⑩真犯人

「ねえセドリック! エルトマン侯爵の展示室、とってもとっても素晴らしかったわ。気が付いたら何時間も経っていたのよ」

「そうだな。俺も先日見させていただいたけど、圧倒されたよ。歴史あるエルトマン侯爵家だからこそだろうな。各時代の宝飾品、食器に絵画。歴代の王族から贈られた、各時代の勲章まで揃っていた。勲章はハウケ家にもいくつかあるけれど、あれだけ昔の代の物から、しかも全ての時代のデザインが揃っている家なんて、国でも数えるほどしかないんじゃないか」

「本当に。本でしか見た事がないようなものが沢山あって」



 アリス夫人と展示室を見に行ったユリアは、よほど楽しかったようで、まだ少し頬を紅潮させている。

 自分が見たものを、誰かに話したくて仕方がないと言う様子だ。

 一緒に食事をするためにハウケ家のゲストルームにきていたセドリックを捕まえて、興奮冷めやらぬ様子だ。


 既に食事は終わって、ハウケ伯爵夫妻がレオと別室で遊んでいる。


「彫刻は見た? 200年前の芸術家として知られているマシューの作品。まるで今にも動き出しそうな人物の像。あれ、モデルが当時の王様と言われているのでしょう? 今の王様となんだか似ている気がするわ」

「もちろん見たよ。マシューの作品を見られるなんて感動だよな。200年前と言うと、何代前になるんだ? 今のウェステリア国の貴族と、当時の王族は血縁が続いていると言われているが、周辺国との交流も盛んだからな。似てるかなー」

「似てたわよ! ……あ、ありがとうねセドリック。子ども達、一人でみてもらって。お父様たちやオルトハラ伯爵は先にエルトマン侯爵とお約束があったみたいで」

「構わないよ。それに俺一人だけで子供たちをみていたわけじゃなかったし」

「そうなの?」

「ああ。途中で……」






「ユリア様! 大変なことが起きたわ。レオ君を使用人に預けて、今すぐ談話室に来てちょうだい。……セドリック様やハウケ伯爵様方も」

「アリス様? どうされたのですか」


 その時突然、アリス様が真っ青な顔をして、やってきた。

 その後ろには、同じく顔を強張らせたエルトマン侯爵家の使用人たちが、何人か付いて来ている。



「……すぐに説明があるでしょうけど……今日、エルトマン邸の展示室から、王家の勲章が盗まれたらしいの」

「……そんな!」



 デザイン性や、宝石を散りばめられていることから、単純に宝飾品としても一級の価値を持つ勲章。


 その上に王家に貢献した貴族にしか贈られないという希少性、歴史的価値を考えると、とんでもない金額のものだろう。


 ――いいえ、金額の問題ではない。


 ユリアのネックレスやハンカチがなくなったことなど、比較にならないほどの問題だ。

 王家が贈った勲章を盗む――犯人は、死刑になってもおかしくない。

 自分が展示室を見たいと言ったせいで、とんでもないことが起こってしまったと思うユリアだった。



*****



 3人が談話室に着くと既に、子供以外の滞在中ゲスト、全員が揃っていた。



 いつもおおらかなエルトマン侯爵も、さすがに厳しい顔で、ゲストたちの前だと言うのに、珍しく座って黙り込んでいる。


「皆さんもうお聞きになっているかもしれませんが、本日、展示室から、エルトマン侯爵家が王家から賜った勲章のうちの一つが、紛失いたしました」



 項垂れ気味のエルトマン侯爵に代わって、エルトマン家の執事が、厳かに話し始めた。

 恐らく冷静に話を進めるために、公平性を保つために、あえて自分ではなく執事に話をさせているのだろう。


「本日、アリス・オルトハラ様とユリア・ハウケ様からのご希望で、展示室の施錠を解放いたしました。もちろんお二人は、当家の使用人がご案内させていただいたので、展示物をお触りになられていないことは報告を受けております」


 その言葉を聞いて、ユリアの強張っていた体から力が抜ける。

 使用人にも見られていたし、アリス様も一緒にいたし、盗んでいないことは分かってもらえていると思ってはいたが、もしも疑われたら証明しようがないと思っていたのだ。


「展示室の扉には、見張りの者がおりました。しかし一瞬、廊下の隅で物音が聞こえ、その方向に確認しにいった事があったそうです。これはもちろん、当家のミスでございます」




 ユリアたちは、何時間もかけてゆっくりと展示室を見させてもらった。

その間、一瞬だけ、入り口の見張りがいない時間があった。



「当家のミスでありながら、大変心苦しいのですが、今から皆さんの所持品をあらためさせていただけないでしょうか」


「そんな! 所持品って、部屋に置いてある物も全てということですか? 困るわ」


 一番に不満の声を上げたのは、ユリアたちがそこまで深く話した事のない、子爵家の令嬢だった。

 若いのに言いたいことは格上の貴族だろうと遠慮せずに言うところが、好感が持てる人物だ。


 長い滞在のための大量の荷物。

 仕事関係のものもあるだろうし、誰だって見られたくない物の一つや二つ、あるだろう。

 若いご令嬢とあっては特に。

 そういった気持ちを、正直に吐露したようだ。

 他のゲストも共感できるのか、何人かがうんうんと頷いている。


「……あのう。どうしてもというのなら、私は荷物は調べていただいて構いませんけれども。……まずはその前に、最初に一人、調べてからにいたしませんか? 一人用の部屋なので、すぐに終わると思うんです」


 次にそう発言したのは、ダルトン男爵だった。


 ダルトン男爵の目線は、真っ直ぐに一人に向かっていた。


 まっすぐに、エリスだけを見ていた。


「……本当に、なんとお詫びを言ってよいやら。おい! エリス。王家の勲章など、いつもの小物のように誤魔化しはきかんぞ! とんでもないことをしてくれたな」


 すかさず言ったのは、エリスの父親であるケーヴェス子爵だ。

 もう当然のように、エリスが犯人だと決めつけている。


「実は……この滞在期間中、私の所持品でも、ちょっとしたものが見当たらないことがありましてな」

「なんと! 申し訳ないダルトン男爵。それではエルトマン侯爵様。まずはエリスの部屋を調べてください。構いませんので」


 エリスが何も発言していないにも関わらず、父親が勝手に謝り、勝手に部屋を調べる許可を出してしまう。



 ユリアはその話を聞きながら、不安と緊張で、クラクラと視界が揺れるような感覚を味わっていた。


 エリスがそんな事をする訳がないという気持ちと、自分も小物を、ちょこちょこ紛失していたという不信感。



 ――ペンダントをなくしたときに、正直に誰かに相談していればよかった!


 大した価値のないペンダントがなくなった時に、なくなったので探して欲しいと言っていれば。

他の小物がなくなった時も、その時その時にきちんと言っておけば。


 ――そうすれば警備が厳しくなっただろうし、このような騒ぎは起きなかったかもしれないのに!!












「おい待て。なぜエリスが犯人だと決めつけて、話が進むんだ」



 その時、ある種パニックのような状況だと言うのに、憎らしいくらいに冷静な声が部屋中に響いた。

 その冷静な声の響きは、狂乱に陥りかけた部屋の空気に水をかけたようで、何人かがハッとしたように顔をあげた。


 エルトマン侯爵も、垂れていた頭を上げて、目が覚めたような顔をしていた。



「セドリック殿は、本当にエリスにすっかり騙されていますな。滞在期間中、随分仲良くされていたご様子で。しかしこうなっては、親としても到底庇い立てできません」


「だからどうして、エリスがやったと決めつけるんだ。エリスはずっと俺と一緒に、子ども達と遊んでいたぞ? ユリアが俺の部屋に子ども達を連れて来てから、5分もしないで、エリスが子ども達の声を聞きつけてやってきた。エリスの部屋は俺の部屋に近いからな。……俺の部屋から展示室のある1階まで、行って帰ってくる時間はなかったはずだ」


「……っな! しょ、証拠はあるのか」

「俺と子供たちの証言ということになるな。……ああ、途中で使用人に、お茶とお菓子を持ってきてもらったので、その使用人が見ているはずだ」


「今すぐお茶をお持ちした使用人を探して、聞いてきます! しばらくお待ちください」


 すかさず執事が部屋を退出する。

 素早い判断だ。


「あの、お茶をお持ちしたのは私です。確かにセドリック様のお部屋に、お子様方用のお茶とお菓子をお届けいたしました。その際、エリス様もいらっしゃいました」


 執事はほんの数分で、ある女性の使用人を連れて談話室に帰ってきた。

 メイドの女性は不安そうだが、しっかりとした口調で証言をした。

 さすが、エルトマン侯爵家で働いているだけあって、この女性も優秀なのだろう。


「しかしお茶を運んだ一瞬、エリスを見ただけでは、本当にずっとその部屋にいたかどうかまでは……」

「だから、俺がずっと一緒にいたと言っているだろう。逆に、こうして一人ひとり、アリバイを確認していけばいいんじゃないか? エリス以上にアリバイがある人物が、何人いるというんだ。大体ゲスト以外にも、ゲストが連れてきている使用人たちだっているし、エルトマン邸の使用人だって何十人、下手したら合わせて何百人といるだろう。ゲストだけ部屋に集めて犯人捜しをするなんて、バカげている。最初からゲストの中に犯人がいるという思い込みでしかないだろう。こうしている今でも、野放しの誰かが証拠隠滅して、屋敷から逃げているかもしれないんだぞ? この集まりは無意味だ!」


 セドリックがそう発言して一人一人の顔を見渡すと、皆が決まずそうに顔を逸らしたり、咳ばらいをする。

 言われてみれば、容疑者をゲストに絞る根拠なんてなにもない。


 ――誰もが、犯人が誰なのか、決めつけて先入観を持って動いてしまった。


「……セドリック殿のおっしゃる通りだ。私は、ゲストの中の……いや、正直に告白をしよう。エリス殿が盗んだという先入観があった。そのため、当家の使用人のチェックすらせずに、ゲストの皆さんを集めてしまった。とても情けない。セドリック殿の言うとおり、これだけ逃げる時間があったのだから、もう所持品を調べても意味がないだろう。誰かに罪をなすりつける時間すらあっただろうから」


 誰もが目を逸らす中、エルトマン侯爵だけはしっかりとセドリックの目を見つめ返した。

 そして孫の様な年齢のセドリックに、そしてゲストに対して、大貴族であるにもかかわらず、しっかりと頭を下げた。


 先ほどまで項垂れていたのとは打って変わって、何かを吹っ切れたように、むしろさっぱりとした顔をしていた。


 ……心優しいエルトマン侯爵にとって、きっと誰かを疑う方が苦しかったのだろう。

 勲章が盗まれたことよりも。


「申し訳ありませんでした。今日、この部屋であったことは忘れてください。私も忘れることにします」


 部屋中が、これで問題は解決したというような、安心感に包まれた。

 誰もが胸をなでおろし、詰めていた息を吐く。

 しかしそのような安心感すらも、ぶち壊すような冷静な声がまた響いた。



「いや。この際ちょうどいいので言いますが。実は私も、部屋を調べて欲しいと思っていた人物がいるんです」

「な! 何を言いだすんだセドリック殿」


 セドリックの言葉に、ケーヴェス子爵が過剰に反応している。


 ユリアはいたたまれないと言うように、動じなさすぎる従兄をじろりと睨んだ。

 セドリックはユリアの視線など気が付いていないのか、それとも全く気にしないのか。


「それはエリスの兄の、カリヤ殿だ。実はこの屋敷に滞在中、小物などがよく紛失するので、わざとカフスを外してその場を離れ、影から見張っていたんです。細い金の鎖のついた、瑪瑙のカフスだ。それがカリヤ殿の……ケーヴェス家のゲストハウスから出てくるだろうから、この際、今カリヤ殿がこの部屋にいるうちに、誰が部屋を探してきてくれないか」


「なにを……なにを言っているんだ貴様! 何を根拠にそんな事を言っているんだ」


 名前を出されたカリヤは顔を伏せていて、どのような表情をしているのか分からない。

 代わりにケーヴェス子爵がゆでだこのように興奮して怒っている。


「だから、盗むところを見ていたからと言っている。それとユリアのハンカチや髪飾りを盗っているのも見た。怪しいと思ってから、ずっとさり気なく注意していたからな」

「貴様! だ、黙って聞いていれば……」



「他にも、どなたか所持品を紛失された方はいらっしゃいませんか? この際だ、一気に探してしまいましょう」

「わ……私も実は、指輪をなくしてしまって」

「私は帽子を……」


 セドリックの呼びかけに、何人かが気まずげに申し出る。

 きっと何も言わない人の中にも、何かをなくしている者もいることだろう。

 皆騒ぎにしないように、ちょっとした小物なのだからと、胸に仕舞って言いださなかったのだ。

 ……誰もがエリスを疑いながら。





「うわーーーーーーーーーーーー!!!!やめろーーーーーーー」





その時、それまで黙っていたカリヤが急に、狂ったような大声で叫んだ。

普段ほとんど話をしないので、久しぶりに声を聞いた気がする。




「やめろ!! おいそこの使用人! 貴様らどこに行く気だ!! この部屋を出るんじゃない!! 出るなよ!! ふざけんなーーーーー!!」


大人しいと思っていたカリヤが、まさかの豹変ぶりだ。


「いやカリヤ殿。もしもあなたが盗っていないなら、一度見てもらったほうが……」


オルトハラ伯爵が、静かにそう助け船を出すが……。


「うるせーーー!! エリスだ! エリスが盗ったんだ! いつものようにな!! どいつもこいつもいつもいつもエリスエリスって、うるっせーんだよ! 俺が兄だぞ! 俺が跡継ぎなんだ! あんな奴、どうしようもないクズの盗人なんだよ」


 部屋にいる全員、もうどうしたら良いのか分からないと言うように、途方に暮れて、カリヤの様子を遠巻きに見ていた。


 誰か何とかしてくれないかと、エルトマン侯爵やセドリックの出方をキョロキョロしてうかがっている。



「えー、では、俺の部屋の方は、今すぐ見に行っていただいて構いませんよ。兄上も盗っていないと言うのなら、まとめて部屋を調べてもらいませんか?」


 ついにそれまで黙っていたエリスが、いつもの能天気な声で言った。

その言葉に誰もが、エリスは犯人ではなかったのだと悟った。


「はあ!? はああーーー!? お前……ふざけ……お前……」


カリヤは部屋を調べて良いとは、決して言わない

ただただ興奮した様子で、意味もない事を赤黒い顔をして叫んでいた。


 潔白を証明するためには部屋を調べてもらったほうがいい。

それは誰の目にも明らかなのに、そうしてくれとは言わない。


 ゲストたちの中で、誰が今まで小物を盗んでいたのか、自然と一つの答えが導き出された。

 そしてその盗難の理由も恐らく……エリスに罪を擦り付け、評判を落とすためだったのではないのかと。



「まあとにかく、カリヤ殿の部屋を調べてください。今すぐ調べれば、もしかしたら勲章もでてくるかもしれませんよ」


 容赦なく追い打ちをかけるセドリック。


「く! 勲章は俺じゃない!!」

「『勲章は』?」

「ち、違う! 違う!」





「……大変お見苦しいところをお見せして、申し訳ございませんでした。エルトマン家としては、どなたの所持品もあらためる気は、もうございません。理由は先ほどお話しした通り、ゲスト以外にも大勢の人がいて、その者たちは、今も拘束されず自由に動けている。例えどなたかの部屋から勲章や……紛失物が出てきたとしても、その方を犯人と決めつけるつもりはございません。」


 主人の意をくんだ執事の言葉に、エルトマン侯爵も力強く頷く。


「皆さん!残り少ない滞在期間、切り替えて楽しく過ごしていってください。お詫びと言ってはなんですが、ささやかなお別れのパーティーも企画しています。不快なことは吹き飛ばして、最後に皆で楽しみましょう! 紛失した物は、我がエルトマン家が責任を持って、同じ品をご用意させていただきます!」


「エルトマン侯爵様のせいではありませんわ」

「そうですよ。あなたには感謝しかございません。本当に楽しく滞在させていただきました」

「エルトマン侯爵! これに懲りずに、また企画してくださいね」

「私も! 王都の社交界へ参加するよりも、こちらのほうがよほど楽しいわ!」





 そうして、恐ろしく長く感じた話し合いは、幕を閉じたのだった。


 カリヤは床にしゃがみこんで、いつまでも「俺じゃない……勲章なんて、盗ってないんだ……」と呟き続けていたが、それを聞く者は誰一人いなかった。


 父親であるケーヴェス子爵すら、カリヤを残してさっさと部屋に戻ってしまったのだから。





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