10 トランプ
築ノ宮には忙しい日々が続いたが、
ここのところ少しばかり余裕が出て来た。
「明日は久し振りに休みなんだ。だから今からそちらに行くよ。」
車に乗り込んだ築ノ宮が波留に電話をしていた。
彼女は仕事も終わり家にいた。
「そうなの?じゃあ待ってる。」
『夕飯はなに?』
「普通の炒め物よ、でも何か作る。」
『急だったね、ごめん。』
「良いの。足らなかったらもっと作るから。」
彼とはいつ会っただろう。
スマホで連絡は取っているが実際会うのとは違う。
波留は急いで料理にかかった。
築ノ宮がにやにやしながら電話を切った。
車のエンジンをかける。
「どこかでケーキでも買っていきましようか。」
だが彼は思い出す。
「すみません、今日は外泊します。
明日はお休みなので明日の夜遅くに戻ります。」
彼の家を管理している家政婦に電話をする。
向こうも慣れたもので二つ返事だ。
築ノ宮の家はかなり大きい。
そしてそこでは傍系の家族も住んでいる。
別世帯の家が並んでいるようなものだ。
家政婦は両方の家を担当しているので急に留守となっても問題は無かった。
それに築ノ宮は一人だ。
むしろいない方が楽かもしれない。
自分が何をしているのか薄々向こうには分かっているだろう。
だがそんな事はどうでも良かった。
彼女と一緒に居たいのだ。
そして築ノ宮は組織のトップだ。
それなりの権威があり実力もある。
仕事に関して手抜きは一切ないと自負がある。
ともかく今は築ノ宮には
誰にも文句を言わせない自信があった。
生活が充実するとそうなるのだろうか。
自分でも不思議に思った。
彼は行きつけのケーキ屋に寄った。
彼女が好きそうなものを彼は真剣に選ぶ。
それが楽しいのだ。
彼女の喜ぶ顔が見たい、ただそれだけだ。
彼がケーキの箱を持ってマンションに上がっていくと、
彼女の部屋の近くの廊下で話し声がした。
彼が見ると波留と赤ちゃんを抱いた若い母親が立ち話をしていた。
二人は築ノ宮を見ると笑いかけた。
母親は彼を見てから波留を見た。
「中島さん、彼氏?すごいわね。」
とそっと話すとにやりと笑った。
「いや、その……、」
波留が少し恥ずかしそうに口ごもる。
築ノ宮が母親に笑いかけた。
「初めまして、築ノ宮と申します。」
築ノ宮はこのマンションを数年前手に入れたが、
周りの人と会った事は無かった。
月に一、二度来るぐらいだからだ。
なので隣の住人と顔を合わすのは初めてだった。
彼が頭を下げると彼女がほうとした顔になる。
「アキ、お隣の藤原さん。」
藤原が頭を下げた。
「うちはこの子がいるからお騒がせしてごめんなさい。」
六か月ぐらいの赤子だろうか。
今はすやすやと寝ている。
「なかなか泣き止まないからここであやしていたの。
そうしたら中島さんが出て来て話し相手になってくれたんです。」
築ノ宮が優しく笑った。
「そうですか、大変ですね。
でもお騒がせって大丈夫ですよ。ねえ、ハル。」
波留が頷いた。
「全然聞こえないし、赤ちゃんは泣くものだから。
それにこの子、ほっぺがぷくぷくですごく可愛い。」
波留がふふと笑う。
その時、エレベーターから一人の男性が降りて来た。
彼は皆を見ると頭を下げた。
「私の旦那さん。」
母親が嬉しそうに言うとやって来た
優しそうな顔立ちの男性が皆を見た。
「赤ちゃんが泣いていたから中島さんが
声をかけてくれたの。」
「それは申し訳ない、助かりました。」
彼は少し笑って言った。
「おかえりなさい、
大したことはしてないですよ、話をしただけです。
可愛い赤ちゃんが見られてなんだか良かったわ。」
しばらく話をして藤原夫婦は家に入って行った。
築ノ宮と波留も家に戻った。
中に入ると築ノ宮が言った。
「お隣と仲良くしてるの?」
波留が笑う。
「仲良くと言うかここに来た時にご挨拶をしたのよ。
それから時々話をするの。
でも赤ちゃんがいるから大変みたいよ。」
波留が夕食の準備を始める。
築ノ宮は背広を脱いで彼女の横に立った。
良い匂いがする。
築ノ宮の腹が鳴った。
それを聞いて波留がくすくすと笑った。
「早く食べたい。」
少し拗ねたように築ノ宮が言った。
「はいはい、すぐね。」
彼の顔がにやけた。
築ノ宮が家で食べるものはプロの家政婦が作っているものだ。
彼の好みに合わせてある。
美味しいのは確かだ。
だが食べる時は大きなテーブルで一人だ。
それが日常だった。
だが波留との食事は違う。
程ほどの大きさのテーブルの上におかずが乗る。
茶碗と汁椀が二つあり箸も二つだ。
二人で買って来たものだ。
いわゆる庶民の普通の食事だ。
波留と一緒に食べるのは彼には特別だった。
行儀が悪いとテレビを見ながら食べるのは昔から許されていなかったが、
彼女とテレビを見ながら食事をして笑い合う。
食後に洗い物をしたり、そして持って来たケーキを食べる。
それが彼には楽しかった。
色々と片付けた後に築ノ宮はふと壁のカプセルトイを見た。
ここのところ全くそれを買っていなかった。
だが棚を見ると順番が変わっている。
彼は不思議に思い波留に聞いた。
「ここ、触った?」
波留は気まずい顔になる。
「うん、触った。」
「ジャンルごとに分けてあったのに。」
築ノ宮が調べるとほとんど場所が変わっている。
「ごめんなさい、あの、一人で暇だったから。」
築ノ宮は少しばかり罪悪感が湧いた。
何しろなかなか会えないのだ。
彼女が暇を持て余しても仕方がない。
「こっちこそ、ごめん。」
二人はしばらく見つめ合って笑い出した。
「でもどんなふうに入れ替えたの?」
彼が聞くと彼女は棚に近寄って戸を開いた。
「私が好きなものとあんまりのものと……、」
彼はそれを見る。
「ハルが好きなものはここを見ると分かるんだな。」
「そうね。」
そして彼はスマホに付けている宇宙人が並んでいるのを見た。
「ここにこれが並んでるね、どうして。」
彼女が少し恥ずかし気に彼を見た。
「あの、一番好きな物、すぐ目に入るように。」
それが置いてあるのはハルの目線なのだ。
彼は少し身をかがめて彼女を後ろから抱いて目線を揃えた。
「うん、確かにこの高さだ。一番よく見える。」
「でしょ?」
築ノ宮は彼女に顔を寄せた。
そしてそっと口づける。
「大好きなの?」
「……大好き。」
その次の言葉はない。
もうコレクションを勝手に触られたのはどうでも良かった。
あの宇宙人の位置は彼女の心だ。
築ノ宮はそれが一番嬉しかった。
そして夜が更ける。
お互いの全てを目に焼き付け高め合う。
築ノ宮にはその全部が新鮮だった。
熱が去った後、
二人は抱き合いながら横になっている。
彼はその髪に口づけた。
部屋の空気は少しばかり冷たい。
だが彼女といればそのような寒さは感じない。
満ち足りていた。
こんな日々が来るとは彼は考えてはいなかった。
「ハル、仕事は上手く行ってる?」
築ノ宮が彼女に聞いた。
「うん、行列とはいかないけどそれなりにお客さんが
来てくれるの。」
「恋占い?」
「そう。やっぱりはっきり何を占うか
お客さんに知ってもらうのが大事ね。」
「商売はそれが基本です。」
築ノ宮がしたり顔で頷くと波留がそれを見て笑った。
「占いか。波留はトランプを使うよね。」
「ええ、昔から。」
「誰かに教わったの?」
波留は少し口ごもる。
「その、なんと言うか何となく……。」
父親の記憶にあった女性が
トランプを持っていたからと言っても通じないだろう。
「気持ちのおもむくまま?と言う感じ?」
「そうかも。
でもタロットと似てるから数の意味は調べたわ。
それを覚えて後は自分の感覚かしら。
だから数字の意味はタロットとは違うかも。
それで相手の方と喋っていると何となく見えてくるの。」
築ノ宮は彼女に占ってもらった事を思い出す。
「直感占いのようなものか。
私の時はキングが4枚出たよね。」
「あれは本当にびっくりしたの。
後は10が4枚でしょ?
私の中では10は完璧や結果を表しているの。
そんなカードが同時に4枚ずつ出たのは初めてだった。」
「トリックかと思ったよ。
でもその後に仕事上は問題はないと言っただろ?
確かに今は大変だけど充実はしているんだ。
当てたなと思ったよ。
私の印象も含めてそう思ったの?」
「そうかも……。」
「ハートのAも出たね。」
と彼はにやりと笑い彼女の首筋に顔を寄せた。
「それも当てた。」
彼女は彼の頭をそっと撫でた。
サラサラとした髪が指の間を通る。
そしてふと思い出す。
ジョーカーだ。
トランプの図柄は上下が分かるものと分からないものがあり、
分かりやすいのはエースカードでマークが
どのようにあるかで上下が分かる。
そしてジョーカーも彼女のカードでは上下が分かった。
それは逆位置で出た。
カードには正位置と逆位置がある。
正位置は上を向いていて逆位置は下が上になっている。
その意味は見た目通りだ。
逆位置は結果は良くない事が多い。
ふと波留は嫌な予感がした。
「ハル?」
築ノ宮が彼女の顔を覗き込んだ。
「あ、なんでもない。」
彼が彼女に軽く口づける。
「もう一度占ってもらおうかな。」
だが波留は首を振った。
「私は自分の事は占わないの。」
「私はハルじゃないよ。」
波留はちらりと築ノ宮を見て顔を彼の胸に寄せた。
「もう他人じゃないし……。」
築ノ宮がはっとして彼女を見た。
そしてそっと抱きしめる。
「そうだな。」
彼は囁くように言った。
だが彼女は思う。
築ノ宮を占う事は簡単だ。
だがその結果はどうなるだろう。
初めて会った時はこれほど近い関係ではなかった。
だが今は離れられない間柄だ。
今占って良くない結果が出たらどうなるか。
それは築ノ宮だけでなく自分自身の不幸でもある。
そんな結果が出たら自分が冷静ではいられないだろう。
だから占い師は自分自身を占うのを避けるのだ。
そして彼女が感じている築ノ宮の闇だ。
彼の奥にあるそれがはっきりと見えてしまうのが怖かった。
それが見えてしまえば自分の未来も分かってしまうかもしれない。
今ここにあるやっと手に入れた全てが消える可能性がある。
彼女は自分の未来を見るのが怖かった。
「もう寝ようか。」
築ノ宮が彼女の髪に顔を寄せた。
「うん。明日はお休みね。」
「ああ、何をしようかな。」
二人はくすくすと笑った。
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