②
寝ているレオを、柔らかく編んだ木綿の布でくるんで、落ちないように、セドリックは自分の身体にしっかりと巻き付ける。
よく訓練された馬を座らせて待っていてくれたエリスが、手を差し伸べて、慎重に引き上げてくれる。
「ありがとうございます。エリス先輩」
「エリスで良いよー。敬語もなしで。次期伯爵様に敬語なんて使われたら、落ち着かない」
「……分かった」
「じゃあ馬をおこすから、気を付けて」
エリスはそう言うと、セドリックごとしっかりとレオを支えながら、慎重に馬を立ち上がらせた。
途中で少しだけよろけたセドリックが、エリスに寄りかかってしまったが、エリスはビクとも動かずに支えてくれる。
まるで体の中心に、鋼が通っているかのように。
遊び人のイメージからは想像もつかない安定感だ。
かつて騎士を目指していたというエリス。
爵位を継ぐ予定のない貴族令息の中には、幼い頃から騎士を目指して鍛える者も多い。
もしかしたら、エリスは今でも体を鍛えているのではないかと、ふと思った。
ちなみに体力に自信のない者は、騎士ではなく商人となって生家を助けたり、跡取り娘と結婚するために領地経営の勉強に励むものなどがいる。
セドリックは当然後者だ。
そして、エリスは今では確か、商人としてウェステリアの国中を回り、生家のケーヴェス家を助けているはずだ。
どこかの時点で騎士を諦め、実家の経営を助けることにしたのだろう。
馬はとても賢い子のようだ。
子どもが乗っているのが分かっているようで、優しく丁寧に歩いてくれる。
ほとんど揺れを感じることはない。
旅の疲れがあるセドリックが、気が抜けて思わずウトウトしてしまうほどだ。
「おーい。さすがにお前は寝るなよ、セドリック。寝ている大人を支えるのは大変なんだ」
「……もちろん」
「怪しいな、おい」
そんな軽口が心地よい。
つい先ほどまでは、真っ白な顔をしているレオとユリアをなんとかしなければと気を張っていたセドリックだが、今は木の間を通り抜けてきた気持ちの良い風を感じながら、馬に揺られている。
緊張感から解放されて、話でもしていないと、本当に寝てしまいそうだ。
「エリスはなぜ、エルトマン侯爵邸に滞在しているんだ?」
「……うちのケーヴェス領に仕事をもらえないかと思ってね。社交シーズンが終わる前に、ヒマをしていると噂のご隠居さんに、面識もないのに売り込みに行ったんだ。そうしたら気に入られて引き留められて」
「それはすごいな」
エルトマン侯爵は隠居といっても、まだ侯爵位を退いたわけではない。
ハウケ伯爵のように、跡取りに仕事を任せていっている最中だ。
その大貴族様に、面識もないのに面会をしてもらい、気に入られて客として滞在するとはただ者ではない。
セドリックも、もう少し社交界での付き合いを頑張った方がいいかと、わが身をかえりみた。
商人としては、エリスに大分学ぶところがありそうだ。
「あなたは騎士になると聞いていたのですが」
商人としての才能がこれほどあるなら、なるほど、こちらの道に進んで正解だったかもしれない。
そんなことを半ばウトウトしながら考えて口走ったセドリックは、自分が失言をしたことに気が付いて、一気に目が覚めた。
レオごと支えてくれていたエリスの腕が、セドリックの言葉と同時に、ビクリと強張ったからだ。
それは一瞬のことで、すぐに力は抜けたけれど、後ろから伝わってくる緊張感は続いていた。
「あ、いえ。……すみません」
「ん? なにが?」
声は先ほどまでと変わらず、能天気とも言えるものだ。
しかしこれほど近くにいては、その緊張感は隠しようがない。
「……いえ」
「…………」
馬の足音と葉擦れの音だけを聞きながら、しばらく気まずい沈黙が続いた。
「…………」
「…………」
「あー、もう。なんだよこの空気。いいよ、別にそんな気にしないで。そりゃ騎士にはなれなかったけど、まあ今の自分も結構気に入っているからさ」
「そうですか」
重い空気に、先に音を上げたのはエリスの方だった。
どうやらエリスは騎士になれなかったことを、意外なほど気にしていたようだ。
「そういうお前はどうなんだよ、セドリック。ユリアちゃんと結婚するならする、しないならしないでさっさと腹を決めろよ。お前がどうするか決めねーから、伯爵夫人の座を諦めきれない令嬢たちが、今シーズン困ってたぞ」
「いや俺は……今すぐにでもユリアと結婚したいんだが」
「え、そうなん? じゃあなんでしないんだよ」
「ユリアが俺の邪魔しちゃ悪いから、ハウケ家出ていきますねって言って聞かなくて」
「なんだそれ!」
学生時代から遊び人で、スポーツが得意で陽気だったエリス。
対してあまり体を動かすことが好きではなく、真面目に勉強をしていたセドリック。
なんとなく正反対で、相容れない存在だと思っていた二人だったが、実際に話してみれば思いのほか話が弾んだ。
まるで長年の親友を相手に話しているかのように。
弾みすぎて、余計なことまでペラペラと喋ってしまいそうだ。
しかし不思議と、喋ったことを後悔する気持ちもわいてこない。
「エリスは、遊んでばかりいないで、誰か一人に決めないのか?」
「いやなんか……親父がクソでさ。良い縁談があると、まずは兄貴が結婚してからだって言って、そっちに回すんだけど、兄貴は兄貴でまあちょっと問題あって。それでいっつも話が潰れるんだよなー」
「…………そんな軽い調子で話していい話か?」
「お前だってペラペラ喋ってんだろ」
エリスが遊び人だと言う噂は聞いたことがあったが、今聞いたような話は初耳だった。
エリスの父親のケーヴェス伯爵とはどんな男だっただろうか。
その嫡男は?
確か人気者のエリスと違って、特に印象に残らない、地味な人物だった気がする。
「じゃあなぜ……」
――なぜそんな父親や兄のために、商人として国中を巡って働いているんだ?
そう聞きかけて、止めた。
跡を継ぐ権利のない次男が、子爵である父親に逆らうなど、できるはずがないのだ。
それほど貴族社会における身分差は、厳格だった。
これほどの人物なら、いっそのこと平民に生まれたほうが良かったのかもしれない。
平民であれば、見習いから成り上がって騎士になれたかもしれないし、家に縛られずに、自由に恋愛をして結婚をして、自由に商売をする商人にだってなれただろう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
また話が途切れてしまう。
しかし今度の沈黙は、決して心地の悪いものではなかった。
セドリックは色々なことを考えていたし、きっとエリスもそうだろう。
胸に抱いたレオの顔を見る。
すっかり顔色も良く、気持ち良さそうにスヤスヤと眠っていて、セドリックは安心した。
レオの可愛い寝息を聞き、体温を感じながら、馬は相変わらず優しく、ゆっくりと進んでいった。
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