方から来た』と言っていたらしく、探すのは困難。さらに、写真を持ち込んだホテルの受付『トーマス』は既に辞めていて、行方不明になってしまっていたらしい。


「必死に『やってない!』って訴えたけど……キリアンや相手方の両親からは“言い訳なんて見苦しぞ”とか、聞く耳なんて全く持ってもらえなかった……」


 聞いてるこっちの胸が痛くなってくる。その場にいたマエルがどれほどの苦痛だったのか、想像するだけで恐ろしい。

 その場に同席していなかったマエルの両親も度肝を抜かれてしまい、怒り狂った相手の言い分を全て飲んでしまったらしい。


「婚約時に定めた“不貞罰則”として、私の持参金は慰謝料代わりに全部没収されちゃった……」


「持参金って、いくらだったんだい?」


「1000ポンドだよ」


「せッ……!!」


 開いた口が塞がらない俺。


 持参金の意味はよくわからなかったが、ただでさえ家計が苦しいカスカリーノ家にとって、その金を取られたのは痛すぎるはず。


「……マエルの両親は、どう思ってるって?」


「お母さんは私を信じてくれてると思うけど、お父さんは『浮気と疑われる行動を取ったこと自体が不味い』って、私の無警戒さや不注意を疎んじてる感じかな……」


 もう俺には「そっか……」としか、返すことが出来なかった。

 溜息ばかりが漏れる重苦しい空気が漂うばかりか、少しずつ肌寒くすらなってきている。

 椅子に座るマエルが、塞ぎ込むように視線を落とす。


「でもやっぱり……キリアンに信じて貰えなかったことが、一番辛かった……今まで、あんなに優しくしてくれてたのに……うっ……うっ……」


 眼を瞑るマエルの眼から、大粒の涙が――ポロリ――と流れ落ちた。


 立ち上がってダウンコート脱ぎ、彼女の背中に被せる。



「俺はマエルのこと……信じるよ」



 根拠なんてない。


 それなのに、なぜか自然と口から出た言葉だった――。

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